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xiangyuの「そんなものに名前があったんだ図鑑」に新しく加わった、遠慮のかたまり
ー遠慮のかたまりをおもしろいと思ったのは、その現象に名前があるということですか? それとも遠慮のかたまりが発生する現象ですか?
xiangyu:名前があることです。「あのパーツに名前あったんだ」みたいなことを調べるのが好きなんですよね。食パンの袋についてる青いやつにクロージャーって名前があることとか、肘をぶつけてビリビリするのはファニーボーンって言うんだなとか。ファニーボーンのことは曲にしたんですけど、そういう自分の性質があるからこそ、「めっちゃよく知ってるあの光景を『遠慮のかたまり』って呼ぶんだ」ってことが単純に超おもしろくて、みんなに知ってもらいたいとか思うよりも前に、作品にしたいなと思いました。
ーxiangyuの「そんなものに名前があったんだ図鑑」があったとしたら、それに新しく入ってきた言葉が遠慮のかたまりだったっていうことなんですかね?
xiangyu:そうそうそうそう! まさにそんな感じ。それに「遠慮」の「かたまり」っていう言葉自体、控えめな感じが日本っぽいなと思ったんですよね。他の国でも似た言葉があるのか気になって調べてたら、日本国内でも地域差があることがわかったんです。遠慮のかたまりは関西圏で広く使われている言葉で、他には「関東の1つ残し」とか青森・津軽地方では「津軽衆」という言い方もある。しかも、津軽地方の人は、「遠慮深い」という自覚があるからこそ勇気をもって食べる人を「津軽の英雄」と呼ぶらしいんです。同じ日本人でも、文化が違えば、言い方が変わるのがおもしろい。
ーそこにあるものをあると認めて、それに至る過程や関わる人の思惑を想像する『遠慮のかたまり』は、前作の『OTO-SHIMONO』の延長線上にあるテーマだと思います。今回は遠慮のかたまりという言葉の存在に惹かれた一方で、前作のEPを作るきっかけは、「道にありえないものが落ちている現象」のおもしろさだったのでしょうか?
xiangyu:そうですね。靴がかたっぽだけ道に落ちてることあるじゃないですか。ライブとかの遠征の車でぼんやり外を見てることが多いから、そういうのを見ると「何がどうやってここに来たんだろう」とか考えるのがすごい好きで。冬の街中に落ちている手袋がたまたまピースサインの形になってたらニヤッとする。自分だけの1人遊びを見つけるのが好きなんだと思います。

ーいつ頃から1人遊びをするようになったんですか?
xiangyu:学生時代、実家から文化服装学院まで毎日片道1時間半かけて通ってたんですけど、当時iPodを持ってなかったので、周りの人の会話を自然と聞くようになったんです。朝の殺伐とした通勤ラッシュのおじさんの独り言とか、平日の昼間のおばあちゃん同士の謎の会話とか。知らない人たちの話がなんだかラジオみたいで、「人の話を聞くのっておもしろいな」って気づきました。今でも電車やカフェで他人の会話に聞き耳を立てて勝手に楽しんでます。ゲームしたり、本を読んだりするように、私は人の話を聞いているだけなんですよね。