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偶然カーラジオから聴こえてきた小林武史との出会い
─岩井俊二監督作品の中でも「音楽映画」と位置づけられる作品が『スワロウテイル』(1996)、『リリイ・シュシュのすべて』(2001)、『キリエのうた』(2023)。どれも小林武史さんが音楽を手がけられていますが、どのような部分で共鳴されていたのでしょうか?
岩井:『スワロウテイル』の脚本を書いていたのが1994年くらいで、1980年代が終わりを迎えた頃でした。1980年代は電子音楽機器が隆盛を極めて、電子ドラムが出てきたことでリバーブの強い音像だった。
1990年代に入るとその反動なのか、わりと乾いた音が出始めて、僕もちょうどそっちに波長があったんです。アメリカのモータウン・レコードや1970年代のキャロル・キングを好んで聴いていたので、「こういう乾いた音がほしいな」というニュアンスの希望があって、誰と組めばこういう音楽を作れるのか考えていました。それである時、カーラジオから「My Little Lover」が流れてきて、ピンときたんです。僕はサザン・オールスターズのMVも監督していたので、小林武史さんならつながりもある。音楽的な好みの部分で、遠くないんだと思います。
─小林さんとの音楽制作の進め方はどんな感じでしょうか?
岩井:『スワロウテイル』は小林武史さんがNYに持っていたスタジオで、アナログのアンプを導入したり、スタジオミュージシャンを起用したり、凄くゴージャスな環境でしたね。オーケストラの収録はヨーロッパのどこかまで行ってましたよ。あれがバブル期って奴でしょうか。編集もロサンゼルスでしたし。『リリイ・シュシュのすべて』や『キリエのうた』は普通にみんな東京で。
─岩井監督自らが音楽を担当するようになったのは『花とアリス』(2004)からですよね。
岩井:そうですね。学生の頃から音楽は好きで、自主制作映画に自分で曲をつけていましたが、本職の方々と比べたら到底及ばないレベルで。『Love Letter』(1995)、『PiCNiC』(1996)など初期作品はREMEDIOS、『スワロウテイル』は小林武史さんに音楽をお願いしていましたし、自分で映画音楽を作ろうとは思っていませんでした。
―ご自身での音楽制作はどのように始まったのでしょうか?
岩井:ある年の暮れに思い立って、ヤマハの渋谷店でPC用の音楽を作れるソフトやキーボードをお店の人に相談しながら買い揃えたんです。趣味の延長というか、遊びのつもりで。初めて作ったのが『犬神家の一族』の“愛のバラード”という曲をアレンジしたもので(笑)、やってみたら楽しくて、週末が来るたびにずっとPCの前に座って目的もなく曲を作っていました。音源が良かった。Roland SC-88という、後にレイ・ハラカミさんも同じ機材で楽曲を作っていたと知って嬉しかったんですけど、ピアノや生ギターの音が素晴らしかったんです。学生の頃の打ち込み機材だと、一生懸命作ったとしてもさほどいい感じにはならなかったんですが、10年の時が経つとここまでしっかりした曲ができるのかと。
─ご自身の作品を手がけるようになったきっかけは?
岩井:最初はCMでした。木村拓哉さん主演で、金田一耕助のパロディで。犬神家の一族風な曲を作って。本格的にやり始めたのは『四月物語』(1998)のサントラからでしたね。3ヶ月くらいかかりましたかね。時間さえかければ自分でも作れるという手応えはありました。
岩井:最初は匿名でやってました。ペンネームを毎回変えて。JASRACから名前をあまり変えないでくれと言われて、だったら本名でいいかと。
─『花とアリス』(2004)は全曲岩井監督が手がけられていて、切なく美しいメロディーが非常に印象に残っています。
岩井:ありがとうございます。コメディはけっこう大変なんですよ。多彩なスコアが必要になる。クラシック風なトーンを基調にしてやりたかったので、色々調べたり、聴いたり、研究したりしながら作りました。あの時は打ち込みにハマって、アコースティックをコンピューターで再現する方法をひたすら調べるオタク化していました。いろんな音源を試しては、ダメだ使えない、他にないか……果てしなく探し続けて。散財もして。