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石田えり版がとった個性的な演出
遅ればせながら、映画『私の見た世界』のことを書こう。映画がはじまって数分経ったところで、映画のタイトルが示すものがわかる。文字通り、福田和子が見ていたであろう風景、そして、次々と目の前に現れる人間たち、(ほぼ)だけで、この映画は構成されている。69分というタイトな上映時間でまとめられた、とても攻めた映画である。
その「攻め」は、個性的な演出だけではない。あらかじめ福田和子の物語を知っている人でなければ、説明不足とも思える部分も少なくない。それを目の当りにしながら、石田えりも、福田和子にずっと憑かれていたのだと解釈する。この映画を観に来る人なら、きっと誰も知っているであろう部分を端折って、石田えりが見せたい風景が続いていく。
出てくる人、出てくる人、どれもこれもが醜悪である。まるで人の好さそうな人たちもまた、どこか醜悪に描かれている。悪意がその人の顔を怪物のように歪める特殊な演出は、松山刑務所でのあまりにも胸糞悪い事件が、彼女の逃亡に深く影響していたことを暗示している。どれだけ醜悪な世界にいようとも、とにかく、あんな場所に戻ることは考えられなかったのだろう。服役して10年も生きることが出来なかったことを、しみじみと噛みしめてしまう。
女優として福田和子は「演じ甲斐」のある素材だと思われるが、先に書いたように、主人公である福田和子(遅ればせながら、映画では佐藤節子という名前になっている)を演じる石田えりの顔はほとんど登場しない。唯一、その姿が登場するシーンは、まるでマヤ・デレンの映画「午後の網目」(1943年)を彷彿とさせる鮮烈な演出がなされている。
