15年の逃亡劇の末、時効直前に逮捕された指名手配犯・福田和子の人生は、これまでたびたび様々な創作のモデル / モチーフとなってきた。7月26日(土)から公開される映画『私の見た世界』もそのひとつだ。
福田和子の物語はなぜそんなにも、我々を惹きつけ続けるのだろうか。福田モチーフの映画やドラマを「やっていると必ず見てしまう」という安田謙一(ロック漫筆)に、本作と「福田和子もの」についての寄稿を依頼したところ、クスッとしつつもグッとくる不思議なテキストが届いた。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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たびたび映像化されてきた福田和子の逃亡劇
映画『私の見た世界』が7月26日に公開される。これほど無視出来ない新作映画もそうはない。なにせ、大好きな福田和子の物語を、これまたずっと好きだった女優、石田えりが監督(のみならず、脚本、編集、主演)するというのだ。
これまでに何度も福田和子の逃亡劇は映画、ドラマ(情報バラエティ番組の再現フィルム含む)で扱われてきた。ウィキペディアで福田和子を検索すると「福田和子を演じた女優」という項目がある。藤山直美主演、坂本順治監督の映画『顔』(2000年)にはじまり、今回の『私の見た世界』の石田えりまで、11の作品が紹介されている。これがすべてかどうかは判断しかねるが、それにしても、の数である。自慢じゃないけど、ほぼすべてを観ている。このリストには再放送(再現ドラマ部分の使い廻し)が含まれていないのだが、数年前にはひと月の間に2度も異なった福田和子ドラマがオンエアされることもあった。
今度はどんな風に福田和子を描くのだろう。あの、手伝いに来た葬儀場からの自転車で逃亡するシーン、あるいは、あの、逮捕のきっかけとなった居酒屋カウンターでの店主との攻防など、お馴染みの名場面は今回、どういう風に演出されるのだろう。強い関心とともに、問答無用でドラマに向かいあってしまう。もはや『忠臣蔵』である。
「今回の福田和子は逃げおおせるんじゃないか」という、いつかの誰かの冗談まじりのポストには笑ってしまった。そう言いたくなる気持ちもわかる。まるで、女優シャロン・テートがチャールズ・マンソンのファミリーに「惨殺されなかった」世界線を描いた、クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)みたいな作品が、近い将来、生まれ得ないとは言い切れない。

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モノへの執着、松井秀喜の逸話
なぜ、これほどまで、映画(ドラマ)に福田和子はこんなに(素材として)愛されるのだろう。改めて、彼女のプロフィールをまとめておく。
福田和子(ふくだかずこ)は1948年1月2日、愛媛県、松山市に生まれた。17歳で同棲相手の男と強盗事件を犯し、松山刑務所に服役。服役中、看守を買収した受刑囚の暴力団員と看守によって獄中で強姦されるという事件の被害者となる。出所後は松山のキャバレーで勤務。1982年、同僚のホステスを絞殺、その後、時効直前の1997年7月29日まで約15年にわたる逃亡生活を送る。逮捕に至るまでの期間も、逃亡中に繰り返された整形写真や、録音された電話音声(「あぶない、あぶない」)などが、幾度もニュース番組、ワイドショーで使用され、多くの人に強い印象を植え付けられることとなった。

私がいつも唸ってしまうのは、ホステスを殺害したあと、彼女の部屋にある家具一式を自分のものとすべく運び出すところだ。このモノに対する執着は、今の人には(中途半端に古い私にも)なかなか理解出来ない行動である。思い出すたび、昭和の事件だなあ、と思ってしまう。応接間には栓を開けることがない高級洋酒を並べ、書棚にはページを開くことがない百科事典や文学全集を並べていた、どこにでもあった光景を思い出す。よく考えてみると、福田和子の15年にわたる逃亡生活の半分以上は平成なのであった。
福田が石川県根上町の和菓子屋で店主と内縁関係にあり、店頭で販売を手伝っていたとき、まだ小学生だった松井秀喜がよく買い物に来ていて、彼女が逮捕された時には、「とても綺麗で優しいおばさんという印象だった」というコメントを残している。これも大好きなエピソードなんだけど、再現作品で扱われにくいのも、まあわからないではない。

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石田えり版がとった個性的な演出
遅ればせながら、映画『私の見た世界』のことを書こう。映画がはじまって数分経ったところで、映画のタイトルが示すものがわかる。文字通り、福田和子が見ていたであろう風景、そして、次々と目の前に現れる人間たち、(ほぼ)だけで、この映画は構成されている。69分というタイトな上映時間でまとめられた、とても攻めた映画である。
その「攻め」は、個性的な演出だけではない。あらかじめ福田和子の物語を知っている人でなければ、説明不足とも思える部分も少なくない。それを目の当りにしながら、石田えりも、福田和子にずっと憑かれていたのだと解釈する。この映画を観に来る人なら、きっと誰も知っているであろう部分を端折って、石田えりが見せたい風景が続いていく。
出てくる人、出てくる人、どれもこれもが醜悪である。まるで人の好さそうな人たちもまた、どこか醜悪に描かれている。悪意がその人の顔を怪物のように歪める特殊な演出は、松山刑務所でのあまりにも胸糞悪い事件が、彼女の逃亡に深く影響していたことを暗示している。どれだけ醜悪な世界にいようとも、とにかく、あんな場所に戻ることは考えられなかったのだろう。服役して10年も生きることが出来なかったことを、しみじみと噛みしめてしまう。
女優として福田和子は「演じ甲斐」のある素材だと思われるが、先に書いたように、主人公である福田和子(遅ればせながら、映画では佐藤節子という名前になっている)を演じる石田えりの顔はほとんど登場しない。唯一、その姿が登場するシーンは、まるでマヤ・デレンの映画「午後の網目」(1943年)を彷彿とさせる鮮烈な演出がなされている。

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福田和子をめぐる個人的な逡巡
私が福田和子の物語に惹かれる一因が、彼女と息子との関係である。個人的な話だが、父母の離婚後、しばらくは「年の離れた弟」という立場で、嘘をつく母親を目の前にちょっとした共犯者を気取っていた中学時代の自分を、つい重ねてしまう。『私の見た世界』ではほぼオミットされているが、それもまた興味深い。
あと、妻の実家が福井市にあるので、帰省の際に、彼女が長く滞在していたホテルに泊まってみたり、逮捕の現場となったおでん屋も何度か前を通ったりした。そのたび、自分だったら通報するかなあ、と考えた。今もずっと考えてしまう。ドラマや映画に接する時間が増えれば増えるほど、彼女の逃亡生活を疑似体験する時間が増えるほど、自然と深いシンパシーを覚えてしまう。そして、こうして文章を書く段になって、いや、人を殺してるんだぞ、と考え直す。

まだまだ、福田和子の物語は終わることがないだろう。これから先、何度も何度もこの堂々巡りを繰り返していくのだろう。いつか、創作の世界で福田和子が逃げおおせる日は来るのだろうか。いや、そもそも、みんな、なんで、こんなに福田和子が好きなの?
『私の見た世界』

2025年7月26日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督・脚本・編集・主演:石田えり
製作・配給:トライアングルCプロジェクト
配給協力・宣伝:Playtime
© 2025 Triangle C Project
https://watashinomitasekai.com/