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「UNDERCOVER」のデザイナーの高橋盾からの一言が、ブランドを始めるきっかけに
タカノ:ブランドを始めたのは、どういう経緯があったんですか?
higo:東京にしょっちゅうスケートボードをしに来ていた時に、今は俳優をやっている村上淳とか、音楽プロデューサーの藤原ヒロシくんとかと一緒に遊んでいたんです。20歳くらいの時にヒロシくんがやっていたDJイベントに行ったら、「UNDERCOVER」のジョニオ(高橋盾)くんも来ていて、そこで仲良くなって、ジョニオくんの家によく入り浸るようになったんです。
僕はその時、スケートボードブランドの服がブカブカすぎて違うな、と思っていて、友達とか自分の洋服を自作していました。その流れで何となくジョニオくんのお手伝いをしていたら、「お前も服作れるんだったら、なんか名前つければ」と言われて。その発想はなかったな、と思って試しにブランド名をつけて、友達にあげたり、DJイベントの時に販売したりして、軽く趣味の延長みたいな感じで始めたんです。
タカノ:デザインはもともとされていたんですか?
higo:絵を描いたりするのが好きでした。その時も遊びで「プリントゴッコ」を使ったりして。
タカノ:懐かしい!
Celeina:プリントゴッコってなんですか?
higo:年賀状とかを印刷する機械です。あれはシルクスクリーンでプリントする機械なんですが、ジョニオくんが家でそういうものを使ってTシャツを作っているのを見て、なんか楽しそうだなと思ったんです。それで、自分でも遊びみたいな感じで、Tシャツ用のインクを使って服に刷ったりしていました。
Celeina:先ほど「スケートボードブランドの服がブカブカすぎて、ちょっと違うと感じた時期があった」とおっしゃっていましたが、どの時代の、どういったトレンドのお話ですか?
higo:1990年代の頭くらいの時に、スケートブランドから出ている服が全部ブカブカだった時があったんです。1番小さいサイズでもLサイズくらい大きかったり、ジーパンもすごく大きかったりして。僕もそんなにお金を持っているわけじゃなかったので、サポートしてもらっているところからTシャツや洋服をもらって着ていたけど、「スケボーの服を着なきゃいけない」というのは、スケートボードのカルチャーに反するんじゃないかと思ったんです。好きな格好をして、好きなように滑ればいいのに、なんでみんな同じ格好しているんだろうという疑問が出てきて。
Celeina:なるほど。
higo:それで、自分は自分の着たい服を着ようと思ったんです。そこから服作りに繋がりました。古着も好きだったので、そういうのも着ていましたね。
タカノ:「スケートボードのカルチャーに反するんじゃないか」というのは、たしかに言われてみると本当にそう思います。 そして、ブランド設立から今年で32年ということですが、気づけばという感じですか?
higo:いや本当に気づけばですね。なんかやっていたらなっちゃった、みたいな感じで。
Celeina:長く続けようという思いがあったわけじゃないんですね。
higo:そうですね。ただ服を作ったり、Tシャツをプリントしたりするのが楽しいからやっていました。バイトしながら「楽しい」の延長線上でずっとやっていたのが、だんだん取引先とかができて仕事になってきたりして、気づいたらやめられなくなっていましたね。