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君島大空のサウンドの秘密が刻まれた『午後の反射光』

―君島さんが6年間、何を表現し続けてきたのか掘り下げるべく、『午後の反射光』からの作品を振り返っていきたいのですが、このEPの表題曲には君島大空のサウンドシグネチャーが全部入っていると感じます。
君島:やりきりにいってますからね、これ。
―しかもそのサウンドは歌詞の世界と呼応するように機能している。
君島:うん、歌詞に合わせて変えたりしましたから。
―逆再生された音、軋むような電子音、躁的な音の連なり、フィードバックノイズやドローン、具体音のコラージュ……ギターと歌の表現にこうしたサウンドを織り交ぜるのは、すごく記名性の高い表現のあり方だと思うのですが、そこにはどういう意図があったのでしょうか?
君島:理由はいっぱいあって、まず歌詞もその一要素であるし、歌詞にリンクした映像の演出装置としてその音が必要だからっていうのがあります。あとは、逆再生のアコースティックギターって何か始まるような気がして昔からすごい好き、みたいな単純な理由もあるし。
僕がやりたかったのは、日本語で、歌があって、その周りで鳴っている関係なさそうな音も全部が関係しあっていて、それが僕の支配下で有機的に機能している音楽だったんだと思います。そうやって自分の音楽を作る中で、それまで好きで聴いていたミュージックコンクレート(※)のような音楽も仲間外れにしたくないって気持ちもありました。
―さっきフィードバックノイズと僕が言い表した音も、おそらく君島さんの中で「ノイズ」という認識ではないですよね?
君島:そうですね。ノイズだと思って出してないと思う。このEPは強烈に映像ベースかもしれないです。夕方で、風が吹いていて、木が揺れてて、っていう映像、景色をどう表現していくか、って話で。例えば、“夜を抜けて”は実家の坂の上のイメージで作っていて、バイオリンの弓で12弦ギターを弾いて風の音を表現してみた、みたいな工夫をしています。
※人の声、動物の声の音のような自然界の音、鉄道の音のような都市の環境音などの具体音を録音、編集、音響処理して制作された音楽のこと
―つまり映像や景色を、音楽に置き換えるように作っていると。映像の話が出ましたけど、最初の取材ではアンドレイ・タルコフスキーの名前を挙げていました。タルコフスキーの映像的な美観が、君島さんの表現したい映像と重なる部分があったんでしょうか?
君島:そうですね。単純に映像のテイストが僕が見たい世界に近かったのと、物語を見せるという映画ではないところがすごくしっくりきて。(松永)つぐみさん(※)に教えてもらったのかな。
※君島大空のデビュー前から親交のある映像作家・写真家で、“遠視のコントラルト”や“19℃”“向こう髪”などのミュージックビデオなどを手がける
―もうひとつキーワードとしてあったシュルレアリスムは、どういうところに共感したんでしょう?
君島:シュルレアリスムも、つぐみさんと話していく中で知って。ただ、シュルレアリスム全般にめっちゃ共感するかと言われたら、別になくて。当時、何に共感したかっていえば、関係ないものがひしめている感じで。ひとつの額の中に一見関係なさそうなものがあって、作り手によって支配されていて、表現としてちゃんと貫かれていることに安心したんです。
―先ほど話してくれた君島さんのやりたかった音楽像と重なりますね。
君島:僕はエレクトロニカとか音響派と呼ばれる音楽も好きだし、いわゆる弾き語りの音楽もメタルも好きだけど、それを1曲の中で全部やるのは変だと思っていて。でも何か方法論があるんじゃないかと模索していたときにそういう芸術に出会って、「できるじゃん!」ってなったんだと思う。何かひとつにジャンルを縛らず、自分の好きな音楽を全部1曲ないし、作品1枚の中でやろうとしたのが『午後の反射光』です。
―“午後の反射光”にある組曲的な構成、テンポチェンジによる時間が伸縮する感覚は、君島さんの音楽に頻出する要素ですが、これはどういう意図があるのでしょうか。
君島:戻したくて、時間を。すごく大切な曲だったり、好きな曲を聴いているときにしかならない気持ちってあるじゃないですか。そういう曲を聴いているときって時間がちょっと止まるし、戻る感じが僕にはあって。自分の音楽を聴いた人の体感時間も延びてほしくて、そういう仕掛け、という意図があります。
それに時間の伸縮は、ずっとあるテーマで。音自体でもそうだし、1曲の中でいろんな場所に連れていけるもの、同じ場所にいながら景色が変わっていくようなものが作りたいんです。部屋から一歩も出なくても、めまぐるしく見えているものは変わっていって、1日の中で思ってること、気持ちは変わっていくよね、っていう自分の情緒に正直に曲を作った結果こうなっていると思います。
―どうして君島さんはそういう音楽を作っているんでしょうね。
君島:自分の記憶のどこかに急にどんって戻りたい欲求が常にあるし、会えなくなっている人に会えるような音楽を作りたいってことが動機としてずっとあるんです。
そういう音楽って歌詞にフォーカスしていくパターンが多い気がするんですけど、自分は違う何かをやりたかった。言葉だけで満足しちゃいけないと思っているから、「戻ってる」って言ったとき、音でも同じように表現されていてほしい欲求がすごく強くあります。
あなたが笑う度に その潤んだ右の眼から
君島大空“午後の反射光”より
溢れ出す光の中でいつか会えるなら
すぐに教えなくちゃ ずっとここにいたんだよって!
きっと伸ばした指先が 空をまためくるよ

―実際に時間が伸縮するようなサウンドと呼応して、“午後の反射光”では<溢れ出す光の中でいつか会えるなら>と歌っています。
君島:“午後の反射光”は全く違う時間の流れにあるものを1曲の中で表現したかったんです。組曲っぽくしたくなかったんですけど、結果そうなったのは、「ここでこの場面」「ここでこの時間」っていう映像ベースのディレクションだからだと思います。
―“遠視のコントラルト”の歌詞にも、<焼きついたまま化石した景色を ただ見ている まだ見ている>とあります。一瞬の情景を引き伸ばして、音と言葉で形にする、ってことは、おそらく君島さんの音楽を作る「動機」にすごく密接に関わっていますよね。
君島:そうですね。でもこのEPって聴き手に開いてはいるけど、「わかる人だけわかれ」って思って作りすぎているから、今より全然閉鎖的だなって思います。でもそれが素直でいいなと思いますけどね。
容易く色は変わって 遠視のレンズ越しに消えた
君島大空“遠視のコントラルト”より
どこまでゆくの? もう止んだ雨の中に
抑え込んだ笑みの影だけ残して
焼きついたままの化石した景色を
ただ見ている まだ見ている
反射した光の果てを掴めて消えてゆく