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岩井俊二が振り返る監督デビュー30年。仕事を選ばず、作品を「商品」と言える意識

2025.7.18

#MOVIE

『Love Letter』『花とアリス』『リリイ・シュシュのすべて』など、唯一無二の世界観で日本映画界を牽引し続ける映画監督、岩井俊二が映画監督デビュー30周年を迎える。

虚構と現実の狭間にあるような世界観を、自然風景や光、音楽を駆使した映像美で表現し、ノスタルジックな作風は「岩井美学」ともよばれ世界中の人々を熱狂させる。とくに、クラシックをベースとした映画音楽は岩井作品を彩る重要な要素のひとつだ。これまで、音楽家の小林武史を音楽監督に迎えて、『スワロウテイル』をはじめ自ら「音楽映画」と位置づける作品も発表。そのほか劇伴にも携わり、音楽ユニット「ヘクとパスカル」「ikire」を主宰するなどして、精力的に音楽活動を続けている。そんな岩井監督が、長編映画デビュー作である『Love Letter』を軸に劇伴楽曲を生演奏で届けるライブを開催。特別な一夜を前に、自身の音楽的な原体験、映画と音楽の関係から30年を振り返ってもらった。

虫プロのアニメ曲やカーペンターズ……岩井俊二監督の原風景にある音楽

─岩井俊二監督の映画音楽は、一貫したものがあるように感じます。岩井監督の音楽的な原風景は?

岩井:たしかに根本的なところは変わってないでしょうね。幼少期から好きな音楽があまり変わっていなくて、今聴き返してみても自分の好きな特徴的なコード進行が入っていることに気づかされます。

─どのような音楽に心動かされてきたのでしょうか?

岩井:具体的にこういうジャンルのこの曲、というより好きな曲の和音の進行に共通性があったり。後になって気づいたんですが。なぜ惹かれるのか自分でも理由はわからないですけど、子どもの頃から好きなコード進行というのがありましたね。

岩井俊二 (いわい しゅんじ )
映画監督、小説家、作曲家。1963年1月24日生まれ、宮城県出身。1993年、オムニバスドラマ『ifもしも~打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』で、日本映画監督協会新人賞を受賞。1995年から順次公開された長編映画『Love Letter』は、アジア各国でも評判を得る。以降も数々の作品を手掛ける。

─周りの流行りというよりも、感覚的に自分の中で受け入れられるものが決まっていたんですね。

岩井:幼い頃、手塚治虫さんの虫プロが作っていたアニメの曲をよく聴いていた記憶があります。小学生になると歌謡曲が時代を席巻して、必然的に耳に入ってくるようになるんですが、僕にとっては虫プロの曲のほうが芳醇な感じがして。今にして思えば、ジャズの要素だったり、今風なコード進行だったりは、そっちの方に多くあって。

─世代的にはフォークソングなど歌謡曲全盛で、テレビでは音楽番組が盛況だった時代ですよね。

岩井:そうなんです。だから、音楽番組を見ていても苦痛だったというか、家や世間で流れる音楽に対する嫌悪感はありました。半強制的にテレビを見ざるを得ない環境下だったので、ちょっとトラウマにもなっていますね。 そこから小学校高学年くらいでCarpentersやユーミンの楽曲を聴くようになって、身体が再び音楽に反応したんですが、それでも好みの曲はそこまで多くなかったですね。

─ピンとくる曲を見つけるために、音楽をたくさん聴いてらっしゃったんですか?

岩井:そんなに積極的ではなかったと思います。ただ、親の影響もまったくなかったので、どこかで見つけたんでしょうね。洋画のサントラも好きでした。小学生のころ、洋画のサントラを集めた音楽集を聴いてそこから見つけることもあれば、テレビで偶然見た洋画から曲を知ることも。ゴージャスな感じのアレンジよりも、ピアノだけとか、シンプルな編成が好きでした。

偶然カーラジオから聴こえてきた小林武史との出会い

─岩井俊二監督作品の中でも「音楽映画」と位置づけられる作品が『スワロウテイル』(1996)、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)、『キリエのうた』(2023)。どれも小林武史さんが音楽を手がけられていますが、どのような部分で共鳴されていたのでしょうか?

岩井:『スワロウテイル』の脚本を書いていたのが1994年くらいで、1980年代が終わりを迎えた頃でした。1980年代は電子音楽機器が隆盛を極めて、電子ドラムが出てきたことでリバーブの強い音像だった。

1990年代に入るとその反動なのか、わりと乾いた音が出始めて、僕もちょうどそっちに波長があったんです。アメリカのモータウン・レコードや1970年代のキャロル・キングを好んで聴いていたので、「こういう乾いた音がほしいな」というニュアンスの希望があって、誰と組めばこういう音楽を作れるのか考えていました。それである時、カーラジオから「My Little Lover」が流れてきて、ピンときたんです。僕はサザン・オールスターズのMVも監督していたので、小林武史さんならつながりもある。音楽的な好みの部分で、遠くないんだと思います。

─小林さんとの音楽制作の進め方はどんな感じでしょうか?

岩井:『スワロウテイル』は小林武史さんがNYに持っていたスタジオで、アナログのアンプを導入したり、スタジオミュージシャンを起用したり、凄くゴージャスな環境でしたね。オーケストラの収録はヨーロッパのどこかまで行ってましたよ。あれがバブル期って奴でしょうか。編集もロサンゼルスでしたし。『リリイ・シュシュのすべて』や『キリエのうた』は普通にみんな東京で。

─岩井監督自らが音楽を担当するようになったのは『花とアリス』(2004)からですよね。

岩井:そうですね。学生の頃から音楽は好きで、自主制作映画に自分で曲をつけていましたが、本職の方々と比べたら到底及ばないレベルで。『Love Letter』(1995)、『PiCNiC』(1996)など初期作品はREMEDIOS、『スワロウテイル』は小林武史さんに音楽をお願いしていましたし、自分で映画音楽を作ろうとは思っていませんでした。

―ご自身での音楽制作はどのように始まったのでしょうか?

岩井:ある年の暮れに思い立って、ヤマハの渋谷店でPC用の音楽を作れるソフトやキーボードをお店の人に相談しながら買い揃えたんです。趣味の延長というか、遊びのつもりで。初めて作ったのが『犬神家の一族』の“愛のバラード”という曲をアレンジしたもので(笑)、やってみたら楽しくて、週末が来るたびにずっとPCの前に座って目的もなく曲を作っていました。音源が良かった。Roland SC-88という、後にレイ・ハラカミさんも同じ機材で楽曲を作っていたと知って嬉しかったんですけど、ピアノや生ギターの音が素晴らしかったんです。学生の頃の打ち込み機材だと、一生懸命作ったとしてもさほどいい感じにはならなかったんですが、10年の時が経つとここまでしっかりした曲ができるのかと。

─ご自身の作品を手がけるようになったきっかけは?

岩井:最初はCMでした。木村拓哉さん主演で、金田一耕助のパロディで。犬神家の一族風な曲を作って。本格的にやり始めたのは『四月物語』(1998)のサントラからでしたね。3ヶ月くらいかかりましたかね。時間さえかければ自分でも作れるという手応えはありました。

岩井:最初は匿名でやってました。ペンネームを毎回変えて。JASRACから名前をあまり変えないでくれと言われて、だったら本名でいいかと。

─『花とアリス』(2004)は全曲岩井監督が手がけられていて、切なく美しいメロディーが非常に印象に残っています。

岩井:ありがとうございます。コメディはけっこう大変なんですよ。多彩なスコアが必要になる。クラシック風なトーンを基調にしてやりたかったので、色々調べたり、聴いたり、研究したりしながら作りました。あの時は打ち込みにハマって、アコースティックをコンピューターで再現する方法をひたすら調べるオタク化していました。いろんな音源を試しては、ダメだ使えない、他にないか……果てしなく探し続けて。散財もして。

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