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石橋英子の「音楽制作」に向かう構え
―具体的にはどういったところから制作は始まったのでしょうか。
石橋:(ドラマーの山本)達久さんからも「早く次の歌のアルバム作ってよ」と言われたり、『ドライブ・マイ・カー』のときにバンドで歌モノのライブもやるなかで、「そろそろこのメンバーで作ろうか」となっていったのがきっかけですね。もっと簡単に言えばバンドの時間を増やしたかったとも言えるし、まあ、みんなと音楽して飲みたいってことですね。
―昭和のジャズマンじゃないんだから(笑)。
石橋:でもそういう感じだと思います(笑)。

―歌モノは約7年ぶりで、怒りを感じさせるものばかりというわけではなく、美しい曲やポップな曲もあります。
石橋:そうですね。作っているときは聴きやすいというか、自分も演奏してそんなに難しくない曲をやりたかったんですけど、だんだん難しくなってしまいました。
−何を最初に録ったか覚えています?
石橋:“Mona Lisa”です。今回は曲ができあがった順に録りました。3曲ぐらい歌とローズピアノで作ったデモをマーティ(・ホロベック)さんと達久さんに聴いてもらって、まとめてベーシックを録りました。
途中で『悪は存在しない』の音楽も作りつつ、しばらく時間が空いてまた録音して、という制作スケジュールでした。2回目のベーシックを録った日にちょうど『悪は存在しない』の撮影を終えた濱口さんが来てくださって、晴れ晴れとした顔をしていました。
―いい話ですね。今回、アレンジはてんこ盛りというか、非常に充実していると思いました。
石橋:今回は「Drag City」(※)から直接出すことを決めていたのもあって締め切りもないし、じっくりやろうって気持ちで、ひとりでアレンジを考えたり、オーバーダブで入れるひとつの音色を決めるために3日間費やしたりしました。
今回、てんこ盛りなアレンジになったのは、ジム・オルークさんとOsmoseというシンセサイザーを同じ時期に買って、2人ともエキサイティングしていじり倒していた結果かもしれないです。ストリングスアレンジとホーンアレンジは、ジムさんがやりたいと言ってくださったのでお願いしました。
※アメリカ・シカゴのインディペンデントレーベル。実験性の高い音楽も数多く取り扱っており、Stereolabやジム・オルーク、The High Llamasの諸作、石橋英子の『car and freezer』(2014年)や『The Dream My Bones Dream』(2018年)などをリリース
―制作環境は変わらずですか。
石橋:Pro Toolsは使いつつ、本当にアナログ的なやり方で作っています。
―そうしたアナログ的なやり方が音楽を作っている実感があるわけですか。
石橋:そうでないと作れない、たどり着けないところがあるかもしれないです。オーケストラの作品もそう。MIDIで作る人もいますけど、私は一度自分の手で弾いたものをMIDIに変換するやり方です。
―ソフトウェア上だけで完結させるのではなく、一度身体の回路が通ったものが石橋さんにとって音楽という感じ?
石橋:そうです。絶対グリッドもクリックも使いませんし。
―クリックはあったほうが楽だとは思いますが。
石橋:そうなんですけど、飽きてしまうんですよね。向き合っているのが嫌になってしまう。映画のときは別ですけど、基本使わないです。
ー映画はもう本当に秒コマ単位ですから。
石橋:そうですね。

―即興の作品や活動も石橋さんはやられていますが、ご自身の音楽のなかで即興が占める比重は昔と変わりましたか?
石橋:変わらないかもしれません。今回のアルバムだと、ある程度できあがったものに対して、即興でシンセを重ねるというようなことはしました。
―自己対話的な側面もありそうです。
石橋:アルバムではそういう側面もありますし、ライブでの即興もすごく楽しくなってきていますね。ただ昔は誰とでもやってみようと思っていたんですけど、今はもういいかなと思います。
―それはなぜですか。
石橋:ストックや引き出しから繰り出し合うような即興にあまり興味がないからかもしれないです。音楽は大喜利ではないですから。
―それこそ動画サイトとかを見ると、超絶技巧てんこもりで、今の音楽にはスポーツに近い側面もありますよね。YouTubeで「こんなフレーズ弾けます」みたいな映像を見て、すごいなと思いつつ、だからなんだよって思うところがあります。
石橋:自分はやらなくていいかなって思いますね。
―やはり今、音楽の意味合いも変容してきているのかもしれないですね。
石橋:そうですね。やっぱり「音楽を聴く」という体験も決定的に変わってきていますよね。私の場合、映画の音楽をやって、より音楽というものを考えるようになったことも大きいかもしれないです。