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アルバムの裏テーマは創作性と紐づいてきたモラトリアム、葛藤、ニヒリズムの成仏
―名前が挙がった小沢健二、中村一義、佐野元春という存在がMomさんや今回の『AIと刹那のポリティクス』に通じていくというのはすごくわかります。このアルバムの出発点としては、CDのブックレットにあるMomさんの文章によると「うまくいくのさ、なにもかも」という言葉が自然と立ち現れて、それがひとつキーワードとしてあったんですよね。この言葉はアルバムのクロージングトラック“刹那3.0”の歌詞のフレーズでもありますけど、この言葉は、Momさんの中でどのようなものだったんですか?
Mom:去年、体調が不安定で。元気なときが月に半分あればいいくらいだったんですよね。それもあって1回、自分の向かうべきところ……それはアルバムなのかなんなのか、その時点ではわからなかったけど、とにかく「ここに向かっていくぞ」というなにかが自分の中に欲しいなと思っていて。
あと、これはアルバム全体の裏テーマみたいなものでもあるけど、僕は今28歳で、自分の中にあるモラトリアム的なものとか、自意識的な葛藤、ニヒリズム……そういうものを1回、この地点において成仏させなきゃいけないっていう気持ちがあったんですよね。それまでは自意識的な葛藤って、自然と消えていくものだと思っていたんですよ。でも「自分はずっと変わらないんだ」と思った。自分は自分のことをたしなめることで精一杯な人間なんだ、どうしようもないなって。それは、なにかきっかけがあったわけではないんですけど。

―はい。
Mom:「自分は、このくらいの負荷をずっと感じながら生きていくんだ」と感じた。その負荷の中には、今言ったような自意識的な葛藤とかニヒリズムみたいなものがあるんだけど、ずっとどこかで、そうした部分が創作性とうまく繋がっていければいいと思っていたんです。でも、その葛藤って卑屈さでもあるじゃないですか。もし自分の卑屈さがソーシャルメディアと結びついたら、他者への攻撃に向いていっちゃう気もする。「それは違うだろ」っていうのがあって。自分の中にある葛藤がその程度のものであっても嫌だし。
それで、ずっと大事なものだと思って抱えてきた卑屈さに対して「やっぱりよくないな」という気持ちも出てきた。今必要なのは、それじゃない。僕は自分に今見えているもののことや、自己意識を通してしか歌えないけど、それを自分なりにちゃんとポジティブで前向きなものとして作品にしたいと思ったんです。だから“刹那3.0”は、自分自身を鼓舞するという意味合いもあって。「がんばれ!」って。「がんばれ、俺!」って。
―僕はMomさんよりも10歳ほど年上なんですけど、僕自身、モラトリアム的な感覚をずっと大事にしてきた部分はあって。ただ、その部分って意識的に成仏させようとしないと、すごく嫌な形でそれに囚われてしまいそうな予感もあって。大事なものだからこそ、ちゃんと成仏させる努力をしないといけない。ちゃんと忘れないと、ちゃんと思い出せない。
Mom:言っていることは、ちょっとわかります。というか、『悲しい出来事』は、ちょっとそういう要素のあるアルバムだったんですよね。あのアルバムは元々『凱里ブルース』という中国の映画に影響を受けたもので、完全に私的なものではないんですけど。ただ、矛盾するようだけど、ソーシャルメディアが台頭する今の時代において、記憶とか、自分の中に流れる時間を大切に手放さずに抱えていることって、美しいことだと思うんですよ。そういうふうに歌を歌っている人を僕は今でも信じているし、僕もそれを握り締めてきたはずなんだけど、そこに固執しすぎると、そこにはもう、自分しかいなくなってしまう。それがマイナスな方向に働いたら、外に向けた加害に行ってしまう可能性がある。それが嫌なんですよね。本来、それは創作を飛躍させるためのものであってほしいのに。

―Momさんの中で、ソーシャルメディアでの感情の発露みたいなものと、歌や創作、表現との間にある線引きに対して自覚的にならざるを得ないタイミングだったのかもしれないですね。
Mom:音楽に関わらず、映画でも文学でも、創作する人が、自分の生み出す言葉が政治イデオロギー的なものに収斂してしまうことに対しての無力感って、今は特にあると思うんです。SNSによってそれが補強されてしまうから。詞と政治イデオロギーは同じ位相で語られてしまう。僕自身、リベラルな人間でありたいと思うけど、たとえばこういうインタビューでも、いろいろ喋った内容が、なんとなくよく見る感じのラベリングをされて「ソーシャルメディアで言葉になると、こうなるんだ」みたいな……「ああ、そっか」と思うことはあって。「抜け出せないのかな、ここから」っていう無力感はあるんですよね。よく歌をステートメントとして評価する動きもあると思うけど、よく考えてみても、僕にとって、歌はステートメントではないんです。
―はい。
Mom:音楽って時間的なものだから。一瞬の自分の暴力性とか、どっか行っちゃう感覚も捉えられる。もちろん自分の考えを歌にすることもできる。歌っていろいろなことができるんですよ。
―うん。
Mom:そんな歌の方法論が均質になっていく恐怖は、今たしかにあって。でも、それに対して「やれやれ」みたいな態度を取ってはいられないんですよね。結局、言葉はイデオロギー的になっていくし、それは今後もそうだと思う。だからその反動として「自分の歌に意味はないです」みたいな態度を取るのは、「そんなことは無理だろ」と思うんです。意味からは逃げられない。
―そうですよね。「作品はメッセージではなくても、メッセンジャーではある」というような言葉を僕は昔どこかで見たことがあるんですけど、作品があり、受け取り手がいる以上、絶対にそこにはなにかが生まれてしまう。
Mom:そうである以上、僕も自分の中で流れている時間を信じてはいたいけど、完全に隔絶した場所にいたくない。ちゃんと向き合いたい。ちゃんと見ていたい。それは言わば好奇心みたいなものなのかもしれないですけど。今言ったようなことも全部含めて、「全部ない混ぜにして、やってやるぞ」という気持ちですね。今ならそれができると思った。それが今回のアルバムだと思います。
―すごくよくわかります。
Mom:歌で歌えることって、まだある気がするんです。歌は行ったり来たりできるから。もうちょっと、そこでちゃんと戦うぞっていう気持ちですね。僕にはヒップホップもあるし。

―今のお話の上で、“刹那3.0”の<うまくいくのさ、なにもかも>という言葉はMomさんが自分自身に向けた言葉であり、受け手がどう解釈するかはわからないけど、ひとまず、このアルバムに置いておきたかった言葉ということなんですね。
Mom:そうですね。<うまくいくのさ、なにもかも>という言葉が、「全部いいんだよ」みたいなことになりすぎると、自分としては違う気がするんですけどね。
―だからこそ、タイトルには「刹那」という言葉が相応しかったのかもしれない。「これは一瞬のことなんだ」っていう。
Mom:たしかに。それに、シニカルな意味じゃなく<うまくいくのさ、なにもかも>という気分になるときって、一瞬かもしれないけど、あるから。それをちゃんとキャッチしたいなと思います。今の自分のテーマソングみたいな曲ですね。