ロサンゼルスの3姉妹ロックバンドHAIMの4thアルバム『I quit』が、2025年6月20日(金)にリリースされた。『FUJI ROCK FESTIVAL 2025』への出演でこの夏11年ぶりの来日を果たす彼女たちの現在地を、ライター井草七海が読み解く。
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「もうやめた!(I quit)」という痛快なメッセージ
今年3月からシングル曲を立て続けに発表してきた、LA出身の3姉妹ユニット=HAIM。アルバムへの期待も高まる中、実は正直なところを言うと、個人的にはその盛り上がりに乗り切れずにいた。セレブのパパラッチ写真をオマージュした、そのアートワークのユーモアセンスに、だ。ノリが分かりかねる、という困惑だろうか。そんな最中に目にしたのが、彼女達のSNSに投稿された写真。6月初旬にスペイン・バルセロナで開催され、彼女達が出演したフェス『Primavera Sound』でのステージの様子だった。
「I quit isolation」
「I quit thinking I’m the problem」
「I quit your shit」
来たる5年ぶりのアルバム『I quit』のジャケットで次女ダニエル(ギター、リードボーカル)が持つサインボードとよく似た意匠で、電光掲示板に浮かぶ「もうやめた!(I quit)」の数々。その演出だけで、このアルバムがいかなる作品なのかを理解するのには、十分だった。そう、これは、自らを捕らえて離さないしがらみや考え、他人との関係の中で生まれるネガティブな視線や感情を、自らの手でかなぐり捨て、自分自身を生きることを掲げたアルバムなのだ、ということを。
改めて、アルバムの中から最初にリリースされた“Relationships”を聴いてみよう。「I think I’m in love, but I can’t stand fuckin’ relationships」と繰り返されるこの曲は、パートナーと思い切って別れることで、「相手への愛はあるが、自分自身を蝕んでしまうような関係」からやっと決別できたことを歌っていることが窺える。アレンジも爽やかなカタルシスに満ちていて、1990年代のR&Bやオールドスクールなヒップホップを思わせるビートの上に、ユーフォリックなエフェクトと澄んだピアノの和音が鳴り響く様からは、長年の苦悩が消え去ったような清々しさも感じ取れるだろう。なお、このシングルのアートワークは「離婚が成立した瞬間のニコール・キッドマン」のパロディ。あの安堵と解放感に浸るようなガッツポーズは、実はこのナンバーの内容をまさに体現したような一瞬である、というわけだったのだ。
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地域・年代・ジャンルをまたぐ多彩なサウンド
寄り道して、他のシングルのアートワークもひとつ見ておくと、いい人ぶっていながら実は自分を見てくれてはいないパートナーに別れを突きつける曲“Down to be wrong”のアートワークは「スカーレット・ヨハンソンと抱き合いながら携帯電話を見ているジャレッド・レト」──うーん、なかなか辛辣な風刺だ。ぜひ読者にはその他のシングルのアートワークと楽曲のリンクも考察してみてほしい。
話を戻そう。アルバムのプロデュースはダニエルに加え、過去作から続投のロスタム・バトマングリとバディ・ロス。なお、同じく過去作でプロデュースにあたっていたアリエル・リヒトシェイドはダニエルと公私共にパートナーでもあったが、現在は別れていると語られており、今回のアルバムからは外れている(ただしアルバムの中で初期に制作されたという“Relationships”にはリヒトシェイドも参加)。直近のインタビューでは姉妹全員が制作期間中に「パートナーなし」の生活を謳歌したとも語られ、本作には彼女達がそこから得た実感も反映されているはず。実際、本人達にとって「これまでで一番、自分たちが望んでいたサウンドに近づけた」作品なのだそうだ。
そして肝心のそのサウンドはというと、力強く明快で、そして誤解を恐れずに言うならば、ロック的だ。いや無論、そのアレンジは決してシンプルなロックに留まらず、カントリーやブルーズ、正統派なローレルキャニオンフォークや、Fleetwood Mac直系のウエストコーストなギターサウンドと美麗なコーラス、さらにはディスコビートに2ステップ、はたまたニューメタルにまで接近……と、その音楽的なエッセンスは相変わらず多彩。ポップパンクとモータウンがごっちゃになったような“Take be back”、ラグタイムにブギーなグルーヴを忍ばせてローファイに仕上げた“Try to feel my pain”など、地域・年代・ジャンルをまたぎいいとこ取りをしながらも、曲構成やトラックの重ね方を巧みに操って、シームレスに聴かせてしまう。楽器の音色の温かみを活かしながら風通しのいいチェンバーな空間を作り上げるバトマングリ、現行のヒップホップやポップスも手がけるロスのモダンなサウンド構築が、彼女達のそうした持ち味にグッと奥行きを与えているのも素晴らしい。
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気負わずあっけらかんと、男性中心主義と戦うロック精神
その上で、本作にあえて「ロック的」という言葉を使うのは、彼女達の出す音やアンサンブルが、自然でラフで、大胆でパワフルで、衝動的で、そしてとにかく解放的だからだ。プロダクションやアレンジに漂う「一発かましてやろう」という意図、気負いや衒いから、遠く離れたところで音を鳴らしている感じがするのである。チルな空気を纏い、洒脱なプロダクションで洗練を図った前作『Women In Music Pt. III』とは、全く趣向の異なる作品だと言えるだろう。
一方で、その前作に収録された“Man From The Magazine”における音楽業界の男性中心主義への皮肉は、本作にも通底しているテーマだ。女性トリオというだけで「自分で曲を書いているのか?」「自分で演奏しているのか?」と侮られる経験もよくあると彼女達は語るが、しかし本作では、そんな目線を気にするのは「もうやめた!」というわけなのだろう。とりわけ男性主義的なそのジャンルに、明確な意思をもってしかしサウンド的にはあっけらかんと、乗り込んでいくその姿勢もまた、逆説的ではあるがロック的であり、さらに言えばパンク的でもある。

メロディーのキャッチーさも相変わらず秀逸ではあるが、一方でこちらもこれまでで最も素朴で、ともすれば無防備な印象さえある。そういえば、彼女達がパロディした(いずれも女性だ)パパラッチ写真のセレブたちは、普段の着飾った姿とは異なって、見られていることに無意識な瞬間を捉えられ、とても無防備に見える。あるいはそれも、HAIM姉妹の狙いだったのかもしれない。自らを縛りつけるものを捨て去り、ざっくばらんで無防備な自分自身を、あえて世に晒す。そんな本作での大胆なチャレンジは、やはり実際に姉妹であり、互いを安心して委ね合えるHAIMならではのシスターフッドあればこそ、なのだろう。
HAIM『I quit』

2025年6月20日(金)発売
価格:3,300円(税込)
UICP-1217
1. Gone
2. All over me
3. Relationships
4. Down to be wrong
5. Take me back
6. Love you right
7. The farm
8. Lucky stars
9. Million years
10. Everybody’s trying to figure me out
11. Try to feel my pain
12. Spinning
13. Cry
14. Blood on the street
15. Now it’s time