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才能豊かな同世代たちとの出会いで経験した挫折と、その後の紅白出演まで
―中学時代にはもう、ジャズバンドをやっていたんですね。そこからWONK結成に至る過程として、まずは東京藝術大学音楽学部へ進学されたのが大きかったのでしょうか。
江﨑:そうですね。その完コピバンドのドラマーはアメリカのバークリー音楽大学に、ベースは藝大に行くことになって、自分も藝大を目指すようになったんです。高校2年生ぐらいのときからもう、授業中に頭の中でアドリブソロが鳴り止まない感じになってしまって、勉強も集中できなかったですし(笑)。
ただ、藝大にはジャズを学ぶ場所がないので、上京後は一番歴史の古いジャズ研である早稲田大学モダンジャズ研究会に出入りするようになって、そこでWONKのドラマーの荒田(洸)に出会いました。

左から、江﨑文武(キーボード)、長塚健斗(ボーカル)、荒田洸(ドラムス)、井上幹(ベース)
―そのあたりから、本格的にミュージシャンの道を志していったんですか?
江﨑:いや、上京して挫折したっていうのが結構大きかったんです。藝大に入学したら、石若駿や上野耕平など、19歳とか20歳とかですでにプロとして活動しているような同世代がたくさんいて、音楽で食べていくのが如何に大変なことなのか思い知ったというか、自信をなくしてしまって。その一方では、本当にジャズが好きで、楽器がうまくてかっこいい同世代がたくさんいる嬉しさもあったんですけどね。
―なるほど。でも「音楽をやめよう」とはならなかったんですよね?
江﨑:やめるまではいかないですけど、レコード会社でインターンをしたり、裏方の道も考えました。でも、たまたまWONKのリーダーの荒田が、「一緒にバンドをやらないか?」って誘ってくれたり、同時期には石若や常田(大希 / King Gnu、millennium parade)、額田(大志 / 東京塩麹)とかと「何かプロジェクトをやろう」っていう話もあって、自分の鍵盤を良いと思ってくれる人がいるならもう少し続けてみよう、音楽を作ろう、ピアノを弾こうっていう気持ちに戻れたのが大きかったんです。
―この人たちに敵わないなと思っていた人たちと一緒にやることで、自信というか、自分の役割を見つけていくことができたんですね。そしてそこから、King Gnuやmillennium paradeで紅白に出演するなどオーバーグラウンドなシーンでの活躍が増えていきましたよね。その中で、何か心境が変化はありましたか?
江﨑:オーバーグラウンドとかアンダーグラウンドみたいな意識が僕の中にはあまりなくて、常にちょっと俯瞰して見ているところがあるんですよね。ずっとジャズにのめり込んでいた10代だったので、J-POPやロックをほとんど通らずにここまで来て、近しい友達が必要としてくれるからやっている、自分のできることをただただやってるっていう感覚なんです。だから心境の変化は特にないんですが、緊張の最大値を知れたり、祖母が僕の仕事を認識してくれたりとかはありました(笑)。