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春ねむりのカウンター、NENEのビーフ。Jヒップホップに見る、歴史を知ることの重要性

2025.9.16

#MUSIC

いま国内外を覆う排外主義的な潮流。7月に行われた参議院選挙では、排外的なメッセージを掲げた政党の躍進も大きな話題となった。

音楽シーンも無縁ではない。大物アーティストらの差別的な言動が取り沙汰される一方で、春ねむりをはじめとする何人かのアーティストが批判的な楽曲を発表するなど、それに抗う動きも生まれている。

音楽と排外主義をめぐる今の状況をどう見ているのか、3人の音楽ライターに聞いた。座談会「What’s NiEW MUSIC」第3回。

春ねむり、Worldwide Skippa、ERONEのアクション

つやちゃん:まず、いま日本で進行している排外主義というのが、短絡的に外国人は危険であると結びつけたり、快・不快の感情レベルで判断してしまっているものが多くて、とても危ういと思っています。その中でも、特に矛盾しているのはやっぱりヒップホップとかレゲエとか、ディアスポラ文化をルーツに持つ音楽シーンにおいても排外主義が顔を出してきている、という。

—はい。

つやちゃん:ヒップホップは、周縁化された人々の声を可視化して、差別や不平等に対抗する文化として生まれてきたものなので、それなのに、日本でその文化を受容した人々が、外国人をはじめとする他者を排除する立場に回ってしまうというのは、歴史的にも文化的にも大きな矛盾なんじゃないかなと。その中で春ねむりさんとか、Worldwide Skippaとか韻踏合組合のERONEさんとかが、その点について「曲で」発言したっていうのは、ルーツを思い出させる重要なアクションだったんじゃないかなと思ってます。

風間:春ねむりさんと、Worldwide Skippa、ERONEは、取り扱っているトピックは近いですけど、論調や語調はけっこう違いますよね。春ねむりさんはすごくストレートに(選挙の)候補者の名前も出していて、Worldwide Skippaは普段のリリックから「この人ってマジでめっちゃXを見てるんだな」っていうのがうかがえるんですけど、Xの中に取り巻いてる良くない空気を切り取ったっていうところもある。ERONEに関しては、そういうふうな流れをまた受けて距離のあるところから投げてくるっていう、単純なポップスとしての面白さもあったし。

強いメッセージは逆効果にも? 対話の重要性と難しさ

島岡:そうですね。私は政治のスペクトラムでいうとリベラルにカテゴライズされる意見・立ち位置だと思うんですけど、客観的に考えて思ったのが、みんなが自分(向け)の言葉を欲しがっていて、やっぱり扇動的というか、強くてわかりやすくて注意を引くような発言を支持したり、それに共鳴する。差別的なことを掲げる政党が支持を伸ばしているのもそうですし、それに(反対する声に対しても)「よくぞ言ってくれた」みたいなふうに思う心理があるのかなって。

島岡:新宿で行われたプロテストライブを配信で見ていたんですけど、なんて言うんですかね。やっぱり、対話が大事だよねっていう結論に至った部分が大きいです。コミュニケーションって、ふつうは階段でいえば1段、2段、3段と上っていくもので、私からすると政治って10段目ぐらいなんですよ。それがソーシャルメディアだと、1段目から9段目をぶっ飛ばして突然そのベクトルで話すから、ネットで日々論争が起きてるんだなと思っていて。「日本でももっと政治の話を気軽にみんなしていこう」というのは、1年前は自分もその通りだと思っていたんですけど、今はもっと自分の住んでいる1km、5km範囲内にどういう人が住んでるのかとか、自分の手の届く範囲の人たちのことを理解していきたいなって思います。というのを、このいろんなリリースを受けて思いましたね。

風間:めっちゃわかります。

島岡:友達にも違う政治的な考え方の人がいるんですけど、優しい人だとわかっていても、その発言が差別的だったり、特定の国や人種の方を揶揄したり馬鹿にしたりする言葉を目の前でされてしまうと、(人と発言は)切り離したいと思っても、けっこうつらいじゃないですか。それに私が(友人に対して批判的な)考えを言うのって、それも一種の暴力……まではいかないですけど、私の自我の押し付けにもなる。対話っていっても、すごく難しいですよね。こうやって悶々と考える時間が大事なのかなと思ったりとか、人とは1人でも多く会った方がいいなって思いました。

踊ることの諸相と、「逃げ場」としての音楽

つやちゃん:春ねむりさんがこの前新しいアルバムを出して、そのリリースパーティーに行ったんですけど、今回のアルバムはちょっとレイブサウンドの要素が入ってきてるんですよ。あんまり今までの春さんの作風になかった感じで、今回変化したなと思ってアルバムを聴いたんですけど、ライブに行ったらやっぱりすごくダンサブルになっていて。春ねむりさんは「言葉の人」っていうイメージが一般的にもあると思うんですけど、言葉の人である以上に、ダンスすること、踊ることでみんながつながっていくような感じの場の空気になっていて、それはそれですごく大事なことだなと思ったんです。言葉を介さずにただ一緒に踊ることで見えてくるものだったり、つながるものってあるなというのも、お話を聞いていて思いました。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/2SU8NetjXyBjcjYtXGxSLV

風間:すごくいい話ですね。ダースレイダーが“レイシストは踊れない”っていう曲を出していて、それがすごく端的に表してるっていうか。一方、今のポジティブな話のあとにネガティブな話で恐縮ですけど、例えばサウンドデモやプロテストレイブがあると、SNSではそこに参加している人たちを揶揄するような形のポストもあったり、例えばハラスメントの被害を受けた人が開放的に踊っているところ見て、「この人は本当に悲しんでるの?」みたいなふうに揶揄するポストもあったりする。それは、踊るということへの忌避感、もしかしたら恐怖感に近いのかな? 踊るっていう行為自体が、プリミティブだからこそ、思想的に相入れない人からすると、恐ろしいものに見えるというか。それで、いまどんどん踊るというその行為自体の神格化が、両方から行われてるというか……。

https://www.youtube.com/watch?v=TCFPlUIptew

つやちゃん:(踊ることが)すごくいろんな意味を持つようになってきてる。そう簡単に踊れなくなってきた時代ですよね。

風間:音楽とか文化的なものの機能や役割も変わってきてるし、そこ(=政治的なこと)から離れるような動きも増えてきているとは思うんですよね。ちょっと退避的な音楽であったりとか、「グッドミュージック」みたいなもの、ある種の「逃げ場」みたいな役割が求められるようなこともあるんじゃないのかな、っていうのも思いますよね。

島岡:そうですね。

エンタメを通じた啓発の可能性

つやちゃん:日本はエンタメとカルチャーが切り離されすぎているなと、いつも思っています。楽しさとか娯楽性はエンタメの領域、一方で歴史とか思想とか社会性はカルチャーの領域、みたいな感じで、パキッとわかれてる気がしていて。アメリカではケンドリック・ラマーがグラミーを取るし、ビヨンセがブラックフェミニズムみたいなことを歌う。ヒップホップとかジャズとかソウルといった大衆音楽が、エンタメであると同時にカルチャーで、そこが地続きにあるのが当たり前じゃないですか。日本でそこをつなげていくのはそう簡単じゃないですけど、我々のやれることとして、「翻訳していく」というのはひとつできることなんじゃないかなと思っています。

https://www.youtube.com/watch?v=IyuUWOnS9BY

つやちゃん:例えば、エンタメのすごく売れている人たちについて語るときに、背景にある歴史思想とか文脈を語ることが必要なんじゃないかなと。エンタメの人はカルチャーの人たちのことを小難しいと思ってるし、カルチャーの人たちはエンタメの人たちを「中身のないことばかり言って」みたいに捉えがちかもしれないんですけど、「そうじゃないよね」っていうところが、カルチャーメディアとして大事だなと思いますね。

風間:それに関しては難しくて、アメリカを見ていると、むしろいまはもう1回分けて考えようという動きがあると思うんですよね。ベンソン・ブーンとか、サブリナ・カーペンターとか、アメリカンポップス的な意匠を今もう1回呼び戻すような、1回ちょっとエンタメの方に戻ってみるみたいなタイミングなのかなってという気もします。

https://www.youtube.com/watch?v=O7Dt2L_rAhI

つやちゃん:うん、向こうはそうだと思いますよ。日本はその前提にすら達してない、まだ1周目にもなってないみたいな……。エンタメって、さっき島岡さんが言っていた「いきなり政治の話をするんじゃなくて1歩目、2歩目からだよね」という意味で、すごく有効だと思うんですよね。自分がエンタメを通して(社会のことを)学んできたっていうこともあって、そこの可能性は感じるんですよね。

島岡:はい。最近、NHKの『ひとりでしにたい』っていう綾瀬はるかさんのドラマを見ていたら、ヒップホップのリファレンスっていうか、親子でラップする部分が出てくるドラマで、「ケンドリック・ラマーとドレイクのビーフが〜」っていうセリフがあったんですよ。まさか日本のテレビドラマでも聞くとは! と思ったんですけど。綾瀬はるかさんがブレイズっぽい髪型をされていたり、ヒップホップ像にステレオタイプ的な面はあったものの、フェミニズム的な内容の話でヒップホップの精神性が有効に用いられたドラマでした。

風間:Worldwide Skippaは、(メッセージを)声高に言うよりも意識にすり込むようなアプローチを考えているとインタビューで仄めかしていました。クラブや街で耳にして、普通に聴き心地はいいけど「あれ、なんか今の歌詞?」みたいになる、っていう。それも有効な場面があると思いますね。あと、今回日本語ヒップホップでその応答があったっていうのもやっぱり1つの重要な要素で、ヒップホップはSoundCloudとかで吹き込んだものをすぐ上げられるという応答速度もあるから、フォーマットとしても反応に向いてるだろうし、ただ、それを正しいというか、良い使い方で使っていかないと、これは毒にも薬にもなるんだなっていうのも感じました。

音楽は、歴史を知るきっかけになり得る

https://www.youtube.com/watch?v=ZEOKLz2uiHA

つやちゃん:ちょうどNENEのビーフ(※)もあったじゃないですか。あれは単なる音楽上の争いだけではなくて、ヒップホップの歴史やルーツをどう理解するかという問いを突きつけた部分が大きかったと思うんですよね。いま日本で広がっている排外主義とか、文化的な摩擦みたいなものも、歴史やルーツをどれだけ自分事として知ってるのか、学んでいるのかという点で、つながってるんじゃないかなと思っています。そういったルーツや背景をもう一回ちゃんとみんなで学んでいくことの重要性が——当然それはずっと大事なことではあるんですけど——いま、めちゃくちゃ高まってるし、自分もそういうことをちゃんと伝えていかなきゃなと思っています。

※ラッパーNENEが「Jポップシーンのヒップホップ」に対するディスソングを発表し、ちゃんみな、SKY-HIらを批判したことをきっかけに、双方のファンダムを巻き込んだ議論が白熱した。経緯と争点は以下の記事に詳しい。

つやちゃん. “【業界激震】ラッパーNENEからちゃんみな&SKY-HIへの宣戦布告「ビーフ」が「ヒップホップVS.ポップ」の代理戦争に発展”. マネー現代

つやちゃん:NENEのビーフについての解説記事を書いたんですけど、HANA / ちゃんみな側の人たちから「そんなこと(=ヒップホップの歴史的経緯)は全然知らなかった、教えてくれてありがとうございます!」みたいな反応がたくさんあって、驚いたんです。ヒップホップを聴く人の中では当たり前のことも、知られてないことがあるんだというのはあらためて思ったし、もっとヒップホップのことを知りたい、そこにどういうルーツがあって、どういうカルチャーとして始まったのかみたいなことを、純粋に知りたいし知れて良かったという人がたくさんいるんだなというのは、発見でしたね。その人たちは、NENEの一件があったからこそ知ることができたわけですよね。身近な音楽って、そういうきっかけを与えてくれる大事なものなんじゃないかなっていうのは、あらためてこの何ヶ月間思いましたね。

https://youtu.be/u_QgxDznEvs?feature=shared
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