毎週火曜夜10時から放送中のテレビドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(NHK総合)が最終回を迎える。
既に2023年5月にNHK BSで放送されていたドラマではあるが、今回、NHK総合での放送となったことと話題作への主演が続く河合優実の活躍も相まって、多くの視聴者の目につくこととなった本作。
放送批評懇談会「ギャラクシー賞」テレビ部門の奨励賞も受賞した通称「かぞかぞ」について、全10話の前半を振り返った記事に続いて、ドラマ・映画とジャンルを横断して執筆するライター・藤原奈緒がレビューする。
※本記事にはドラマの内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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身近にいる面白い人たちのことを話したくなるドラマ

ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(NHK総合)を観ていると、自分の家族の話がしたくなる。身近にいる面白い人たちのことを話したくなる。第6話で主人公・岸本七実(河合優実)が、自分の仕事を「家族を自慢する仕事」と言う場面があるが、まさにそうだ。彼女の行動や言動からは家族愛があふれている。そして、その家族は決して彼女を縛ったりしない。一人ひとりがそれぞれの場所で、ちゃんと家族を想い続けていたら、いつでも家族は一緒で、どこにでも行けるのだ。
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が本日、最終回を迎える。作家・岸田奈美が自身の家族について綴った同名エッセイを原作に、共同脚本・演出を手掛けた大九明子を中心とした制作陣による独自の脚色を加えて作られたドラマは、生者と死者、過去と現在の間を自由自在に飛び回って来た。視聴者は、岸本家の波乱万丈な日々を通して、「家族とは何か」「愛とは何か」を考えずにはいられなかっただろう。
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誰しも「家族という族に属している」からこその共鳴

第7話で、作家になった七実(河合優実)に対して、編集者の末永繭(山田真歩)が「岸本家のエピソードにハマる人はみんな、特別な何かを求めているんじゃないと思うんです。めんどくさい家族をきっちり笑いに昇華してくれている頼もしさにハマるんだと思います」と言う場面がある。ドラマの前半部分だけでも、七実の人生は波乱万丈だった。弟はダウン症、父は急逝、母は突然倒れて、車いすユーザーに。全10話の後半である第6話から第7話で、ようやく順風満帆な作家生活が始まったかと思いきや、母の大手術、祖母の認知症と、次々と難題が降りかかってくる。それらのすべてを「悲劇も誰かに笑ってもらえたら喜劇になる」と文章に変えてパワフルに生きていく七実。自分自身に置き換えて共感するなんておこがましいと思う一方で、どこか共鳴するところがある。それはきっと、ALL WRITE社長・小野寺(林遣都)の言う通り、私たちが誰しも「家族という族に属している」ためなのだろう。
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忘れがたい過去を抱えて現在を生きていくことの肯定

第7話のエンドロールにおける、七実の祖母・芳子(美保純)が月に向かって歌うピンキーとキラーズ“恋の季節”は、切なくも美しかった。本作の興味深いところは、生者と死者、過去と現在の間を自由自在に飛び回るところだが、その効力は終盤にこそ真価を発揮したと言えるかもしれない。芳子の若い頃から今に至るまでを知っている近所の人たちとのやりとりと、苦労の多かった若き日の回想、そして、現在の彼女の姿が並行して描かれる第8話は、たった1話に芳子の人生を凝縮し、照らしてみせた。何より、認知症のために、孫の七実を、娘のひとみと間違えたまま話す芳子の姿を、こうも愛おしく描けるのは、本作が、登場人物が忘れがたい過去を抱えて(時に、その幻影とともに)現在を生きていくことを肯定的に描いてきたからだろう。
だから、第3話のエンドロールで「昔もええ、今もええ。一生懸命食べて、一生懸命生きてれば、それでええ」と言っている芳子が、時折、七実をひとみ(坂井真紀)に、孫の草太(吉田葵)を義理の息子の耕助(錦戸亮)に見誤りながら、過去と現在の中間ぐらいで生きていることを「日々進化中」として受け入れることができるのである。老いによって変わりゆくものと、それでも変わらないもの。食べ物に纏わる芳子の台詞の数々の温かさは、若き日から今に至るまで、ずっと変わらない。