メインコンテンツまでスキップ
NEWS EVENT SPECIAL SERIES
その選曲が、映画をつくる

『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』元首相誘拐事件を描いた長編作の「if」

2024.8.8

#MOVIE

事実を元にした物語のジレンマを、メタ的に描く場面

これほどまでに直裁的ではないにせよ、他にもこの映画の「映画性」を自らの手で暴く印象的なくだりがある。一つは、「ある場所にモーロが収容されている」という不確かな情報を元に、コッシーガがその場所=精神病棟へと赴く場面だ。当然ながら、その情報はガセネタで、コッシーガは深く落胆する。だがしかし、自身も精神的なバランスを崩しつつあり、可能性のあるあらゆる「視点」を虱潰しに当たっていくことに固執する彼は、モーロの監禁という非常事態が引き起こすあらゆるパターンの物語の可能性を合理的な判断に基づいて排除することができないという、一種の隘路へと追い込まれている。

これはまさに、現実の事件に関する様々な資料や見解を収集しようとも、絶対唯一の真実を描く「物語」は原理的に成立しえないというジレンマに行き当たる他ない後年の語り部および映画作家=ベロッキオ彼自身のジレンマを、象徴的な形で代弁したシークエンスだと考えるべきではないだろうか。

このような入り組んだ論点を考えるにあたって最も示唆に富んでいるのが、第5幕に描かれている、ある老シスターからのエレオノーラへの情報提供と、その「種明かし」にあたる一連のエピソードだろう(ベロッキオいわく、このエピソードは「再構築」どころか、完全なる創作だという)。老シスターはまず、「目隠しをされたモーロが数人の若者たちによってある建物に運び込まれるのを確かにこの目で見た」と主張する。エレオノーラはその話に戸惑いながらも、一縷の望みにかけて、その建物へと赴く。しかし、そこで繰り広げられていたのは、モーロと「赤い旅団」のメンバーに扮した演劇部の教授と学生たちが、演習と称して一本の映画を撮影している様であった。

この、一見蛇足とも思われる事実とは無関係のエピソードこそは、今まさに私達が目撃しているイメージの連なり自体が、この劇中映画と同じような再構築された物語であるほかないことを再確認させる決定的装置となっているのだ(*)。作り手と観客の間に共有された暗黙の協約=「事実を元にした物語は、事実を元にしている」というトートロジックな命題に揺さぶりをかけ、映画が本来的に秘めているはずの可能性を開花させる機会を、ベロッキオは常に虎視眈々と伺っているのである。

*本作のタイトルである「Esterno notte」とは、映画制作時における夜のロケーション撮影を指す用語でもある。

記事一覧へ戻る

RECOMMEND

NiEW’S PLAYLIST

編集部がオススメする音楽を随時更新中🆕

時代の機微に反応し、新しい選択肢を提示してくれるアーティストを紹介するプレイリスト「NiEW Best Music」。

有名無名やジャンル、国境を問わず、NiEW編集部がオススメする音楽を随時更新しています。

EVENTS