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又吉は戯曲のなかで「笑い」をどのように扱ったか
北沢:又吉さんがエッセイ集『月と散文』(2023年、KADOKAWA)を出されたときのインタビューで、笑いにちゃんとコミットした小説はこれまで書いていないから、いつか書いてみたい、とおっしゃっていて。
今回、エノケンという喜劇人の人生を舞台にするというのは、ある意味、非常にストレートに笑いにコミットする主題をもらった感じですよね。これが今後、笑いと真正面から取り組む小説への助走になる、というような考えはご自身のなかにありますか?
又吉:それに関してはちょっと難しかったかもしれないですね。今回のお題はエノケンという人間にスポットを当てることだったので、舞台に上がっているときのことだけではなくて、生き方やどのような人生の時間を過ごしていたかを書かないと意味がない。
エノケンは喜劇王だし、戯曲にするなら笑いに特化したものでなければいけないという考え方の人もいると思うんですけど、であればエノケンが爆笑を生んでいた舞台を再現すればいい。再演でええやん、ってなってしまう。

又吉:芸人の私生活と舞台上でのことの両面を描こうとすると、舞台上でのボケやコメディーは作品の「背景」になるんです。漫才やコントを板の上で演じているときって、お客さんに直接届くように作るんですよ。
でも小説とか演劇のなかのコメディーでは、演者がいてお客さんがいて、劇場という空間があって、観客はその全体を俯瞰で見る、という構図になるので、ボケや笑いは風景の一部になる。だからそういう構造のなかで笑いにコミットするのは、遠回りする感覚があるんですね。
北沢:今のお話を聞いて目から鱗が落ちる思いがしました。それを踏まえて考えると、当代随一のミュージカルスターであり最高のエンターテイナー、さらに実人生も波乱万丈という点で相通じるものがある市村さんがエノケンを演じるのは、ものすごいアドバンテージですね。
又吉:大きいですね。エノケンさんを知っていらっしゃる世代だし、エノケンさんよりももしかしたら舞台を踏んでいらっしゃる方ですから。これ以上の人はいないと思います。