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又吉直樹が語る、日本の喜劇王・エノケン。芸人の身体性、コメディーとコントの違い

2025.8.25

#STAGE

大正〜昭和を駆け抜けた日本の喜劇王、榎本健一(以下、エノケン)。今やそう言われてピンとくる人は、そこまで多くないかもしれないと率直に思う。音楽劇『エノケン』は、そんな喜劇人の人生を題材にした舞台作品。脚本を手がけたのが、又吉直樹だ。

日本の「お笑い」の原点のひとつ、と言って差し支えないであろうエノケン。そんな大先輩の人生を、又吉はどのように戯曲化したのか。近年ではカネコアヤノの取材などを手がけるライターの北沢夏音を聞き手に、エノケンの時代の喜劇と現代の「お笑い」との差異、コメディーとコントの違いなどを入り口にして取材した。

又吉直樹(またよし なおき)
1980年生まれ。大阪府寝屋川市出身。お笑いコンビ「ピース」として活動。2015年に文壇デビュー作の『火花』で、「第153回芥川賞」を受賞。著書に『東京百景』『劇場』『人間』など。自身のYouTubeチャンネル「渦」では「インスタントフィクション」で文章の解釈を解説。オフィシャルコミュニティ「月と散文」では、週3回書き下ろしの文章を更新中。脚本を書き下ろした音楽劇『エノケン』が2025年10月より上演される。

又吉直樹が「喜劇」を手がけるにあたって考えた「芸人の身体性」

北沢:コメディー(喜劇)とコントの違いっていうのは、又吉さんのなかで何かはっきりとした区別はありますか?

又吉:なんとなく「時間」という要素はひとつありますかね。コメディーは実尺でいうと20〜30分は割く必要がありますけど、現代のテレビで披露されているコントはだいたい4分とか5分ですよね。劇場とかでは長いコントも観られますけど。

物語の起承転結や起伏、展開はもちろんありつつも、ボケの密集度が高くて、より「笑えること」にコミットしたのが現代のコントで、もうちょっと物語に寄っていて、演者の数も多いのがコメディー、というのが僕の理解ですね。

北沢:コメディーはコントの延長線上にあるというよりは、時間というものの働きをどう捉えるかで異なる、という解釈ですか?

又吉:そうですね。どちらかというとコメディーを細分化して名場面を切り取って、さらに笑いに特化したものがコントなんじゃないかなという感覚です。

北沢:僕が初めて又吉さんの『東京百景』(2013年、ヨシモトブックス / 2020年、角川文庫)を読ませていただいたとき、これはエッセイなのか、それともコントの延長なのか、途中で判別できなくなるような読み口だと思ったんです。

しかもかなりシュールな要素もあって、「笑い」の感覚が更新され続けてきた歴史をさらに進化させて、その先を作ろうとしているような実験性を感じました。一方で戦前の喜劇人たちは自分の内面を掘り下げるというよりは、すごく身体性で笑わせようという感じが強いですよね。エノケンさんの場合は特に。

又吉:まさにそうですね。正直、今の年齢になって感じるのは、身体性を通じた笑いこそが「王道」、「本道」ということです。

ただ1980年生まれの僕にとっては、「漫才ブーム」(※)があって、1990年代にダウンタウンさんたちが出てきて、という系譜こそが「お笑いの本流」やと思って見てきたんですよね。だからテキストではない、言語を超えた身体表現というものが正直に言うと古く感じていた時期もありました。

※北沢注:ピークは1980~82年。座付き作家が書いた台本を漫才師が演じる伝統的な「掛け合い漫才」のスタイルを破壊した、B&B、ツービート、島田紳助・松本竜介、ザ・ぼんちをはじめとする若手コンビが一気に台頭。自作のスピーディーなギャグを台本なしで連発する「漫才と似て非なる新しい会話芸」が、従来の客層にいなかった若い世代を中心に爆発的な人気を集め、あらゆるメディアを席巻した結果、芸人の認知度も著しく向上した

又吉:僕は製作発表でエノケンさんのことを「芸人」と表現しましたけど、エノケンさんを演じられる市村正親さんは「喜劇役者」とおっしゃっていましたよね。僕から見たら「芸人」と言って差し支えがない活動にも見えるけど、エノケンさんは間違いなく「役者」ですよね。

北沢:まさに「喜劇役者」という呼称が一番フィットしますね。

又吉:それが日本において細分化していったのが、だいたい1970〜80年代。その結果、明確に笑いに特化した「お笑い芸人」というものになった。

言ってしまえば、「お笑い」において演技力さえも無視されていた時代もあると思うんです。一時期は、面白いことが言えたらそれでいい、みたいな空気感さえあった。でもコントにしろ演劇にしろ、面白いことを言うだけで成立するお笑いというのは本来そんなにないですよね。

だからこそ身体的な表現であったり、言葉ひとつに自分の人間性を反映させていたりといった、身体と言葉が一致している人や芸が時代を経ても評価されて残っているんじゃないかなと思います。

又吉:時代ごとの流行りとか、形式やシステムみたいなものはあるにせよ、面白いものというのは肉体から逃れられないし、本質的にそこは変わらずにあったんじゃないかなと今は思います。

北沢:それは特に舞台において顕著ですよね。テレビや映画作品と違って、舞台だと本当に生だから、お客さんはやっぱり役者の動き、身体から発せられるエネルギーを一番受け取ると思います。

エノケンの笑いに宿る「熱」

北沢:今回の「喜劇であり音楽劇でもある」という大前提はオファーされる前から決まっていたことなんですか?

又吉:そうですね。

北沢:そうするとやはり、役者の動きや身体的なエネルギーを意識して今回の脚本を書き下ろされたわけですか。

又吉:はい。あとこの作品では舞台上に立っているエノケンさんだけでなく、私生活の部分も描いているので、ただただ面白いことを言おうとしているだけの人ではないところを意識しました。

北沢:又吉さんは製作発表で、エノケンさんは歴史上の人物のように捉えていたけれど、人生をたどっていくとすごく共感できる部分が見えてきた、とおっしゃっていましたね。最初に「エノケン」という固有名詞を知ったのは、「日本の喜劇王」と謳われた芸人としての大先輩という感じだったんでしょうか。

又吉:はい、そうですね。

北沢:今となっては、実際にエノケンさんのステージを観ることはできないわけですが、この仕事の依頼がある前に映画作品など何かご覧になったことはありました? 

又吉:ほとんどないですね。ただ例えば、何かの作品でエノケンさんをモデルにした作中人物というような触れ方、あとは“東京節(パイノパイノパイ)”(※)といった歌は子どもの頃から聞こえてきていました。

あと自分が実際に芸人になってから浅草とかに行くと、エノケンさんにまつわる催しだったり、通りにエノケンさんの看板が出ていたりするのを目にして「ああ、確かに存在したんだな」と感じたり、というような距離感でした。

※北沢注:アメリカのポピュラーソング“ジョージア行進曲“に演歌師の添田知道が独自の日本語詞を付けた1918年発表のコミックソング。エノケンの持ち歌として知られる

https://www.youtube.com/watch?v=2MC1lT9sSCQ

北沢:エノケンさんを単独でまず認識したのか、それともよく並び称される古川緑波さんも含めた「日本の喜劇の始まり」としての出会いだったのでしょうか。

又吉:まずはエノケンさんからだったと思います。古川緑波さんに関しても、エノケンさんと同時期に知ったとは思うんですけど、でも最初に知ったのはやっぱりエノケンさんですかね。

北沢:「お笑い」の原点に立ち返るとき、エノケンさんという存在がひとつの入り口になったのは、何か象徴的な気がしますね。僕は又吉さんより年上の世代ですけれども、エノケンさんを知るきっかけはなかなかなくて。

戦前の日本のモダニズム文化に興味を持ったとき、当時のアメリカのジャズソングに日本語詞を付けた“洒落男”(1930年)や“私の青空”(1928年)などの流行歌をヒットさせた象徴的な存在として、軽演劇や喜劇映画でも度々競演した歌手・ボードビリアンの二村定一とともにエノケンのことを知りました。

音楽劇『エノケン』公演フライヤー

北沢:例えばエノケンさんの率いた「カジノ・フォーリー」(※)という言葉の響きひとつとっても、その活動からはフランスのパリのミュージックホール、アメリカの喜劇やミュージカルへの憧れ、影響をすごく感じます。エノケンさんと同時代のアメリカの喜劇にはチャールズ・チャップリンにしろ、ハロルド・ロイドにしろ、アイコンとなる人物の強烈さが今以上にあったという気もするんです。

又吉:そうですね。

北沢:又吉さんがお笑い芸人として活動を始めた頃には、漫才ブーム以降の「新しいお笑い」が確立されていたわけで、だからこそエノケンさんをひとつの象徴とした戦前の浅草を中心に栄えた喜劇の盛り上がりがどのように見えていたか。そしてその背後にあったアメリカの喜劇が今の又吉さんからはどう見えるのか、ぜひ伺いたいです。

又吉:その時代のものって映像でも自分の目で見るのはかなり難しいじゃないですか。吉本新喜劇はもちろん今もありますけど、かろうじて僕が接することができたのはチャップリンとかロイド、それこそ松竹新喜劇あたりのもので。何か活気みたいなもの、乾いた笑いというよりは熱を帯びたもの、という印象はありますね。

※北沢注:1929年、浅草の浅草公園水族館2階「余興場」を本拠地として創立された軽演劇レビュー劇団

脚本に織り込まれた戦争とエノケン、喜劇の関係

北沢:エノケンという明治37年(1904年)生まれの人物の生きた時代が、戦前から戦中、そして敗戦後25年が過ぎた昭和45年(1970年)に亡くなるまで、かなりの幅があるなかで、又吉さんが一番意識したポイントはどこでしたか?

又吉:メインとなる時代はやっぱり戦時中かと思います。あとはエノケンさんがお年を召されてからの戦後の時代。病気や右足を失ったこととエノケンさんがどう向き合っていったのか。この2つの時代を一番意識して描いています。どちらにも戦前の浅草の華やかな雰囲気は軸として考えつつ、エノケンさんが晩年を過ごした時代にあった戦争の余韻も感じながら書いたところがあります。

北沢:やはりエノケンさんの人生において「戦争」は大きな要素としてあると思うんです。小林信彦さんがリアルタイムで見聞したコメディアンのプロフィールを群像劇風にドキュメントした名著『日本の喜劇人』(1972年、晶文社 / 2008年、『定本 日本の喜劇人』新潮社 / 2021年、『決定版 日本の喜劇人』新潮社)のなかで、晩年のエノケンさんに直接取材したときのやりとりが再現されているんですが、「喜劇映画がなぜ退化したと思いますか?」という問いに、「やはり戦争のせいでしょうね」と答えています。

今回の音楽劇では豊原功補さんが演じる菊谷榮という座付き作家を戦争で失い、それがどんなに痛手だったかをエノケンさんは繰り返し語っている。やはり戦争で失ったもの、奪われたものの大きさを痛感しつつ、戦後を生きられたのかなと思います。

菊谷榮役の豊原功補(製作発表より)

又吉:そうですね。ただそうやって、何かひとつの軸を持って戦前・戦中・戦後の3つの時代を演劇という限られた尺と状況で描くのはなかなか難しいんですよね。

そもそもエノケンさんはすごく濃密な人生を送られているので、舞台に立つまでの話だけでも物語として成立してしまうし、逆に名場面だけ集めて編集しても作品にはなると思う。でもそれだと実人生からシーンを引いていくことになってしまうんですよね。だからこそ、エノケンという人物の実人生を網羅はできないにせよ、「ああ、これはエノケンだな」と思えるものにするには工夫が必要でした。

北沢:どんなふうに脚本を書いていったのでしょうか?

又吉:今回は、ひとつの場面にあらゆる時間の流れや要素を入れながら、同時に削っていき、残した線に削った部分を託す、というイメージで書きました。それは舞台上の時間だけでは描き切れない、実際にエノケンという人物のなかにあったものを複合的に描くということで。そういったことをいろんな場面でやることで時間の流れをシームレスにつなげようと試みています。

北沢:座員が150人、オーケストラが25人という大所帯の一座の座長としてのエノケンさん、小林信彦さんいわく「〈新劇〉に対してコンプレックスを持っていなかった珍しい喜劇人」だったひとりの喜劇役者としてのエノケンさん、そして経済問題や家庭の不幸、自身の肉体の衰えと向き合いながら、それでもなおコメディアンであろうとするひとりの人間としてのエノケンさん——

そういう稀有な人物の人生上のドラマをただつなげるだけでも比類のないストーリーになることは想像できますが、製作発表では又吉さんの脚本の斬新さを演者のみなさんが絶賛されていました。

又吉:ありがたいです。

北沢:舞台上の限定された時間のなかで、複合的な要素を同時に抜き差ししながら、継ぎ目を感じさせないようにつなげる、しかもそんなはなれわざを編集可能な映像作品ではなく生のステージでやる、とはいったいどういうことなのか? すぐにでも拝見したくてたまらなくなります。

戦争が忍び寄る時代に、市井の人を全力で楽しませる生きざま

北沢:エノケンさんが人気を博すようになったのは、関東大震災から世界恐慌を経て第二次世界大戦へと突っ込んでいくような時代ですけど、又吉さんは彼の人生を、世界情勢も日本の状況も緊迫と混迷の度を深める「戦後80年」の令和7年に戯曲化したわけですよね。そういう現在と、エノケンさんが生きた時代の共通点を、どこかで意識して脚本を書かれたということはありますか?

又吉:……書いた僕自身、今の時代の日本国内はもちろん、今世界で起こっていることを、政治も経済も含めて体感しています。そうやって現代を生きている人間の視点でエノケンさんの時代を見ているので、意識的に考えなくても、どうしてもつながっていくと思います。でもそういう僕自身の要素がノイズのように入り込むのは極力避けて、エノケン自身の生きざま、魂みたいなものをいかに立ち上げるか、ということにむしろ苦心しました。

あと今回は、市村正親さんというすごく大きな存在がいるので、市村さんの本やインタビューを読んで、エノケンとの共通点を見つけて、積極的に作品のなかに取り入れていくことに重きを置いたところがあります。

製作発表で歌を披露したエノケン役の市村正親

北沢:例えば、チャップリンのように自分の持つ全才能を注ぎ込んで戦争と対峙した喜劇人もいましたけれども、エノケンさんにはしれっと反権力な側面もありますよね。代表作と言われる喜劇映画『エノケンのちゃっきり金太』(1937年公開、監督は山本嘉次郎)を見ても、幕末の非常に騒然とした時代設定で、武士の財布しか狙わないスリが主人公です。そのあたりはいかがですか?

又吉:うーん、特に意識はしてないですね。ひとつの理由としては、できるだけ楽しめる舞台にしたいと考えていたんですね。もちろんエノケンさんにもそういう意図があったかもしれない。でもやっぱり、いろんなしんどいことを忘れるために劇場に来た人たちを全力で楽しませる、ってことのほうが大事だったのではないかと思うんです。

エノケンさんはお偉いさんたちとか政府に向けての主張ではなく、日々の生活に疲弊した市井の人たちを全力で楽しませることを考えていたんじゃないかな。今回はどちらかというとそういう描き方になっていると思います。とはいえ、エノケンの実人生には大変な経験もたくさんあるから、書き終わってみれば僕も結局そのシリアスさからは逃れられなかったですけどね。

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