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スノードームと、取り残された赤ん坊としての観客
映画の後半、暗殺されかけ死の淵を彷徨い生還したカエサルと、その新妻・ジュリアの結婚式のシーンの終わりに、それが玩具のスノードームの中であるかのようなトランジション(シーンの切り替わりに用いられるエフェクト)が施されている。勿論、物語を素直に追えば、この演出はあくまで次に続く民衆の暴動のシーンと優雅な結婚式の対比を強調するものに過ぎないのだから、映画全体のテーマに直結するものとして敷衍するのは深読みが過ぎるかもしれない。しかし、スノードームというものが、映画史において極めて重要なモチーフであることを忘れてはいけないだろう。
オーソン・ウェルズの『市民ケーン』において、スノードームは主人公ケーンの人生の象徴だった。新聞王として栄枯盛衰を経た人生の最後に口にしたのが、「薔薇の蕾」という、幼少期の幸せな記憶だった(ということに映画ではなっている。現実の着想源は、ケーンの実在のモデルとなった新聞王・ハーストが愛人の性器をそう呼んでいたことだと指摘されているが、それがそのまま映画内においても「薔薇の蕾」が性的なモチーフであるということにはならない)。コッポラ自身が、「『メガロポリス』誕生の発端は、子供の頃にH.G.ウェルズ原作の映画『来るべき世界』を見たときまで遡る」と語っている通り、実際に企画が始動してからの40年すらも越えて、生涯を通じてコッポラもまた幼少期に見た「薔薇の蕾」を追い求めていたのだと言えるだろう。

もしかするとこれを読んでいるあなたは、冒頭のカッコーの連想に続いて、スノードームからの深読みが過ぎると思っているかもしれない。しかし、最後にジュリアが発する「時よ止まれ」の台詞と共に、カエサルとジュリアの赤ん坊以外の時間が止まる瞬間に、正直言ってどのような感慨が生まれただろうか。手放しの感動よりも、当惑と共に突き放されたような感じがしなかっただろうか。それこそ、夢が成就し、スノードームに永久に閉じ込められた夫婦達(妻エレノアに愛を捧げるコッポラ)との対比で、世界にポツンと取り残された赤ん坊のように、僕たちはこの映画に対して呆然とするしかない。コッポラ自身もそのように受け止められることを意識しているのではないかと思えてならない。
冒頭シーンに戻ろう。時を告げるために身を乗り出したカッコーのようなカエサルは、ひと呼吸置いて巣の中に戻っていく。永久に閉じられたこの映画=カッコーの巣の上を飛び越えていけ、そのようなメッセージをこそ僕らは受け取るべきなのかもしれない。と同時に、コッポラに対してこれで終わったなどと思うことは絶対に慎まなければならない。かつて、『ワン・フロム・ザ・ハート』の興行的失敗で自身の製作会社を倒産させても、不死鳥のように復活した過去を持ち、101歳を越えて映画を完成させたマノエル・ド・オリヴェイラよりはまだまだ若いコッポラの映画人生は続く。次回作の企画も進行中のようだし。僕も負けずに頑張るぞ。
『メガロポリス』

2025年6月20日(金)日本公開&IMAX®上映
脚本・製作・監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アダム・ドライバー、ジャンカルロ・エスポジート、ナタリー・エマニュエル、オーブリー・プラザ、シャイア・ラブーフ、ジョン・ヴォイト、ローレンス・フィッシュバーン、タリア・シャイア、ジェイソン・シュワルツマン、ダスティン・ホフマン
配給:ハーク、松竹
提供:ハーク、松竹
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