「知る幸せ」と書いて「知幸」。知ることや学ぶことの幸せ・喜びを体現するSummer Eyeこと夏目知幸が連載初回に訪れたのは、日本橋にある貨幣博物館です。学芸員の方の解説とともに常設展示「日本貨幣史」を鑑賞。そこで知ったことを、写真とともにテキストに綴ります。
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シンセサイザーと大根の物々交換は難しい
第一回は「貨幣博物館に行ってお金のことを知ろう!」だ。
人間はお金が好きだよな。「もうお金とは別れる! 君には出会わなかったことにする! 君のことは忘れる! うう!!」って決別しても数日後には復縁していそうなくらいお金にゾッコンに思える。自分が生み出したものなのにもはや束縛されてる。
なあ……俺たちどうしてこうなっちゃったんだろう? 夜景見ながら抱き合う。気づいたら寝ちゃってて、朝、起きてもやっぱり好き。離れられない。お金ラブ。距離を置くことさえできない。でもよく考えたら、君のこと何も知らない。君ってどこからきたの? てか何でそこにいるの? もっと知りたいな、そんな気分で俺は日本橋へ向かうのだった。

入館。
何の前触れもなく「最古の貨幣はコチラ〜」てな具合に展示がスタートするから、いやちょっと待ってくれ俺は人間とお金の馴れ初めをまずは知りたい! もう付き合ってるところから始まっちゃうわけ? と思って学芸員さんに聞いた。教科書では「お金の前は人間は物々交換していました」って話からラブストーリーが始まったと記憶してるんですけどそいうのはないんすか? と。すると学芸員さん「物々交換していたという資料は人間の歴史の中で1つも見つかっていないんですよ。つまり何の根拠もないので、当館ではそのような説明は一切していないんです」。え! そうなの!?
言われてみると、「AさんとBさんはCとDを物々交換しました」というような記述ってどの文明にも残ってなさそう。さらにもうちょっと想像を膨らませてみる。自分に置き換えてみる。今俺に欲しいものがある、今君に欲しいものがある、お互いにお互いの欲しいものを持っている。しかしいざ物々交換しよや〜ってやり取りするのって、すげえ難しいかも。
俺の欲しいものがRoland MC-202(ヴィンテージのシンセサイザー)で、君の欲しいものが大根だとしたら、俺は大根の他にもいろいろあげなきゃ! って思うけど君は大根以外はいらないかもしれない。でも俺だってMC-202は諦めて、じゃあ大根と交換ならそのカポタストでいいっすわ、なんてわけにはいかない。
え、物々交換むずいじゃん。なんか面倒臭いな。やめましょう、俺、お金払ってあなたのMC-202を買うんで、あなたは八百屋行って大根買ってください。それが一番いい! ね、学芸員さん、そういうことっすね?
「本当にその通りです。物々交換の歴史的資料はないですが、お金ができる前は共通の価値を見出し易いものをお金として使っていた記録は残っています。日本だとお米や布です」と学芸員さん。
なるほど。衣食住の最初の二つ強い。でもそれならずっとそれでよかったような気がするけど、ま、米も布もいつかは腐る。あと、かさばる。他のもんに比べたらだいぶ持つとはいえ腐るから、腐らないしかさばらない、貨幣や紙幣に取って代わっていったということなのだろうね。


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君の影が薄ければ、僕はもっと自由かもしれない
とはいえすぐにはそううまくもいかず、お金はゆっくり時間をかけて信用されてきた。そういう歴史を知ることができる展示だった。
なかでも驚いたのが、平安時代の中頃に銅銭の発行が中止されてから600年、日本では正式なお金が作られなかったらしい! 中国から入ってきた貨幣を使ったり民間で鋳造したものを代わりにしていたというのだ。けっこう長い間、国のオフィシャルマネーなし。アンオフィシャルマネーだけでやり取りしてたってこと。
もしくはやっぱり米とかを共通価値としてお金の代わりにしていたのかな。楽しそうだな。面倒臭そうだけどちょっと楽しそうって俺は思った。たぶん、今の世の中はお金が強すぎるって感じているから。君の影が薄い世界で暮らせたら、もしかしたら僕はもっと自由かもしれないから。
600年お金が作られなかったのは、貨幣を発行できる権力があって、信用があって、技術もある政府が出てこなかったってことみたい。今俺たちがお金と蜜月の時間を過ごせているのは、社会が成熟して、国って制度が安定的に運営できているおかげ。逆にいうと、お金との別れがくるとしたら国が崩れるときってことかもね。
お金と別れたくて別れたくて仕方なくても、「もう嫌い!」って言っても無駄だし、距離を置いて自然消滅を狙ってもダメ。この社会や国を壊すしかない。さすがにそれは面倒だ。本当にうっとおしい君だけど、僕たちうまいこと付き合っていくしかないね。僕は努力しようと思ってる。