INDEX
「僕らだからできる」スタッフと作り上げてきた、面白いラジオ放送
カビラ:今は皆さんスマホをお持ちで、それぞれシアターを携帯している時代ですが、ラジオにはそれに加えて「ライブ」と「地域」という特性がある。これは強いと思うんです。
「今、この時間」を、番組を聞いてくださっているあなたと共有することができる。もちろん録音番組もありますけど、基本的には朝から夜にかけてライブなので、例えばMLBの試合結果も速報で入りますし、災害の情報もいち早くお届けできます。交通情報についても、上からの視線ではなく「安全に行きましょう」とお伝えすることができる。稀有なメディアだと思います。
ーラジオが地域に根ざしているなら、J-WAVEも東京という街の変容に強く影響されてきたのではないかと思います。
カビラ:J-WAVEが西麻布にあった頃(※)、スタジオから湾岸方面を見ると、1棟のタワーマンションが建設中でした。(窓の外を眺めて)その頃と比べると「どうなっちゃったの?」という感じですよね(笑)。東京もニューヨークの摩天楼みたいになるのかと思いましたけど、こんなに増えるとは全くイメージしていなかったですね。
※1988年から2003年まで。2003年に現在の六本木に移転

ー街が変わればそこに暮らす人も変わりますが、その人々に向かって喋る言葉も変わるのでしょうか?
カビラ:うーん、どうですかね。29歳からラジオDJをやり始めましたが、こんな年齢になるまでやっているとは想像していなかったですし。とにかく東京の朝をどういう風に変えてやろうかという勢いだけでした。
いろんな冒険もしましたね。いきなりアメリカの地下鉄にある公衆電話にかけてみたり。一台一台に固有の電話番号があるんですよ。生放送中にかけてみたら、なかなか出ないんですけど、ガチャッと誰かが受話器を取る音がしたんです。そして、そのままガチャッと切られました(笑)。ホワイトハウスにも電話しました。「東京のラジオ局から電話している」と伝えたらラジオ担当に繋いでくれたんですよ。インタビューは断られましたけど(笑)。僕たちもドキドキワクワクしながらやっていたし、聞いている方も「こいつら何考えてるんだ」と思いながらその感覚を共有してくれていたと思います。そういった冒険心は落ち着きましたね。
ーカビラさんは世代交代を意識しますか? それとも、「まだまだ自分にしかできないことがある」と思いますか?
カビラ:「僕にしかできないこと」というのは、一度も考えたことがないです。スタッフやチームと一緒に「僕らだからできるよね」という感覚ですかね。みんなの思いと技術が結集しないと、絶対にいい番組は作れないと思うので。
ただ、「カビラならこういうことが出来るよね、こういうことはやらないよね」というイメージは覆したいなと。古い言い方だと「カビラ節」のようなものがあるとして、「それとは違うことをやりましょう」と言ってもらえる自分でありたい。「これが聞きたかった!」と「こんなこともやっちゃうの?」を天秤にかけて、バランスをとりながら続けていくのが夢ですね。
若い世代の方々には、カビラなんて意識する必要は全くないから、やり切っていただきたいですね。「Mr.J-WAVE」なんて、もう勘弁してほしい(笑)。
