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『ガンダムジークアクス』絶賛の理由。その一方で考えさせられた「戦争への態度」

2025.7.9

#MOVIE

©︎創通・サンライズ

劇場版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning』の公開から始まった『ジークアクス』物語がついに完結した。スタジオカラー、鶴巻和哉、榎戸洋司、そして庵野秀明という『ヱヴァンゲリヲン』シリーズに関わってきた面々が『ガンダム』を通じてこの世界に産み落としたのは一体何だったのか。ライターの山田集佳が解説する。

新しいアニメの形すら想像させるひとつの記念碑的な作品

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』が完結した。放映に先駆けて公開された劇場版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning』で1979年放映のテレビシリーズを完全にトレースした上で「ジオンが一年戦争で勝利した世界線」を描いたことでまず大きな話題を呼んだ。ある意味では、庵野秀明による「シン」シリーズの系譜に連なる「シン・ガンダム」を、鶴巻和哉と榎戸洋司の『フリクリ』『トップをねらえ2!』タッグが、スタジオカラーで実践する試みであったとも言える。 あらゆる点で、注目度の高いアニメだった『ジークアクス』だが、12話の放映を終えてみれば、それは新しいアニメの形すら想像させるひとつの記念碑的な作品となった。

結論から言うと、本作は『機動戦士ガンダム』の別バージョンのストーリー、ifの物語「ではなかった」と言えるだろう。本作が12話をかけて描いたものは、『機動戦士ガンダム』というコンテンツを取り巻くファンの感情、歴史の積み重ねだった。そして、その積み重ねを物語として再構築することで、現代の、ガンダムにそれほど親しんでいない視聴者にガンダムの世界を開いていく、という試みだった。それは最終回のタイトルを見れば明らかだ。

スタジオカラーは前身となるガイナックスの時代から伝統的にシリーズアニメの最終回タイトルをSF小説のタイトルからとるが、『ジークアクス』はガンダムの生みの親である富野由悠季のエッセイ「だから僕は…」である。ある程度ガンダムに詳しいガンダムファンならばそれが富野のエッセイのタイトルだとすぐに了解できるが、『ジークアクス』からガンダムを見始めたファンにはすぐにはわからない。この微妙な塩梅こそが、『ジークアクス』の本質だと言える。

最前線を走る最新の『ガンダム』でありながら、随所に作家性も垣間見える

本作をテレビシリーズのアニメとして評価する際には、『ポケモン』シリーズなどで知られるキャラクターデザイナーの竹による現代的でかわいらしいキャラクターデザインが生き生きと動くアニメーション、そしてモノコックやビット兵器など、プラモデルや外伝の派生作品から生じた細かな設定をメカニックや物語に落とし込む手際など、アニメーションとしての圧倒的なクオリティの高さが維持されていたことに、まずは言及すべきだろう。

キャラクターデザインを担当した竹によるポスト

中盤の山場であるサイコ・ガンダムの大暴れやシャリア・ブルの操るキケロガのオールレンジ攻撃など、スタジオカラーらしい爆発の表現、立体感のある3次元の戦闘シーンも非常にゴージャスで、各話に強い印象を残した。オリジナル版由来の大量の設定を基にした物語はかなり駆け足で説明不足な点も見られたが、脚本家の榎戸洋司が得意とする少年少女の思春期と通過儀礼が、爽やかにエモーショナルな形で示されていた点も本作の大きな達成と言える。

彼の代表作『少女革命ウテナ』で登場した「薔薇の花嫁」というモチーフがララァ・スンというインスパイア元に再帰して用いられ、目覚めのキスをもたらす王子様の代わりに、初恋を得たマチュが自身の王子様であるシュウジにキスをして救う、という展開は、一人の榎戸ファンとして嬉しい変奏だった。

物語を通して大きく成長した主人公マチュことアマテ・ユズリハ

SNSに最適化されたアニメーションとしての『ジークアクス』

とはいえ全12話という尺に対して、『ジークアクス』の情報量は極端に過剰だ。ジオンが勝った世界線の一年戦争の顛末、宇宙世紀0085の生活のディテール、決闘めいたモビルスーツ戦・クランバトル、マチュという少女の成長、そしてこの世界と「シャロンの薔薇」の秘密。この情報量の多さに対して本作の作劇は十分だったとは言えない。多くの疑問や感情の着地点が不十分で、大量の空白が残されたまま物語は終わる。

しかしこの作劇にSNSという要素が加わると、その「空白」は視聴者にとっての余地として機能する。画面いっぱいに設置された情報を解釈し、その解釈はSNSに示され、その情報は『ジークアクス』ではじめてガンダムに触れた視聴者に共有される。そしてSNSのトレンドは『ジークアクス』の情報で埋まる、というサイクルが生まれる。

https://twitter.com/G_GQuuuuuuX/status/1937540764374040987
毎話終了後、SNSは考察で溢れかえった

このサイクルは、本作の内容そのものとも重なる。冒頭で紹介したように、このアニメは「アニメ内だけで完結する世界で展開される物語」を描くものではなく、「ガンダムという作品が受容され、どのように展開していったか」という方向性で開かれている作品だからだ。

「マルチバース」と言う今般では当たり前になった世界設定を通じて、ガンダムというIPの歴史をメタ的に認知させるものとして、『ジークアクス』の劇中のキャラクターと視聴者は同じ世界線の別々のレイヤーに存在することができる。つまり、『ジークアクス』というアニメ作品そのものが、ガンダムの歴史と現実の我々を繋げるシャロンの薔薇(アニメ内では、ほかの宇宙世紀とジークアクス世界を繋げる接点)として機能しているのだ。

https://twitter.com/G_GQuuuuuuX/status/1930099668723347634

現代的である、という評価の二つの側面

それゆえに、『ジークアクス』の評価は、単体としてのアニメシリーズとして見た場合と、SNSの情報も含めてリアルタイムで楽しんで見た場合とで大きく変わるだろう。筆者個人の意見としては、『ジークアクス』の作劇や戦争の描写は、1979年の『機動戦士ガンダム』をベースにした作品としてはあまりにも多くのもの――戦争への批判的態度や、いま私たちが生きる社会への批評性など――が抜け落ちていると思える。

一年戦争という50億の人々の命を奪った最悪の戦争は、ララァという一人の少女の願いによって繰り返すマルチバースという設定によって相対化され、はかない恋の物語に収束する。豊かな暮らしの中で鬱屈を抱えていた少女・マチュが個人的な成長と自己実現を達成する一方で、故郷を追われた難民の少女・ニャアンは状況に流されるまま大量虐殺の当事者へと導かれる。

死は物語の甘い彩りとなり、持てる者はその手を直接的に汚さずに済む人生を寿ぐ。その態度はかつての、この作品が参照している、もともとの一年戦争において、人の革新を夢見た人々の思い描いたビジョンではないはずだ。 この46年間のあいだで変化した、決して良くはならなかった現実のありよう、そして戦争の時代としか言いようのない今の世界に対する私達の態度を、私は『ジークアクス』を通して痛感することとなった。

https://twitter.com/G_GQuuuuuuX/status/1930943963667775953
「シャロンの薔薇」とともにララァは『ジークアクス』世界の命運を握る

しかし同時に、「今、ここ」で皆と一緒にアニメを楽しみ、ゴージャスな画面にちりばめられた情報を読み解き、共有して作品を自分ごととして受容するという楽しみ方は、間違いなく現代のアニメ作品の鑑賞態度として最先端のものであるだろう。『ジークアクス』の作品内では、ニュータイプはマルチバースに存在する別の世界線を認知する能力を有するような描写が見られたが、SNSという情報交換の場とそれを通じて作品理解を進めていく態度は、『ジークアクス』内のニュータイプ的な感応とそう遠くはない。

上記の意味でも、『ジークアクス』は1979年に『機動戦士ガンダム』がもたらしたアニメという媒体の革命を、現代的に定義し直した作品とも言えるだろう。来るべき50周年に向けて、現在のアニメのありようを確かめ、「ガンダム」というコンテンツのポテンシャルを世に知らしめた作品として、『ジークアクス』は記憶されるに違いない。

https://youtu.be/Rd3Gu4pQURY?list=RDRd3Gu4pQURY

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』

監督:鶴巻和哉
シリーズ構成:榎戸洋司
キャラクターデザイン:竹
メカニカルデザイン:山下いくと
原作:矢立 肇/富野由悠季
脚本:榎戸洋司/庵野秀明
制作:スタジオカラー/サンライズ
製作:バンダイナムコフィルムワークス/日本テレビ放送網

公式サイト:https://www.gundam.info/feature/gquuuuuux/

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