オーストラリアから登場したシンガーソングライター、タマス・ウェルズ。
画家の父親のもとに生まれ、The Beatles『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』(1967年)を何度も繰り返して聴くうちに音楽に目覚めた少年は、やがて世界の不平等さに疑問を抱いてアジアへと移住する。そして、異国に渡っても生み出され続けた音楽は、Sigur Rósのようなイノセントさ、スフィアン・スティーヴンスを思わせる繊細なメロディーを持っていた。
昨年、タマスはパンデミックと父の死を乗り越えてつくりあげた6年ぶりの新作『To Drink up the Sea』を発表。ますますソングライティングには磨きがかかり、多彩な楽器を導入した豊かなサウンドで新境地を開いた。彼を創作に向かわせるものは何なのか。久しぶりの来日公演を控えるなかで、音楽に込めた想いや新作について話を訊いた。
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メルボルン在住のオーストラリア人シンガーソングライター。2ndアルバム『A Plea en Vendredi』(2006年)が日本リリースされると口コミで話題を集め、人々の心を洗うような歌声は「天使の歌声」と評判を呼んだ。最新作は2023年12月リリースの『To Drink up the Sea』。2006年から2012年のはじめまで6年間をミャンマーで過ごし、現地のNGOでHIV/エイズ教育のヘルスワーカー〜フィールドワーカーの仕事に従事していたことでも知られ、現在はメルボルン大学で東南アジアの政治を専門的に扱う研究者として働く。2021年にはミャンマーの政治や民主主義について書いた初の書籍『Narrating Democracy in Myanmar』を出版した。
かつて「Nick Drake meets Sigur Rós」と評された歌声は、いかにして育まれたのか
―タマスさんが生まれ育ったのはメルボルン近郊の町だとか。どんなところですか?
タマス:メルボルンから車で2時間ぐらい離れた、海辺のとても小さな町です。父は画家で風景を描いていて、作業をしているときは音楽をかけたりはしなかった。だから、町も私の家もとても静かでした。
―そんななかで、どんなふうに音楽に興味を持ったのでしょうか。
タマス:最初は親の勧めでピアノを習っていたんですが、そんなに好きじゃなくて練習にも身が入らなかった。それが10代の頃、突然、ピアノを弾いてみたいと思ったんです。その後、大学に進学したときにできた友達の多くがメルボルンの音楽シーンで活動していて、突然目の前に音楽の世界が広がりました。
―それまで音楽は聴いていなかったのでしょうか?
タマス:学校から家に帰ったら家族と過ごす、という日々だったので、友達とレコードを聴いたり、ライブに行ったりすることはありませんでした。でも、両親が持っていたThe Beatles『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のカセットテープを何度も繰り返して聴いていました。自分で聴いてたのはそれくらいですね。
―タマスさんの曲を聴くと、1960年代のフォークミュージックからの影響を感じるのですが、The Beatlesしか聴いていなかったとは驚きです。
タマス:そういえば、初めてのライブで、演奏後に観客の一人が「Simon & Garfunkelみたいだった」と感想を伝えてくれましたが、彼らの音楽は聴いたことがありませんでした。音楽活動をはじめてから、素晴らしい1960年代のアーティストを発見し続けています。
たとえば、15年ほど前、日本に行ったときに見つけたLambert & Nuttycombe。彼らはとても美しいメロディーを書くんです。先週聴いたThe Velvet Underground“Sunday Morning”もよかった。
―The Beatlesしか聴いてなかったあなたが、アコースティックギターの弾き語りというスタイルを選んだのはどうしてでしょう。
タマス:そういうシンガーソングライターのライブを観て親近感を感じたというもありますが、現実的な問題も大きかったんです。大学の寮に住んでいたので、あまり大きな音は出せないし、お金を持っていなかったので買える楽器といえばアコースティックギターくらいでした。もし、エレキギターを買う余裕があったら、別の音楽をやっていたかもしれませんね。
―性格的にもアコースティックギターが向いていたのでは?
タマス:そうですね。自分は子どもの頃から内気な人間で、それは音楽にも表れていると思います。ライブで注目を浴びるのが好きなミュージシャンもいるけど、私はそんなタイプではないですし。
