劇場版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning』の公開から始まった『ジークアクス』物語がついに完結した。スタジオカラー、鶴巻和哉、榎戸洋司、そして庵野秀明という『ヱヴァンゲリヲン』シリーズに関わってきた面々が『ガンダム』を通じてこの世界に産み落としたのは一体何だったのか。ライターの山田集佳が解説する。
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新しいアニメの形すら想像させるひとつの記念碑的な作品
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』が完結した。放映に先駆けて公開された劇場版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning』で1979年放映のテレビシリーズを完全にトレースした上で「ジオンが一年戦争で勝利した世界線」を描いたことでまず大きな話題を呼んだ。ある意味では、庵野秀明による「シン」シリーズの系譜に連なる「シン・ガンダム」を、鶴巻和哉と榎戸洋司の『フリクリ』『トップをねらえ2!』タッグが、スタジオカラーで実践する試みであったとも言える。 あらゆる点で、注目度の高いアニメだった『ジークアクス』だが、12話の放映を終えてみれば、それは新しいアニメの形すら想像させるひとつの記念碑的な作品となった。
結論から言うと、本作は『機動戦士ガンダム』の別バージョンのストーリー、ifの物語「ではなかった」と言えるだろう。本作が12話をかけて描いたものは、『機動戦士ガンダム』というコンテンツを取り巻くファンの感情、歴史の積み重ねだった。そして、その積み重ねを物語として再構築することで、現代の、ガンダムにそれほど親しんでいない視聴者にガンダムの世界を開いていく、という試みだった。それは最終回のタイトルを見れば明らかだ。
スタジオカラーは前身となるガイナックスの時代から伝統的にシリーズアニメの最終回タイトルをSF小説のタイトルからとるが、『ジークアクス』はガンダムの生みの親である富野由悠季のエッセイ「だから僕は…」である。ある程度ガンダムに詳しいガンダムファンならばそれが富野のエッセイのタイトルだとすぐに了解できるが、『ジークアクス』からガンダムを見始めたファンにはすぐにはわからない。この微妙な塩梅こそが、『ジークアクス』の本質だと言える。
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最前線を走る最新の『ガンダム』でありながら、随所に作家性も垣間見える
本作をテレビシリーズのアニメとして評価する際には、『ポケモン』シリーズなどで知られるキャラクターデザイナーの竹による現代的でかわいらしいキャラクターデザインが生き生きと動くアニメーション、そしてモノコックやビット兵器など、プラモデルや外伝の派生作品から生じた細かな設定をメカニックや物語に落とし込む手際など、アニメーションとしての圧倒的なクオリティの高さが維持されていたことに、まずは言及すべきだろう。
中盤の山場であるサイコ・ガンダムの大暴れやシャリア・ブルの操るキケロガのオールレンジ攻撃など、スタジオカラーらしい爆発の表現、立体感のある3次元の戦闘シーンも非常にゴージャスで、各話に強い印象を残した。オリジナル版由来の大量の設定を基にした物語はかなり駆け足で説明不足な点も見られたが、脚本家の榎戸洋司が得意とする少年少女の思春期と通過儀礼が、爽やかにエモーショナルな形で示されていた点も本作の大きな達成と言える。
彼の代表作『少女革命ウテナ』で登場した「薔薇の花嫁」というモチーフがララァ・スンというインスパイア元に再帰して用いられ、目覚めのキスをもたらす王子様の代わりに、初恋を得たマチュが自身の王子様であるシュウジにキスをして救う、という展開は、一人の榎戸ファンとして嬉しい変奏だった。