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LEO今井、永井聖一の現在のキャリアがあるワケ
ー当時、音楽シーンのなかでどんなことを意識して活動されていましたか?
LEO:私の場合、そもそもシーンがなかったというか、「どこに属せばいいんだろう?」っていう葛藤がね、特に最初の頃はすごくありました。どこにも馴染めないし、どこにも居場所がない。でもやっていくうちにね、自然と同じフィールドの人たちと出会いますよね。
ーそれがKIMONOSであり、METAFIVEだった。
LEO:そういうことですね。

永井:ちゃんとその人なりのユニークさを持っている人は、キャリアを重ねるとともに必要とされるようになっていくというか、そこに関しては僕も一緒だとは思います。そうすると自然と自分の周りにつながりが形成されていくんですよね。
相対性理論も相当孤高の存在というか、「どのバンドと仲がいい」みたいなことはほとんど語られたことがないような気がする。もしかしたら誰かが書いているのかもしれないけど、本人たちはまったく意識したこともないし、未だに「このバンドには親近感があるから一緒にツアーをした」みたいなことはないですね。
永井:そういう意味で孤独ではあったんですけど、でもやっぱりいろんなバンドをサポートしたりして徐々に変わっていった。それこそTHE BEATNIKSをやったり、いまではGREAT3でもギターを弾いているし、何よりこのバンドに呼ばれたわけですからね。
ー永井さん個人のキャリアで言うと、相対性理論が軸にあった頃から徐々に個人としてのプロデュースやサポートが増えていったわけじゃないですか。もともとそういう道に進みたかったのか、結果的にそうなっていったのか、どちらの側面が強いですか。
永井:これはあくまで僕の主観なんですけど、アルバムを重ねるごとに制作の重みが出てくるというか、納得のいくまで推敲を重ねるようになると、1枚ごとのインターバルも長くなるわけです。そうなってくると、「空いてる時間にプロデュースもサポートもできるな」と思うようになって、「私、空いてます」みたいなサインを出すようにはなりました(笑)。
THE BEATNIKSに関しては(鈴木)慶一さんに「ギター、いつでも呼んでください」みたいなことを言ったら、その2日後ぐらいに「THE BEATNIKSでどうですか?」って連絡が来て、「慶一さんのソロじゃないんだ」みたいな(笑)。
まあ、いろいろやったほうが面白いじゃないですか。いろんな経験をしないと人生すぐに終わっちゃうなっていうのは、歳を重ねるごとに思っていることでもあるので、活動するフィールドを広げられたのはすごくよかったと思います。

ー2000年代は「所属」の概念が強くて、それぞれで動いていた人たちが、2010年代に入るとSNSの普及もあって、いろんな点がつながりはじめた。2000年代には挨拶を交わすぐらいだったお二人が一緒にバンドをやっているというのは、偶然でもあり必然でもあるように感じます。
永井:「いまの人たち」っていう、おじさんみたいな言い方にどうしてもなっちゃうんですけど(笑)、みんなすごい数のサポートをやってますもんね。
自分のバンドがアイデンティティーとしてあった上で、「あれもこれも君なんだ?」みたいな、(大井)一彌くんも(西田)修大くんもそうだけど、「君たちはいつ自分のバンドの制作してるの?」っていうくらいバイタリティに溢れている。いまはそれが日本のミュージシャンのスタンダードなのかもしれないし、刺激をもらっていますね。
ーLEOさんは時代の変化をどう感じていますか?
LEO:昔みたいにひとつのバンドで、アルバム、ヒットシングルを出して4年間ツアーを回るみたいなケースはますますレアになってきていますよね。ミュージシャンはいろんなことをやらないと成り立たない。そこは単純にマーケットが縮小しているということだと思うんですけど。

永井:それもその通りだし、だからこうやって一緒にバンドをやっているのはすごくいろんな要因があるわけで。TESTSETもなかなか数奇な運命だなとも思いますけど。
ーいまもそれぞれいろいろな活動をされていますけど、TESTSETの活動はお二人にとっての軸のひとつになっている?
永井:いやもう、軸オブ軸ですね。
LEO:そうですね。いまはTESTSETは軸のひとつです。
永井:変な言い方ですけど、通好みの音楽に見られるのはまた違うというか、TESTSETは質の高い音楽を目指して集まった集団であると自負しているし、いろんな人に聴いてもらわないと意味がないと思います。だからライブもいろんな場所でやりたくて、国内はもちろん、海外への展開もできる限りしていきたい。来年も中国に行きたいし、他のアジアの国にもチャレンジはしていきたいですね。