グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
3月5日は、「7STARS DESIGN」のグラフィックデザイナーの堀内俊哉さんからの紹介で、元プロスケーターで、アパレルブランド「RISK」のオーナー兼デザイナーのhigo-viciousさんが登場。スケートボードとの出会いや、ブランドを始めるきっかけになったエピソードなどについて伺いました。
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深夜番組でスケートボードのカルチャーを知り、15歳で滑り始めた
Celeina(MC):昨日の堀内さんからの紹介でスタジオにお越しいただきました。ファッションが決まっていますね。
higo:毎日同じ格好なんですけどね。
Celeina:素敵です! 毎日同じレザージャケットを纏ったりするのも、ご自身のフィロソフィーなんですか?
higo:そうですね、もう慣れちゃっていて。特に革ジャンは着れば着るほど体に馴染むから、できるだけたくさん集中して着ようかなと思っています。
タカノ(MC):ブルーのカラーが素敵ですよね。ベレー帽もとても似合っています。
higo:ありがとうございます。
タカノ:higoさんのプロフィールを簡単にご紹介します。1972年、熊本市出身。高校生でスケートボードに出会い、19歳でプロスケーターになられました。そもそもスケートボードとの出会いはなんだったんでしょうか?
higo:当時の深夜番組でカルチャーを紹介するコーナーがあって、好きで見ていたんです。そこでBeastie Boysというアーティストや、トニー・ホークやスティーブ・キャバレロなどのスケーターがいた「ボーンズ・ブリゲード(BONES BRIGADE)」というチームが紹介されていて、スケートボードに興味はあったんです。
ある時、部活が終わって帰ってきたら、うちの目の前の道で、1個上の先輩たちがスケートボードをやっていて、「いいな」と思ったんです。そうしたら、うちのマンションの隣の隣の棟の先輩から「お前もやれ」と言われたので始めました。もう「イエス」か「はい」しかなかったんですけど(笑)。
タカノ:それは何歳くらいの時ですか?
higo:15歳、高校1年生の時です。
Celeina:19歳でプロスケーターになられていますよね。
higo:その時出ていた雑誌に、東京に当時の僕と同じ15歳でプロスケーターになっている人が載っていたんです。すごいなと思いつつ、「もしかして頑張ればいけるかな」とちょっと勘違いして、そこからのめり込んでガンガン滑るようになりました。東京にもしょっちゅう来るようになって、みんな友達になりました。
タカノ:単純な質問なんですが、プロスケーターってどうすればなれるものなんですか?
higo:当時は、基本的に誰でも出られる全日本のアマチュアクラスのコンテストに出て、みんなに「もうアマチュアで出ちゃだめだよ」って言われたらやっとプロになれるという感じでした。
タカノ:暗黙の了解みたいな感じだったんですか?
higo:昔はそうでしたね。ただその代わり、周りの友達が認めてくれなかったら、プロとしてはやっていけなかったです。
タカノ:やっぱりストリート感がありますね。
higo:今はアマチュアのランキングで、年間何位以内に入ったらプロになる資格を得られるとかそういったシステムがあるみたいです。僕はもうプロスケーターは引退しています。
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「UNDERCOVER」のデザイナーの高橋盾からの一言が、ブランドを始めるきっかけに
タカノ:ブランドを始めたのは、どういう経緯があったんですか?
higo:東京にしょっちゅうスケートボードをしに来ていた時に、今は俳優をやっている村上淳とか、音楽プロデューサーの藤原ヒロシくんとかと一緒に遊んでいたんです。20歳くらいの時にヒロシくんがやっていたDJイベントに行ったら、「UNDERCOVER」のジョニオ(高橋盾)くんも来ていて、そこで仲良くなって、ジョニオくんの家によく入り浸るようになったんです。
僕はその時、スケートボードブランドの服がブカブカすぎて違うな、と思っていて、友達とか自分の洋服を自作していました。その流れで何となくジョニオくんのお手伝いをしていたら、「お前も服作れるんだったら、なんか名前つければ」と言われて。その発想はなかったな、と思って試しにブランド名をつけて、友達にあげたり、DJイベントの時に販売したりして、軽く趣味の延長みたいな感じで始めたんです。
タカノ:デザインはもともとされていたんですか?
higo:絵を描いたりするのが好きでした。その時も遊びで「プリントゴッコ」を使ったりして。
タカノ:懐かしい!
Celeina:プリントゴッコってなんですか?
higo:年賀状とかを印刷する機械です。あれはシルクスクリーンでプリントする機械なんですが、ジョニオくんが家でそういうものを使ってTシャツを作っているのを見て、なんか楽しそうだなと思ったんです。それで、自分でも遊びみたいな感じで、Tシャツ用のインクを使って服に刷ったりしていました。
Celeina:先ほど「スケートボードブランドの服がブカブカすぎて、ちょっと違うと感じた時期があった」とおっしゃっていましたが、どの時代の、どういったトレンドのお話ですか?
higo:1990年代の頭くらいの時に、スケートブランドから出ている服が全部ブカブカだった時があったんです。1番小さいサイズでもLサイズくらい大きかったり、ジーパンもすごく大きかったりして。僕もそんなにお金を持っているわけじゃなかったので、サポートしてもらっているところからTシャツや洋服をもらって着ていたけど、「スケボーの服を着なきゃいけない」というのは、スケートボードのカルチャーに反するんじゃないかと思ったんです。好きな格好をして、好きなように滑ればいいのに、なんでみんな同じ格好しているんだろうという疑問が出てきて。
Celeina:なるほど。
higo:それで、自分は自分の着たい服を着ようと思ったんです。そこから服作りに繋がりました。古着も好きだったので、そういうのも着ていましたね。
タカノ:「スケートボードのカルチャーに反するんじゃないか」というのは、たしかに言われてみると本当にそう思います。 そして、ブランド設立から今年で32年ということですが、気づけばという感じですか?
higo:いや本当に気づけばですね。なんかやっていたらなっちゃった、みたいな感じで。
Celeina:長く続けようという思いがあったわけじゃないんですね。
higo:そうですね。ただ服を作ったり、Tシャツをプリントしたりするのが楽しいからやっていました。バイトしながら「楽しい」の延長線上でずっとやっていたのが、だんだん取引先とかができて仕事になってきたりして、気づいたらやめられなくなっていましたね。