歴史と文化と観光の都市・京都では、芸術祭やアートイベントがオールシーズンいつだって盛況だが、2010年代以降のロールモデルとなったのは間違いなく『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭』(以下、『KYOTOGRAPHIE』)だろう。公私ともにパートナーであるルシール・レイボーズと仲西祐介(共同創設者 / 共同ディレクター)が2013年に始めた『KYOTOGRAPHIE』は、初回からCHANEL Nexus Hallをメインスポンサーに迎え、ハイブランド×アートのタッグは回を重ねるほどに拡張されてきた。今回は、のちに触れるグラシエラ・イトゥルビデの展示がDIORのバックアップを受けて、素晴らしい成功を遂げている。
民(一般社団法人KYOTOGRAPHIE)×民(企業)の協力を土台に、京都市内の寺社や歴史的建築を会場としてアートな催しを執り行う。「民×民」の組み合わせを「官×民」に置き換えた大小のアートイベントはいまや京都以外の都市部でも盛況だが、「民×民」の起源とも言える『KYOTOGRAPHIE』があくまで個人の想いから立ち上がり、そのインディペンデントのかたちを今日も維持し続けていることは特筆すべきことだ。
少子化と経済 / 文化力の退潮が収まることのない今日の日本では、インバウンド需要を呼び込むための地域おこしを「ソフトパワー」ないしは「コンテンツ」とひとくくりにして、過剰な観光被害や未曾有の円安、さらには日本人による他国の人々へのでたらめな差別感情などを渦巻かせたまま、いのちをかけて猛烈に進んだり、輝き損ねたりしている。これはたしかに日本が採りうる数少ない生存戦略と言えるかもしれないし、少なくとも政財界はそれにすがっているように見える(もちろん、彼らにとってもっとも旨味のある特効薬は新自由主義経済に都合のよい法改正だが)。
そういった点でも、『KYOTOGRAPHIE』の成功を今日の芸術 / 文化の状況を示す参照項として、是々非々で受け止める視点も我々は持ち合わせていたい。
10th Anniversary Special Movie|10周年スペシャルムービー|KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭
INDEX
『KYOTOGRAPHIE 2025』は京都駅から始まっている
今回の『KYOTOGRAPHIE』が掲げたテーマは「HUMANITY(人間性)」。だが、それを鮮やかに象徴するのは、JR京都駅北側通路壁面を飾るJRの『JR クロニクル京都 2024』だ。



世界の各都市でたくさんの人々を撮影し、都市ごとの叙事詩的イメージをコラージュする「クロニクル」シリーズの京都バージョン。僧侶、芸妓、職人、ドラァグクイーン……京都に住まう多種多彩な505名を描き出す群像図である。
また、JRは京都新聞ビル地下1F&1Fでもプロジェクトに関連する展示を展開。過去の「クロニクル」シリーズと京都ver.を概観できる展示に加え、今回被写体になっている京都の人々の姿を大きく引き伸ばした迫力のインスタレーションを披露した。これまでもさまざまなアートイベントに使われてきた京都新聞ビル地下1Fだが、その空間的特性を最大級に活用した過去最高の内容となった。


京都市美術館の別館では、メキシコを代表する写真家グラシエラ・イトゥルビデの日本初回顧展が観られた。



こちらが、今回の個人的ベスト展示だ。ポートレート、ランドスケープなどさまざまな作品を手掛けるイトゥルビデは、キャリア初期においてメキシコ砂漠で暮らす先住民族を取材している。かれらの生活は伝統に根付きながらも、現代的なモードを巧みに取り込むパワフルさがある。その逞しさ、軽やかさに心打たれる展覧会だった。
安藤忠雄建築として知られる商業ビルTIME’Sも会場に
毎年、セノグラフィー(空間設計)としてユニークな展示空間をつくり込むのも『KYOTOGRAPHIE』の特徴。イトゥルビデの展示では、大河ドラマ『真田丸』のタイトル映像にも関わった左官技能士・久住有生らによる土壁が作品に華を添える。ここにかけられた予算を想像すると目が回るが、贅沢だが決してやりすぎではない洗練が作品の世界観を際立たせていた。
ギャラリー素形では、台湾の写真家である劉星佑(リュウ・セイユウ)の『父と母と私』が観られた。



作家は両親と協働して、ときに男女の役割や関係を交換するポートレートをつくる。それは作家自身のジェンダーアイデンティティを問うこと、家族との関係を再考するプロセスとなるのだ。「アートを通して”もうひとつの選択”を伝えたい。そして両親と一緒に歩いていくことが自分にとってのアート」と語った作家の想いに触れることができた。
京都中心部の安藤忠雄建築として知られる商業ビルTIME’Sではマーティン・パーの『small world』と、𠮷田多麻希の『土を継ぐ──Echoes from the Soil』。




写真家・写真史家であるパーは、長らく「観光」をテーマに作品を撮り続けてきたレジェンド的な人物で、ユーモアとアイロニーが混ざった作風は多くのフォロワーを生んでいる。今回は代表作に加えて、オーバーツーリズムすぎるお花見シーズンの京都も新撮していた。
いっぽう、𠮷田多麻希はフランス・シャンパーニュ地方でのアーティスト・イン・レジデンスでの成果を作品化。葡萄畑の土壌をリサーチした作品は、シャンパンで有名なルイナール社のバックアップを受けたものだが、これは『KYOTOGRAPHIE』と民間企業の10年以上にわたる協働のレガシーと言えるだろう。𠮷田自身もポートフォリオレビューやマスタークラスなどに積極的に参加した経験を重ねており、『KYOTOGRAPHIE』の各プログラムにより成長を遂げた写真家の代表格だ。
Instagram発のレティシア・キイ、京都での滞在制作
祇園のど真ん中にあるASPHODELと観光スポットとしても人気の出町桝形商店街では、コートジボワール出身のレティシア・キイが祇園のど真ん中にあるASPHODELで『LOVE & JUSTICE』を、観光スポットとしても人気の出町桝枡形商店街で『A KYOTO HAIR-ITAGE』を発表。



Instagram発のアーティストであるレティシア・キイは、植民地時代以前の女性たちの髪型からインスピレーションを受けて、さまざまな髪型のセルフポートレートを制作している。ヘアスタイルやファッションからはそれぞれの土地の文化と歴史を読み取ることができるが、そこからジェンダーや暴力の問題を読み取ることもできる。それを逆手にとって、自らと女性たちのアイデンティティを問い返すのが『LOVE & JUSTICE』だ。いっぽう、『A KYOTO HAIR-ITAGE』は2024年の京都での滞在制作中に撮られた写真で構成されており、キイの京都での経験 / 印象を、ユーモラスに作品化していた。
両足院や東本願寺など、京都ならではの会場も
東山の古刹・両足院では、エリック・ポワトヴァンの『両忘ーThe Space Between』が Van Cleef & Arpelsの支援により展示されていた。


ヴァニタス画(17世紀オランダで流行した静物画で、死生観や人生の虚しさなどを表象するとされる)などの古典絵画的表象を写真に移し替えるポワトヴァンは、日本建築の空間に作品をインストール。京都らしい景観に現代写真が介入するセノグラフィーは『KYOTOGRAPHIE』の大きな特徴だが、しばしば「やりすぎ」感もあり、本展示がまさにそうだった。いかにも京都っぽくてわかりやすいけれども……。
『KYOTOGRAPHIE』として初使用となる東本願寺 大玄関では、イーモン・ドイルの『K』。



亡くなった兄と母への哀悼の意味合いを持つ作品群のなかには、33歳で亡くなった兄に宛てて母が書いた100通もの手紙も登場する。ドイルが長年コラボレーションしている音楽家、デイビッド・ドノホーによるアイルランド哀歌をコラージュした音楽も心に残った。
2人の作家による、特別なコラボレーションも
嶋臺(しまだい)ギャラリー東館では、リー・シュルマン&オマー・ヴィクター・ディオプの『The Anonymous Project presents “Being There”』が観られた。



2人の作家によるコラボレーションプロジェクトである本展。無名の人々の家族写真をコレクションし、そのアーカイブである『アノニマス・プロジェクト』を立ち上げたシュルマンは、セネガル出身の写真家で、歴史上人物や架空の人物に扮したセルフポートレートを制作するディオプに声をかけ、本作を始めたという。1950年代から1960年代の北米で撮られた家族写真に写っているのは多くが白人で、人種差別とそれに対する公民権運動の渦中にあった当時、白人と黒人が一緒に(そして平等に)写真に収まることは一般的ではなかった。本作は現在のディオプの姿を当時の写真に合成することで、その不均衡を示そうとしていた。
見どころとなる、インド出身のプシュパマラ・N
京都文化博物館別館では、CHANEL Nexus Hall主催のプシュパマラ・Nの大規模個展が展開していた。


こちらも強く印象に残った展覧会だ。インド出身のアーティストであるプシュパマラ・Nは、ヒンドゥー教の叙事詩『ラーマヤナ』のさまざまなシーンを自ら演じる作品などを制作している。作家によると、これらの神話はインドにおける国粋主義的運動にも影響を与える極めて政治的なものだという。さらに、女性が大きな役割を果たすにも関わらず、男性中心的な視点に立って語られてきた神話的世界は、構造的に女性を抑圧する側面も強くある。そういった歴史の不公正を、プシュパマラ・Nは作品を通して批評 / 批判していた。
ドラマ『フェンス』に描かれた戦後沖縄に通じる作品
誉田屋源兵衛・竹院の間では、Sigmaの支援により石川真生の作品が展示されていた。



石川真生は沖縄で制作を続ける写真家。今回は最初期の作品『赤花』と、現在も制作を続ける『大琉球写真絵巻』関連作品の2シリーズを展示している。歴史的に「日本」から搾取され続けてきた沖縄を、写真家、そして女性の視点から捉え直すかのような作品は悲観にばかり陥ることなく、どこまでも力強い。ちょうどAmazon Primeで配信中のドラマ『フェンス』(脚本は『逃げ恥』の野木亜紀子)で戦後沖縄に興味を持った人にもぜひ観てほしい展示だった。
くろちく万蔵ビルでは甲斐啓二郎の『骨の髄』が観られた。



アプローチはそれぞれ異なるとはいえ、広義のフェミニズムを扱う2作家のあとに紹介するのは、とても男くさい展示だ。フットボールの起源であるという祭りを追ってイングランドそしてジョージアを取材してきた甲斐は、その延長で日本の「裸祭り」や「火祭り」を撮影している。これまで軽視されてきた女性の視点が社会や歴史の新しい一面を見せつつあるのは今日の芸術文化の環境でも同様だが、それは同時に使い古された男性的な視点や表象を相対化して、新たに深く批評する機会にもなっていくだろう。本展は、そんな予感も感じさせる内容になっていた。
実質的に最後のメイン展示となるのが、写真祭のインフォメーションセンターも併設した八竹庵(旧川崎家住宅) のアダム・ルハナ『The Logic of Truth』だ。この会場では、共同ディレクター/共同創設者の仲西祐介がキュレーションをした『リトル・ボーイ』というごく小さな企画展も開催されていた。


パレスチナ系アメリカ人である写真家が、現在の戦争状態では目にすることのないパレスチナの日常を撮影したシリーズだ。写真の社会的機能にジャーナリズムがあり、本作はその側面にコミットしている。しかし、エリック・ポワトヴァンの展示でも苦言を呈した、空間設計への関心の浅さが気になる。海外の人々にとってエキゾチックな京町家の空間に振り回されている印象もあるし、作品や展示が否応なく持つ美学的 / 政治的側面への興味の薄さは指摘しておきたい。
批評・アートの可能性を開くことの意義
2024年の『KYOTOGRAPHIE』では、芸術祭自体に内在する植民地主義的傾向を批判する記事(※)が業界内で話題になり、主催側からそれに反論するポストがあった。私は当該記事の内容をすべて肯定するわけではないが、『KYOTOGRAPHIE』がヨーロッパの階級社会、さらにはその規範を内在化したいと望む日本人のリベラル(実質的には保守)の心象に根ざしたキュレーションを執行することに、無自覚であることもまったく否定しない。
人間性を褒めたたえながら、返す刀で人間性を踏みにじることを躊躇しない社会の欺瞞 / 矛盾を止揚して、異なる選択の道筋を示すこともアートだからできる方法だと私は信じたい。アダム・ルハナの展示は、アートの可能性を開いていく実験 / 実践のだいぶ手前に留まっている。
※「KYOTOGRAPHIE」はなんのためにある? 善意に満ちた態度と、キュレーションの不在(評:ダニエル・アビー)
これは日本やアジアの若い世代のアーティストに向けての批判でもあるが、今日のアーティストやキュレーターは日常の感覚や風景を肯定し、共感し、慈しむことの「善良さ」に依存しすぎではないか? その日常がどのような政治的文脈や経済原理のバランスで危うく成り立っているか、いまいちど思い返してほしい。もちろん、社会への達観や諦観を、人生の熟成として受け容れる「大人しぐさ」も鼻持ちならない。

新進育成をバックアップしてきた、10年目となる『KG+SELECT』の功績
とはいえ、『KYOTOGRAPHIE』には異なる表情もある。それを象徴するのが、2024年で10年目を迎えた『KG+SELECT』だ。
『KG+SELECTSELECT』は『KYOTOGRAPHIE』と連携した公募プログラム。京都芸術センター講堂で行われた今年の授賞式に集った人々は、『KYOTOGRAPHIE』のメイン企画と比べてぐっと若く、多様でもある。さらにこれまでの受賞者の何人かも登壇し、『KG+SELECTSELECT』によって開かれた活動について振り返る様子は感動的だ。カメラメーカーであるSigmaが粘り強くバックアップしてきた新進育成は、『KYOTOGRAPHIE』のもっとも素晴らしい財産だ。

気になる今年のアワードを受賞したのは、南米ウルグアイで活動するフェデリコ・エストルの『SHINE HEROES』だ。ラパスやエル・アルト近郊では、毎日3000人の靴磨き職人たちが路上で働いている。靴磨きという職業の地位の低さゆえに、かれらは周囲に気づかれないようにスキーマスクをつけて労働している。その状況をアメコミのマスクヒーローたちに重ね「差別を闘争と生存の物語に変えるフィクション」として提示する姿勢のポジティブさと実践性、そして写真を展示することの拡張性を感じさせる内容は、たしかにアワードにふさわしい。エストルは、来年の『KYOTOGRAPHIE』で個展を行うが、本人曰く「地球の裏側にあって、ひょっとしたら人生のなかで行くことのない」日本で展示することの意義も大きい。私たちは私たちの知らない人々と社会にもっと出会っていくべきだし、それを促すことは国際芸術祭の重要な役割だ。


「現代アート」の市民権が向上するなかで、日本の文化環境も、経済性や利潤に貢献することを強く問われている。そこへの順応は避け難いとしても、断じて芸術の本質ではない。『KYOTOGRAPHIE』の大きな成功が、人々の小さな営みに寄り添い、苦しみや悲しみをいつか払拭することと共にあってほしい。「HUMANITY」が指し示している対象は幅広いが、「人間性」とはまず私たちの小ささや弱さを支えるものとしてある。

『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025』
会期:2025年4月12日(土)から5月11日(日)
会場:
京都文化博物館 別館
京都新聞ビル地下1F(印刷工場跡)&1F
京都駅ビル北側通路壁面
京都市美術館 別館
両足院
誉田屋源兵衛 竹院の間
くろちく万歳ビル
ASPHODEL
八竹庵(旧川崎家住宅)
ギャラリー素形
DELTA/ KYOTOGRAPHIE Permanent Space 出町桝形商店街
嶋臺(しまだい)ギャラリー
TIME’S
東本願寺 大玄関
他
参加アーティスト/出身地:
プシュパマラ・N(Pushpamala N)/インド
JR/フランス
グラシエラ・イトゥルビデ(Graciela Iturbide)/メキシコ
エリック・ポワトヴァン(Eric Poitevin)/フランス
マーティン・パー(Martin Parr)/イギリス
石川真生/日本
アダム・ルハナ(Adam Rouhana)/アメリカ
𠮷田多麻希/日本
リー・シュルマン&オマー・ヴィクター・ディオプ(Lee Shulman & Omar Victor Diop)/イギリス、セネガル
甲斐啓二郎/日本
イーモン・ドイル(Eamonn Doyle)/アイルランド
レティシア・キイ(Laetitia Ky)/コートジボワール
劉星佑(Hsing-Yu Liu)/台湾
主催:一般社団法人KYOTOGRAPHIE
公式サイト:https://www.kyotographie.jp/
KYOTOGRAPHIE 12周年記念本「『KYOTOGRAPHIE: 京都物語 |十二支』:
https://store.kyotographie.jp/product/kyotographie-a-kyoto-story/702
『KG+SELECT2025』
会期:2025年4月12日(土)~5月11日(日)※一部有料会場あり、会場によって会期は異なる
公式サイト:https://kgplus.kyotographie.jp/
KG+SELECTSELECT Award 10周年記念本『KG+SELECTSELECT 10 YEARS, 10 ARTISTS』:
https://store.kyotographie.jp/product/kg-select-10-years-10-artists/780?si=true