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柴崎友香と語る、「おもろい女」でも「ていねいな暮らし」でもない私たち

2025.7.31

#BOOK

漫画家オカヤイヅミさんが、ゲストを自宅に招いて飲み語らう連載「うちで飲みませんか?」。第11回は小説家の柴崎友香さんにお越しいただきました。

学生時代、柴崎さんの小説に背中を押されてきたというオカヤさん。4時間半にわたったサシ飲みから、その模様を凝縮してお届けします。

当日振る舞われた「貝柱としいたけのしゅうまい」のレシピもお見逃しなく!(レシピは記事の最後にあります)

集団で移住したい

柴崎:北海道・東川町の日本酒とワインを持ってきました。

オカヤ:ありがとうございます。パッケージがかわいいですね。

柴崎:私は町が主催している「写真の町東川賞」の審査員をしていて、毎年夏に授賞イベントがあって呼んでいただいているんです。東川町は移住する人が増えている街で、新しいお店ができたり、蔵元を誘致してこういうお酒も作っていたりするんですよ。

オカヤ:いいですね。都内は本当に家賃が上がっていて、次に引っ越すときはいよいよ地方かなとも少し思うんですけど、私は北海道に住めるかな……。

柴崎友香(しばさき ともか)
1973年、大阪府生まれ。1999年「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」が文藝別冊に掲載されデビュー。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、2014年「春の庭」で芥川賞、2024年『続きと始まり』で芸術選奨文部科学大臣賞、谷崎潤一郎賞を受賞。その他の小説に『パノララ』『かわうそ堀怪談見習い』『百年と一日』など、エッセイに『よう知らんけど日記』ほか、著書多数。

柴崎:やっぱり冬が寒いのと、車がないと難しいのはあるかもね。

オカヤ:そうですよね。あと、友達が周りにいないのはやっぱりしんどそうで。

柴崎:本当にね。だから、この間会ったときもその話になったけど、集団移住ですよ。

オカヤ:最近友達ともよくその話題になります。単身中年女性の集団移住。移住先のコミュニティにうまく入れなそうな人たちで、みんなで一緒に行けばいいんじゃないかって。

柴崎:一人で知らない土地に越すのはなかなか大変だからね。誰かいるほうが、地元のコミュニティに参加するハードルも下がりそうだし。

オカヤ:「あそこのお店おいしそうだから行こうよ」とかは、できたいじゃないですか。

柴崎:できたい。富士真奈美と吉行和子と岸田今日子は、ずっと近所に住んでいたんですよね。ああいう感じになれるといいですよね。

オカヤ:仲良しでいいですよね。それぞれが活躍していて。そういえばうちの父親がその三人のドラマをやってましたね(※)。三人で氷川きよしを追いかけて佐渡島に行って、そこで殺人事件が起こる(笑)。

柴崎:あはははは。

※オカヤさんのお父さんは、2時間サスペンスや刑事ドラマなどを手がけるテレビドラマ監督だった。

この日のメニューは、貝柱としいたけのしゅうまい、ゴーヤと茗荷とシラスの酢の物、ビーツのピクルス、ズッキーニ天、紅しょうが天、太そうめんのにゅうめん。貝柱としいたけのしゅうまいのレシピは記事の最後に!

柴崎:私は若い頃、友達が住んでいた学生寮に入り浸っていたことがあって、こういう居住スタイルはいいなと思いましたね。自分の部屋もあって、リビングみたいなところに行ったら誰かしらいて。

オカヤ:人恋しいけど一人になりたいですからね。一人になれる空間は必要。

柴崎:それで、離れたところに住むにしても、ちょっと集まったり、ごはんを食べれる場所があると一番いいんだけど。すごい売れてお金持ちになったら、建物を買って、一階は本屋とカフェみたいにして……みたいな夢が、文化系の人はありますよね。

オカヤ:わかります。ギャラリーみたいに展示もできて、音楽やる人もいるからたまにそこでライブとかもやって。大学生のときから言ってます。

柴崎:そうそう。文化系の人がよく語る夢。

オカヤ:中年の一人暮らしは、孤独死とかもありますからね。

柴崎:一人で死ぬこと自体はいいとして、倒れた状態で助けが呼べないとか、死んだあとになかなか気づかれないのが困るなあと。

オカヤ:腐りたくないですよね……。

柴崎:見守りアプリを検索したりしてます。

大胆さや奔放さが求められてきた女性の表現者

柴崎:ここ数年、1980年代くらいの映画をよく見ているんですけど、その時代の作品って、わりと若い女優さんが脱ぐじゃないですか。

オカヤ:「体当たり演技」と言われてましたよね。

柴崎:そうそう。脱ぐだけじゃなく、あらためて観ると、ストーリー上も対等な関係には思えなかったり今で言う「不同意」なシーンも多かったり。この場面はそういうふうに撮らなくてもいいんじゃないかと思うけど、その当時は、そういう若い女性像が自立した自由な女みたいに言われる面もあって。

オカヤ:演技に向き合っているタイプの人だ、腰掛けじゃないんですよ、みたいな意味を持たされていましたよね。

柴崎:たしかにその女優さんの演技や存在感は素晴らしいんですよ。素晴らしいからいっそう、こういうストーリーや撮り方以外にもあったんじゃないか、って。当時は、映画を作る側やお金を出す側はほぼ男性、一般の職場でも男女の待遇にすごく差があった世の中というのがあって、登場人物としての女性も演じる女優さんも、「性に奔放」や「体当たり演技」が「新しい女」イメージになってたんだなあと。

オカヤ:小説とかでもそうですよね。女の人の表現には、生々しい描写が求められる、みたいな。

柴崎:身体に関わることや、性的に奔放なところを表現すると「女性ならではの」という感じで評価されるみたいなことですよね。先日与謝野晶子の小説を読む機会があって——与謝野晶子が小説を書いていたのは知らなかったんですけど。

オカヤ:私も知らなかったです。

柴崎:短篇をいくつも書いていたんですが、男性の大御所作家からはあまり評価されなかったらしくて。与謝野晶子の短歌やほかの文章に比べたら、確かにずば抜けてすごいという感じではないかもしれないけど、読んだら小説としての試みをしようとしていて面白かったんですよね。与謝野晶子というとやはりその人生と結びついた激しさを感じる作品がまず語られるし、自分自身もそう思っていたところはあったなと。

オカヤ:武田百合子の『富士日記』(1977年)とかを読んでも、そういうことをちょっと思ってしまうようになりました。『富士日記』に描かれる生活じたいは穏やかだし、ごはんもおいしそうだけど、これが出版されて評価されたのは「おもろい女」として男性たちに認められたからなんだよな、みたいなことは意識させられますよね。

柴崎:武田泰淳は武田百合子に何回も中絶させてるじゃないですか。そういうことを知ると、読んでいてもいろいろ考えてしまいますね。

1990年代サブカルの功罪

オカヤ:私は2000年前後に小劇場の演劇を手伝っていたので、男の人が全裸になるような「とがった」笑いや前衛を、女でも普通に観ている私かっこいい、みたいな価値観の渦中にいたんですよ。

柴崎:1990年代のサブカルは、どのジャンルでもそういうことがけっこうあった。いまから見ると「うーん」て思うけど、そのときはそのときで、ある別の価値観からの脱出であったわけです。

オカヤ:はい。ブスですが? タバコも吸うしお酒も飲みますが? みたいな振る舞いが、「おとなしくかわいい女じゃないんですよ」という表現でもありましたね。もっとアングラな、死体写真とかが流行ったり。それも、何かを壊そうとしていたことはたしかで。

柴崎:でもいま、そこの表面だけを見ると「うーん」ってなる。そこをどういうふうに捉えたらいいのか、そのときはどういう感じだったのかというのは、もう少し書きたいなと思っていることですね。個人的な断片ではあるものの、渦中にいた感覚みたいなのを書いておきたいなと。

オカヤ:上の世代にも下の世代にもわかりづらいですよね。反体制の態度の違いというか。

柴崎:そうそう。社会のあり方もいまと違ったからね。

オカヤ:そういう意味では、これでもまだちょっといまの方がいいのかなと思いますよね。この10年でもだいぶ違う感じがします。

柴崎:はい。自分自身もこの10年くらいで見え方が変わった部分もあるし、よくなってきたこともたくさんある。

名称を与えられることへの複雑な思い

オカヤ:「一人暮らしで自炊する」ことの受け取られ方が、すごく変わった気がします。10年前だと「家庭的なんですね」みたいに言われたりとか、花嫁修行文脈に受け取られることもありましたし。

柴崎:はいはい。「いい奥さんになりそう」文脈、あるいは「ていねいな暮らし」文脈。

オカヤ:そうそう。「ていねいな暮らし」みたいに思われるのは、いまでもちょっとあります。だから、「別にUber Eatsとかも頼みますよ」「カップ麺も食べますよ」って言わないと、なんかバランスが取れない気がしてしまいます。「普通です!」って。

柴崎:単に自分で作った方が食べたいものが食べれるんで、とかわざわざ説明しないと別のイメージで受け取られてしまう。

オカヤ:そう。「違うんです! ていねいな暮らしじゃないんです!」ってわざわざ言うのも変な話なんですけどね。でもいまマウントを取ることにすごく敏感な世の中だから、「いい気なもんですな」とか、有閑な富裕層みたいに思われても困るので……。

柴崎:それ(言葉で括ることについて)は小説を書いていても難しくて、オカヤさんの『雨がしないこと』も説明する難しさがあるじゃないですか。主人公の雨はアセクシャルという言い方もできるんだけど。

オカヤ:そうそう。アセクシャル、アロマンティックと言うかどうかは悩んだんです。いま恋愛しないだけかもしれないし。

柴崎:他者のありようを「生まれつきアセクシャルなんです」と言えば認める、みたいなのも、おかしいじゃないですか。一般的とされていることや自分と違うことに名前をつけないと納得しない、ただその人がそうであるということを納得しないのはどうなん? という気持ちがずっとあります。

オカヤ:全員を人間扱いしてくれればいいわけですからね。でも、名付けられたことで生きやすくなる人もいる。

柴崎:そうそう。概念や言葉によって、自分でもなるほどと思ったり捉えやすくなったり、自分だけじゃないと思えたりもする。言葉によって知ることができたという人もいるだろうから、必要性ももちろんあります。でも、「こういうものだからしょうがない」という説明がないと納得してもらえない世の中もどうなのかなとも思う。あ、そうなんや、でいいのでは? と。

オカヤ:そのときそういう気持ちだっていうことも尊重してよ、と思いますよね。揺れてちゃだめですか? って。

「なにげない日常」とわざわざ形容されなくなってよかった

柴崎:いい方に変わってきてるなと思うこともあって、私がデビューしたぐらいのときは、男友達みたいな関係性も説明を求められることがあったりしました。男女が二人で部屋にいてしゃべっている場面が小説にあると、「なぜこの二人は恋愛関係にならないんですか?」と聞かれたりとか。

オカヤ:恋愛って強いんだなと思いますよね。

柴崎:そう。フィクションの中で磁場が強い。いまはもう、なぜ恋愛や性的な関係にならないかをことさら言われることはなくなったよね。

オカヤ:恋愛以外のことを考えていていいんだ、描いていいんだ、というのは、それこそ大学生ぐらいの頃に柴崎さんや長嶋有さんの小説を読んで、背中を押されたところがあります。「日常の中で物事を見て、何かを思って、そのことを書いたら面白いんだ。よかった!」と思わされた感じはすごくありましたね。

柴崎:そういう小説を書くことについて、最初の頃はよく質問されたりしたけど、いまはわざわざ言われないですね。よく「なにげない日常を書いてる」とひとくくりに言われがちだったんですが、先日作家の滝口悠生さんと対談したときに「柴崎さんたちの世代ががんばってくれたからか、僕たちは“なにげない日常を〜”みたいなことは特に言われなくなりました」みたいに言っていて、それはよかったなと思います。

オカヤ:そうですね。私がデビューした15年前くらいは、よく「ほっこり」と言われてびっくりしたんですけど。

柴崎:そうそう、「ほっこり」って言われるよね! それこそ自炊するっていうだけで「ほっこり」って言われるようなところがある。

オカヤ:恋愛や、奔放な性みたいなもの以外の価値が、特別なジャンルとかではなく、当たり前になってきてよかったです。

柴崎:そうね。男女の間には恋愛が基本設定みたいな時代からしたら、いまはいろいろあっていいなと思う。けど、私は根が天邪鬼だから、逆にいまみたいにフィクションでの恋愛の位置が低い感じになってくると、「恋愛は恋愛で書けるおもしろさがあるよ」みたいに思ったりもします(笑)。

書籍情報

柴崎友香
『帰れない探偵』
発売中
価格:2,035円(税込)
講談社

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