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戦争が忍び寄る時代に、市井の人を全力で楽しませる生きざま
北沢:エノケンさんが人気を博すようになったのは、関東大震災から世界恐慌を経て第二次世界大戦へと突っ込んでいくような時代ですけど、又吉さんは彼の人生を、世界情勢も日本の状況も緊迫と混迷の度を深める「戦後80年」の令和7年に戯曲化したわけですよね。そういう現在と、エノケンさんが生きた時代の共通点を、どこかで意識して脚本を書かれたということはありますか?
又吉:……書いた僕自身、今の時代の日本国内はもちろん、今世界で起こっていることを、政治も経済も含めて体感しています。そうやって現代を生きている人間の視点でエノケンさんの時代を見ているので、意識的に考えなくても、どうしてもつながっていくと思います。でもそういう僕自身の要素がノイズのように入り込むのは極力避けて、エノケン自身の生きざま、魂みたいなものをいかに立ち上げるか、ということにむしろ苦心しました。
あと今回は、市村正親さんというすごく大きな存在がいるので、市村さんの本やインタビューを読んで、エノケンとの共通点を見つけて、積極的に作品のなかに取り入れていくことに重きを置いたところがあります。

北沢:例えば、チャップリンのように自分の持つ全才能を注ぎ込んで戦争と対峙した喜劇人もいましたけれども、エノケンさんにはしれっと反権力な側面もありますよね。代表作と言われる喜劇映画『エノケンのちゃっきり金太』(1937年公開、監督は山本嘉次郎)を見ても、幕末の非常に騒然とした時代設定で、武士の財布しか狙わないスリが主人公です。そのあたりはいかがですか?
又吉:うーん、特に意識はしてないですね。ひとつの理由としては、できるだけ楽しめる舞台にしたいと考えていたんですね。もちろんエノケンさんにもそういう意図があったかもしれない。でもやっぱり、いろんなしんどいことを忘れるために劇場に来た人たちを全力で楽しませる、ってことのほうが大事だったのではないかと思うんです。
エノケンさんはお偉いさんたちとか政府に向けての主張ではなく、日々の生活に疲弊した市井の人たちを全力で楽しませることを考えていたんじゃないかな。今回はどちらかというとそういう描き方になっていると思います。とはいえ、エノケンの実人生には大変な経験もたくさんあるから、書き終わってみれば僕も結局そのシリアスさからは逃れられなかったですけどね。
