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その選曲が、映画をつくる

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』ホアキンとレディ・ガガが歌い踊ることの意味

2024.10.9

#MOVIE

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が、いよいよ2024年10月11日(金)より公開となる。数々の名優が演じてきた『バットマン』の敵役=ジョーカー。そのキャラクター像を刷新し大きな話題となった、ホアキン・フェニックス版『ジョーカー』(2019年)の続編となる作品だ。

本作には、前作とは異なる大きな特徴がある。それは、登場人物が歌って踊る場面がかなり多く含まれている、という点だ。ダークでシリアスな世界観とは不釣り合いなようにも思われるこの演出は、本作に何をもたらしているのか。評論家・柴崎祐二が、「この映画はミュージカルなのか、否か」という問いを起点に論じる。連載「その選曲が、映画をつくる」第19回。

※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

話題作続編の大注目作、レディ・ガガが出演

2019年の公開直後から大きなセンセーションを巻き起こした映画『ジョーカー』。今回紹介するのはその続編となる作品で、ゴッサム・シティを震撼させるスーパーヴィランとして祭り上げられる至ったジョーカー=アーサー・フレックの「その後」を描く映画だ。前作に引き続き名優ホアキン・フェニックスが主演を務めているのに加え、新キャラクターの「謎の女リー」としてレディ・ガガが出演することが早い段階から報じられ、公開前から大きな期待の声が寄せられていた。DCユニバースのファンはもちろんのこと、多くの観客が本年度有数の注目作として公開を待ち望んでいたのが、本作『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』といえる。

あらすじを紹介しよう。時は1980年代半ば。2年前、合計5人(起訴状に含まれない秘密の殺人を含めると6人)の殺人罪で逮捕・起訴されたゴッサム・シティ在住の男=アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、粗暴な看守たちが闊歩するアーカム州立病院に勾留され、裁判の開廷を待つ日々を送っている。弁護人のマリアンヌ(キャサリン・アン・キーナー)は、アーサーが幼い頃に受けた虐待によって彼の中に「ジョーカー」という別人格が現れたとし、精神障害に起因する事案として無罪判決を勝ち取るべく接見を重ねている。

そんなある日、病院内の治療プログラムに参加したアーサーは、一人の女性と出会う。ジョーカーをヒーロー視しているその女「リー」(レディ・ガガ)は、自らの苛烈な過去をアーサーに語り、彼もまた彼女へと惹かれる。リーと過ごす時間の中で、再びジョーカーとして覚醒していくアーサー。そして、アメリカ中が注目する世紀の裁判の幕が上がる――。

ホアキンとガガが、グレートアメリカンソングブックを歌う

ポップミュージック界のスター=レディ・ガガが重要な役どころを演じていることからもわかる通り、本作の主要な魅力の一つに、音楽、とくに歌曲の巧みな使い方が挙げられる。前作『ジョーカー』でもいくつかのポップソングが顕著な効果を発揮していたが、今回はそれを更に上回る存在感で、ほぼ全編に音楽が配置されている。しかも、それらのほとんどは、既存音源を使用するのではなく、アーサー(ジョーカー)やリーが実際に劇中で歌唱しているのだ。

本作には、ホアキン・フェニックス演じるアーサー(ジョーカー)(左)と、レディ・ガガ演じるリー(右)が歌い、踊るシーンがたびたび登場する。

サウンドトラック盤の曲目を元に、代表的な楽曲を挙げよう(参考のため、作曲者、オリジナルまたは主な歌唱者、同曲が使用された代表的な映画 / 舞台作品がある場合、その名称を曲名以下に併記する)。

“Slap That Bass”(作曲:ジョージ・ガーシュウィン / 作詞:アイラ・ガーシュウィン / 歌唱:フレッド・アステア等 / マーク・サンドリッチ監督『踊らん哉』1937年)

“Get Happy”(作曲:ハロルド・アーレン / 作詞:テッド・ケーラー / 歌唱:ルース・エッティング、ジュディ・ガーランド等 / チャールズ・ウォルタース監督『サマー・ストック』1950年)

“What The World Needs Now Is Love”(作曲:バート・バカラック / 作詞:ハル・デヴィッド / 歌唱:ジャッキー・デシャノン)

“For Once In My Life”(作曲:オーランド・マーデン / 作詞:ロン・ミラー / 歌唱:バーバラ・マクネアー、スティービー・ワンダー等)

“If My Friends Could See Me Now”(作曲:サイ・コールマン / 作詞:ドロシー・フィールズ / 歌唱:シャーリー・マクレーン、リンダ・クロフォード等 / ブロードウェイミュージカル『スイート・チャリティー』1966年)

“Bewitched”(作曲:リチャード・ロジャース / 作詞:ロレンツ・ハート / 歌唱:ヴィヴィアン・シーガル、ドリス・デイ等 / ブロードウェイミュージカル『夜の豹(Pal Joey)』1940年)

“That’s Entertainment”(作曲:アーサー・シュワルツ / 作詞:ハワード・ディーツ / 歌唱:フレッド・アステア等 / ヴィンセント・ミネリ監督『バンド・ワゴン』1953年)

“When You’re Smiling”(作曲・作詞:マーク・フィッシャー、ラリー・シェイ、ジョー・グッドウィン / 歌唱:シーガー・エリス、ルイ・アームストロング等)

“To Love Somebody”(作曲・作詞:バリー・ギブ、ロビン・ギブ / 歌唱:Bee Gees)

“(They Long To Be) Close To You”(作曲:バート・バカラック / 作詞:ハル・デヴィッド / 歌唱:リチャード・チェンバレン、Carpenters等)

“The Joker”(作曲・作詞:アンソニー・ニューリー、レスリー・ブリッカス / 歌唱:アンソニー・ニューリー / ミュージカル『The Roar of the Greasepaint – The Smell of the Crowd』1964年)

“Gonna Build a Mountain”(作曲・作詞:アンソニー・ニューリー、レスリー・ブリッカス / 歌唱:サミー・デイヴィスJr.等 / ミュージカル『地球を止めろ 俺は降りたい(Stop the World – I Want to Get Off)』1961年)

“I’ve Got The World On A String”(作曲:ハロルド・アーレン / 作詞:テッド・ケーラー / 歌唱:キャブ・キャロウェイ等)

“If You Go Away”(作曲・作詞:ジャック・ブレル / 英語詞:ロッド・マッケン / 歌唱:ダミタ・ジョー、シャーリー・バッシー等)

“That’s Life”(作曲・作詞:ディーン・ケイ、ケリー・ゴードン / 歌唱:マリオン・モンゴメリー、フランク・シナトラ等)

“True Love Will Find You in The End”(作曲・作詞・歌唱:ダニエル・ジョンストン)

このリストを見てもらえれば分かる通り、一般に「グレートアメリカンソングブック」と呼ばれる、「古き良き」時代の米国産ポップソングが多数を占めている。前作でも“That’s Life”が(殺害されたエンターティナー、マレー・フランクリンの番組テーマソングとして)目立った使われ方をしていたことを思い出せば、そうした路線をより一層推し進めたものともいえそうだ。更には、そのレパートリーと劇中での登場の仕方、つまり、上述の通りアーサー(ジョーカー)とリーによる「実際の」歌唱によって披露されるという形式からも、この映画が往年のハリウッドミュージカル映画の音楽表現を踏まえた作品であるのは間違いのないところだろう。

本作はミュージカル映画なのか?

しかし、公式資料によると、この作品を「ミュージカル」とカテゴライズするのは好ましくなく、あくまで「サスペンスエンターテインメント」として鑑賞してほしいと、わざわざ断りが入れられているのだ。これは一体どういうことなのだろうか。本作の監督のトッド・フィリップスは、「来たるべき『ジョーカー2』はミュージカル映画になるらしい」という公開前の噂を修正するように、以下のように語っていた。

「実際にそのように(引用者注:続編がミュージカルであると)話したことはないですが、この映画では音楽が不可欠な要素であることは確かです。私にとって、それは最初の映画からそれほど大きく外れたものではないのです」

Joker: Folie à Deux director Todd Phillips explains musical sequences: ‘It’s different’, 『Entertainment Weekly』

「この映画の音楽のほとんどは、実際には単なるセリフです」

「アーサーは言いたいことを言葉で表現できないので、代わりに歌っているだけです」

「この映画を『イン・ザ・ハイツ』みたいな映画だと考えてほしくないんです。酒屋の女性が突然歌い出して、みんなが通りに出て、警官も一緒に踊るような映画だ、とね」

Todd Phillips Tells All on Making ‘Joker 2’: Musical Numbers, Method Acting and Joaquin Phoenix’s Broadway Dream That Started It All, 『Variety』

同じくリー役のガガも、公開前のインタビューで次のように語った。

「この映画の音楽へのアプローチはとても特別で、繊細だと思います。これは必ずしもミュージカルだとは言えません。多くの点でかなり異なります」

Does the Joker: Folie à Deux team know what a musical is?, 『Out』

一般的にミュージカルというと、「演技中に役者たちが突然に歌い出す」ものとして理解されていることに照らすならば、本作『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』もまさにその定義に当てはまりそうだ。しかし、おそらく単に「突然歌い出す」以上に重要なミュージカルの特質とは、「主にセリフや身体的演技が司るシナリオ上の時間を『中断』する形で」突然に歌が始まる、という点にある。その点、フィリップスとガガが自ら指摘するように、本作における音楽ほとんどは、登場人物たちの独白や対話(あるいは鼻歌)といった台本上の時間の延長線上に展開されるものであり、そこに明確な「中断」は生じていないのだ。

アーサー(ジョーカー)とリー達の「歌い出し」がどんなに唐突に見えようとも、劇中で彼らが司る時間と歌の時間は、一応の順延関係に置かれている。“For Once In My Life”が歌われる二人の出会いのシーンをはじめ、面会に訪れたリーがアーサーに歌いかける“(They Long To Be) Close To You”や、テレビ番組のインタビュー中にアーサーが突如歌出だす“Bewitched”にしても、あくまで劇中に流れる時間の流れ=特定の「リアリティ」の内部で、(見た目上)唐突に披露されているに過ぎない。こうしたことを踏まえると、たしかに本作は一般的な意味における「ミュージカル作品」であるとはいえず、あくまで一般的なセリフ劇のやや風変わりな例と理解するのが妥当に思えてくる。

アーサー=ジョーカーの二重性を思わせる音楽の使用法

しかしながら本作の特徴としてより一層興味深いのは、上述の観察とは矛盾するようだが、それでもなお「中断」としかいいようのなさそうな「ミュージカル的」な瞬間が少なからず仕込まれているという点だ。

そうした「矛盾」が最もはっきりと現れているのが、アーサーが、自ら作り上げた妄想世界の中で歌と踊りを披露するいくつかのシークエンスである。彼の妄想世界は、看守らが支配する冷厳な現実とは、時間の流れは当然ながら、空間から身体的な表象まで、全てが異なっている。それは、かつてのアーサーが(前作『ジョーカー』の序盤で)夢見たマレー・フランクリン・ショーでの晴れ舞台とも似て、なんともゴージャズで、エンターテインメントの輝きに満ちたものである。その世界の中の彼は、下層家庭出身の悲しき青年アーサーではない。まぎれもなき一つのペルソナ=ジョーカーとして、現実から遊離し、現実を否定する虚構のエンターテインメントの時間を、妖しく司っているのだ。リーと共に“To Love Somebody”や“Gonna Build a Mountain”を歌い踊る一連のシーンは、まさしくそうした「中断」を象徴するものといえるだろう。

そう考えるならば、先程の見方を反故にして本作を「ミュージカル映画」と断じてしまってもいいように思われる。だが、それにはなおも躊躇させられてしまうのだ。なぜかといえば、そこに見られる「中断」が、一般的に想像されるミュージカル作品に見られる素朴な「中断」を超えて、あまりに深く、かつ距離の大きなものだからである。

社会学者の宮本直美は『ミュージカルの歴史 なぜ突然歌いだすのか』(中公新書、2022年)の中で、「中断」がミュージカル表現にもたらす効果を論じる一方、黄金期(1940年代〜1960年代)のブロードウェイミュージカルを後年から高く評価する際の価値軸として、「統合」という概念が評論界に共有されていった様を紹介している。その上で、音楽劇研究者ジェフリー・ブロックが整理してみせたミュージカルにおける「統合」の特徴を、次の通り書き出している。

・物語の筋を進める歌

・対話から直接流れる歌

・歌っているキャラクター自身を表現する歌

・筋を進め、歌のドラマ性を高めるダンス

・筋に寄り添い、あるいは筋を補完し、芝居を進めるオーケストラ

宮本直美『ミュージカルの歴史 なぜ突然歌いだすのか』(中公新書、2022年) p.101-p.102

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の音楽使用の様をこのリストに照らすならば、いくつかの点ではたしかに合致しつつも、同時にいくつかの点でかなりの断絶があることがわかる。

アーサーが自身の妄想の中で繰り広げる虚構のパフォーマンスは、彼のキャラクターの特異性を巧く表現している一方で、しばしば台本上の「筋」を進めたり、補完する機能とはほぼ無関係に、より正確にいえば、映画内の「リアリティ」を撹乱するような形で現れる。つまり、本作における音楽と踊りの一部は、しばしばシナリオの時間の「中断」ですらない、映画内世界それ自体の統合性の決定的な不全として表象されているのだ。

このことは、本来ならば「統合」のために「筋に寄り添い、あるいは筋を補完し、芝居を進める」べきオリジナルスコアの扱いに鑑みても、はっきりとするだろう。一般に黄金期のミュージカル作品では、歌曲とアンダースコアのスムースな切り替えによって「統合」が成される例が多いのに比べ、本作では、ヒドゥル・グドナドッティルによるスコアとミュージカルナンバーが入り混じり、お互いを冒していくように、しばしば不協和音を含んだ不安定なハーモニーが流れ出るのだ。耳慣れた名曲の明るく伸びやかな和音が現れたかと思ったら、次の瞬間には不穏なスコアと混ざり合い、耳心地の悪い響きがすぐにとって代わるのである。

病理学上の概念と安易かつ過度に結びつけることは自制しなければならないが、それでもやはり、この音楽の配置は、アーサーが抱えている(と推察される)解離性障害とのアナロジーを企図したものと解するのが自然であろう。前作から、アーサー(および多くの現代人)が抱えるメンタルヘルスの問題が執拗に描かれ続けてきたという事実を踏まえるならば、そうした見取り図は、より一層の説得性をもって私達観客に揺さぶりをかける。

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