「本日は僕のひとつの区切りになる公演になります」。
少し前のことになるが、2025年1月、LINE CUBEで行われたワンマン公演『笑う亀裂』の前夜、君島大空はこんな言葉をXに投稿していた。このインタビューは最新EP『音のする部屋』のためのものであったが、まず本作にも深く関わっているであろう君島大空が「区切り」と表現した言葉の意図について話を聞いている。
「区切り」とは、君島大空が音楽を作り続けてきた「動機」と密接に関係しているようだが、ここではその「動機」に具体的に立ち入ることは避けている。なぜならそれは、この音楽の可能性、聴き手の関係性を閉ざしてしまうことになりかねないからだ。その代わりにデビューEP『午後の反射光』(2019年)からの6年間、君島大空という音楽家がどのような音楽を、いかなる意図から生み出してきたのかを振り返った。
鍵となったのは“午後の反射光”と“Lover”という2つの楽曲。君島大空はその音楽を通じて、一体何を表現してきたのだろうか。
※NiEWでは後日、君島大空『音のする部屋』の全曲解説を公開予定
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君島大空が迎えた「ひとつの区切り」とは何だったのか
―LINE CUBEのワンマンは君島さんにとって「ひとつの区切り」という位置づけだったとのことですが、この言葉を使ってどんなことを伝えたかったのでしょうか。
君島:……難しいですね。今の活動の仕方って、『午後の反射光』(2019年)を出した頃に思い描いたものとは全く違っていて、LINE CUBEでバンドでワンマンやって、しかもソールドアウトするとは全然想像してなかった。伝えたいことも最近変わってきていると思うし、そういう節目でもあったと思います。
―あの日のライブは、小曲的なイントロダクションを経て“午後の反射光”で始まり、“Lover”で本編が締め括られました。ライブの内容から、君島さんのデビューEPの表題曲“午後の反射光”から、あの当時の最新曲“Lover”に至るまで期間を「ひとつの区切り」としているのかなとも思ったんです。
君島:そうですね。
―そうやってひとつの節目を迎えた今、君島大空のデビューからの6年間を改めて共有しておいたほうがいい気がします。
君島:僕も最近、めっちゃそのことを考えます。

1995年、東京都青梅市生まれ。ソングライター/ギタリスト。ギタリスト/サウンドプロデュースとして、吉澤嘉代子、アイナ・ジ・エンド、ゆっきゅん、細井徳太郎、坂口喜咲、RYUTist、adieu(上白石萌歌) 、高井息吹、など様々な音楽家の制作、録音、ライブに参加。2019年 EP『午後の反射光』を発表後から本格的にソロ活動を開始。2025年3月、4th EP『音のする部屋』をリリースした。
―まず前提の確認をすると、『午後の反射光』から1stアルバム『映帶する煙』(2023年)までは、おそらく君島さんの中に明確にある「音楽を作る『動機』」が純度を保ったまま楽曲となってこぼれ落ちてくる、というような作り方をしていましたよね?
君島:『映帶する煙』まではかなり地続きに続いてます。自分の遍歴の振り返りというか総括で、アルバムの半分ぐらい占めている昔の曲も出すならこのタイミングってことがあったので。
―その9か月後に出した2ndアルバム『no public sounds』(2023年)で、そことは違う可能性が見えてきますね。
君島:『no public sounds』は、作る理由を自分のことにしなかったんです。それまでは作る理由が全部自分の過去や自分の周りのことや気持ちに紐づいていたけど、この作品は友人の作った映画が制作のきっかけ、ブースターになっていて、その中で友達の音楽に刺激を受けてできた曲があったり、Skrillexみたいな曲を作ろうと思って四つ打ちの曲(“˖嵐₊˚ˑ༄”)を作ってみたり。
君島:それ以前は、そういう気楽さで制作に取り組むことに対してすごく嫌悪感があったんです。僕はかなりこねくり回すタイプで、特に『午後の反射光』のときは「パッと作る曲に価値があるのか」って思っていたから、1曲に何年もかけるのが当たり前だった。
―君島さんがそういうスタイルだったのは、音楽を作る「動機」自体が、君島大空というひとりの人間、その生きてきた時間そのものに密接に関係しているからでは、と思うんです。
君島:そうだと思います。自分が音楽を作る「動機」そのものにタッチして、人には見せられないものをポップスとして出すことにすごく抵抗があって。そこまで自分の心を削いで音楽を作ることは果たしていいことなのかってことも思っていたし、同時に低カロリーで「いい歌っぽいもの」を作って生きていくのは嫌だってこともずっとありました。
―そういう葛藤の中で、「動機」そのものを明かすことはなく、それでも君島さんはその音楽を聴き手が自分のものにしながら受け取れるようにも作ってきましたよね。
君島:うん。僕はそういう秘匿の仕方をずっとしていると思います。
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君島大空のサウンドの秘密が刻まれた『午後の反射光』

―君島さんが6年間、何を表現し続けてきたのか掘り下げるべく、『午後の反射光』からの作品を振り返っていきたいのですが、このEPの表題曲には君島大空のサウンドシグネチャーが全部入っていると感じます。
君島:やりきりにいってますからね、これ。
―しかもそのサウンドは歌詞の世界と呼応するように機能している。
君島:うん、歌詞に合わせて変えたりしましたから。
―逆再生された音、軋むような電子音、躁的な音の連なり、フィードバックノイズやドローン、具体音のコラージュ……ギターと歌の表現にこうしたサウンドを織り交ぜるのは、すごく記名性の高い表現のあり方だと思うのですが、そこにはどういう意図があったのでしょうか?
君島:理由はいっぱいあって、まず歌詞もその一要素であるし、歌詞にリンクした映像の演出装置としてその音が必要だからっていうのがあります。あとは、逆再生のアコースティックギターって何か始まるような気がして昔からすごい好き、みたいな単純な理由もあるし。
僕がやりたかったのは、日本語で、歌があって、その周りで鳴っている関係なさそうな音も全部が関係しあっていて、それが僕の支配下で有機的に機能している音楽だったんだと思います。そうやって自分の音楽を作る中で、それまで好きで聴いていたミュージックコンクレート(※)のような音楽も仲間外れにしたくないって気持ちもありました。
―さっきフィードバックノイズと僕が言い表した音も、おそらく君島さんの中で「ノイズ」という認識ではないですよね?
君島:そうですね。ノイズだと思って出してないと思う。このEPは強烈に映像ベースかもしれないです。夕方で、風が吹いていて、木が揺れてて、っていう映像、景色をどう表現していくか、って話で。例えば、“夜を抜けて”は実家の坂の上のイメージで作っていて、バイオリンの弓で12弦ギターを弾いて風の音を表現してみた、みたいな工夫をしています。
※人の声、動物の声の音のような自然界の音、鉄道の音のような都市の環境音などの具体音を録音、編集、音響処理して制作された音楽のこと
―つまり映像や景色を、音楽に置き換えるように作っていると。映像の話が出ましたけど、最初の取材ではアンドレイ・タルコフスキーの名前を挙げていました。タルコフスキーの映像的な美観が、君島さんの表現したい映像と重なる部分があったんでしょうか?
君島:そうですね。単純に映像のテイストが僕が見たい世界に近かったのと、物語を見せるという映画ではないところがすごくしっくりきて。(松永)つぐみさん(※)に教えてもらったのかな。
※君島大空のデビュー前から親交のある映像作家・写真家で、“遠視のコントラルト”や“19℃”“向こう髪”などのミュージックビデオなどを手がける
―もうひとつキーワードとしてあったシュルレアリスムは、どういうところに共感したんでしょう?
君島:シュルレアリスムも、つぐみさんと話していく中で知って。ただ、シュルレアリスム全般にめっちゃ共感するかと言われたら、別になくて。当時、何に共感したかっていえば、関係ないものがひしめている感じで。ひとつの額の中に一見関係なさそうなものがあって、作り手によって支配されていて、表現としてちゃんと貫かれていることに安心したんです。
―先ほど話してくれた君島さんのやりたかった音楽像と重なりますね。
君島:僕はエレクトロニカとか音響派と呼ばれる音楽も好きだし、いわゆる弾き語りの音楽もメタルも好きだけど、それを1曲の中で全部やるのは変だと思っていて。でも何か方法論があるんじゃないかと模索していたときにそういう芸術に出会って、「できるじゃん!」ってなったんだと思う。何かひとつにジャンルを縛らず、自分の好きな音楽を全部1曲ないし、作品1枚の中でやろうとしたのが『午後の反射光』です。
―“午後の反射光”にある組曲的な構成、テンポチェンジによる時間が伸縮する感覚は、君島さんの音楽に頻出する要素ですが、これはどういう意図があるのでしょうか。
君島:戻したくて、時間を。すごく大切な曲だったり、好きな曲を聴いているときにしかならない気持ちってあるじゃないですか。そういう曲を聴いているときって時間がちょっと止まるし、戻る感じが僕にはあって。自分の音楽を聴いた人の体感時間も延びてほしくて、そういう仕掛け、という意図があります。
それに時間の伸縮は、ずっとあるテーマで。音自体でもそうだし、1曲の中でいろんな場所に連れていけるもの、同じ場所にいながら景色が変わっていくようなものが作りたいんです。部屋から一歩も出なくても、めまぐるしく見えているものは変わっていって、1日の中で思ってること、気持ちは変わっていくよね、っていう自分の情緒に正直に曲を作った結果こうなっていると思います。
―どうして君島さんはそういう音楽を作っているんでしょうね。
君島:自分の記憶のどこかに急にどんって戻りたい欲求が常にあるし、会えなくなっている人に会えるような音楽を作りたいってことが動機としてずっとあるんです。
そういう音楽って歌詞にフォーカスしていくパターンが多い気がするんですけど、自分は違う何かをやりたかった。言葉だけで満足しちゃいけないと思っているから、「戻ってる」って言ったとき、音でも同じように表現されていてほしい欲求がすごく強くあります。
あなたが笑う度に その潤んだ右の眼から
溢れ出す光の中でいつか会えるなら
すぐに教えなくちゃ ずっとここにいたんだよって!
きっと伸ばした指先が 空をまためくるよ
君島大空“午後の反射光”より

―実際に時間が伸縮するようなサウンドと呼応して、“午後の反射光”では<溢れ出す光の中でいつか会えるなら>と歌っています。
君島:“午後の反射光”は全く違う時間の流れにあるものを1曲の中で表現したかったんです。組曲っぽくしたくなかったんですけど、結果そうなったのは、「ここでこの場面」「ここでこの時間」っていう映像ベースのディレクションだからだと思います。
―“遠視のコントラルト”の歌詞にも、<焼きついたまま化石した景色を ただ見ている まだ見ている>とあります。一瞬の情景を引き伸ばして、音と言葉で形にする、ってことは、おそらく君島さんの音楽を作る「動機」にすごく密接に関わっていますよね。
君島:そうですね。でもこのEPって聴き手に開いてはいるけど、「わかる人だけわかれ」って思って作りすぎているから、今より全然閉鎖的だなって思います。でもそれが素直でいいなと思いますけどね。
容易く色は変わって 遠視のレンズ越しに消えた
どこまでゆくの? もう止んだ雨の中に
抑え込んだ笑みの影だけ残して
焼きついたままの化石した景色を
ただ見ている まだ見ている
反射した光の果てを掴めて消えてゆく
君島大空“遠視のコントラルト”より