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downtの歩みとこれから。ジャンルを問わず、「音楽」に近づいていくこと

2024.4.18

#MUSIC

2021年の結成以来、東京のライブシーンを中心に活動している3ピースバンド・downtの音楽を初めて聴いた時、自身の青春時代を想起した。今にも崩れそうな儚さと、もがき前に進もうとする力強さが共存していたためだ。

3月6日に満を持してリリースされた1stフルアルバム『Underlight & Aftertime』には、ライブを経てより強固になった再録曲や新機軸を提示する楽曲を含む11曲が収められている。結成からの3年間を詰め込みながら、新たな姿を見せつける1枚だと言えよう。

富樫ユイ(Vo,&Gt)、河合崇晶(Ba)、テネール・ケンロバート(Dr)の3人に本作『Underlight & Aftertime』についてはもちろん、自身のルーツや不安だらけのバンド結成、模索を続けていたこれまでの作品についてを語ってもらった。インタビューを通じて見えてきたのは、形にすることの苦悩とそれ以上の喜びだった。

downt(ダウント)
2021年結成。富樫ユイ(Vo,&Gt)、河合崇晶(Ba)、Tener Ken Robert(Dr)の 3人編成。東京をベースに活動。緊迫感のある繊細且つ大胆な演奏に、秀逸なメロディセンスと情緒的な言葉で綴られ、優しく爽やかな風のようで時に鋭く熱を帯びた歌声にて表現される世界観は、風通しよくジャンルの境界線を越えて拡がりはじめている。同年10月1st『downt』をungulatesよりリリースし瞬く間に、FLAKE RECORDS や HOLIDAY!をはじめレコードショップやディストロにて話題となり、一躍エモ、オルタナのライブハウスシーンにても注目を集める存在に。

3人と音楽の出会い。「音楽が嫌いですと自己紹介をしていた」(河合)

―downtの音楽は今にも終わってしまいそうな儚さがあるのに、それでも凛として屹立している強さがあると感じています。今日はそういったところも伺えればと思うのですが、まずは皆さんと音楽の出会いから教えてください。

富樫(Vo&Gt):小さいころピアノ教室に通っていたのが、音楽との出会いです。兄が洋楽を好きだったこともあって、家の中では常に音楽が流れていて。ただ、バンドを知るまでには少し時間がかかりました。中学時代に学園祭で先輩方がバンドで演奏しているのを見て、私もやってみたいと思って高校入学時に楽器を買いましたね。

―最初からギターを選んだんですか?

富樫:そうですね。大学のサークルで4年間ギターを続けていたんですが、社会人になってからしばらく楽器を触らなくなってしまって。ある時、全てを投げ出したいと思ってバンドをするために上京して、downtが始まりました。

富樫ユイ

ロバート(Dr):僕は母親が槇原敬之や宇多田ヒカルを聴いていたのが、きっかけだったかな。中高で楽器を始めたわけではなかったんですが、中学生ぐらいの時に聴いていたBUMP OF CHICKENがバンドを好きになったきっかけかもしれないですね。

―バンドを始めたきっかけは何だったんですか?

ロバート:高校に入ってLINKIN PARKを好きになって、音楽をきっかけに友達ができて。そこから楽器に興味が湧きだして、大学に入ったタイミングでドラムを始めました。そこからは色々なコピーバンドを経て、社会人になってオリジナルのバンドを始め、河合さんと出会いましたね。

テネール・ケンロバート

河合(Ba):俺は物心がつくころには、エレクトーンをやっていました。

―それは習い事で?

河合:そうですね。田舎だったので習い事の選択肢も無く、いとこがやってたので習っていたんですが、つまらなくて。当時は「音楽が嫌いです」と自己紹介をしていました。

河合崇晶

―それほど嫌いだったところから、音楽に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

富樫:ゲームやアニメが好きだったので、ゲーム音楽がきっかけでした。田舎でCDショップも無かったし、インターネットで音楽を聴く時代でもなかったので、ゲーム機を使って音楽を聴いていましたね。

―ゲーム音楽とバンドは違ったところもあると思うんですが。

河合:高校の寮の友達にHi-STANDARDやGOING STEADY、Metallicaなどを教えてもらって少しバンドを好きになって。そこから学園祭でキーボードを使ってベースを演奏したんですが、きちんと演奏したいなと思ってギターを始めましたね。

-今お話しいただいたルーツを、downtを通して再構築している感覚なのでしょうか? それとも自分の軸にないものを増やしている感覚ですか。

ロバート:自分の意識外のことに新しく触り始めている感覚が強いです。今まで聴いてきたものを受けて、意識的に変化させることはないですね。

河合:自分が感動したものしかできないと思っているので、ライブや音源でいいなと思ったものを自分なりに表現しているつもりです。自分たちで「オリジナル」を一から創造しようとすると、逆に無難なものにしかならなかったり、独特の「雰囲気」だけになっちゃいますね。音楽だけに関わらずですが。

富樫:私は聴いたものをリファレンスにすることが、元々なくて。波の流れのような抽象的なものを、ギターのフレーズに落とし込んでみるところから始まることが多かったです。自分の中では絵を描く感覚と似ていると思っています。

河合:既にあるテンプレートを綺麗になぞろうとしたら、途中で勝手に変えたくなっちゃったりもして、最終的に微妙に違うじゃないですか。料理と一緒かな。

不安だらけのメンバー募集から始まったdowntの歩み

―downtは富樫さんのメンバー募集から始まっていますが、弾き語りなど別の方法もある中で、バンドという形にこだわってメンバーを募集したのはどういった思いがあったんですか?

河合:確かになんで?

富樫:サークルを卒業した後のブランク期間に、周囲の友達は自分のバンドを組んでオリジナル曲をやっていて。多分それを見ていて、羨ましかったんですよね。自分もやってみたいけれど、曲も作れないし、声をかけるような人もいない。ほろ苦い未練のようなものがあったんだと思います。

―後悔があったからこそ、バンドを選んだんですね。バンドのために京都から1人で上京するのは大きな決断だったと思うのですが、当時はどういった気持ちを抱えていましたか?

富樫:バンドができる希望もたくさんあったんですが、不安の方が大きかったと思います。ネットのメンバー募集でどんな人が来るかも分からないし、スタジオに来ないかもしれない。不安だらけだったけれど、「きっと大丈夫。きっと大丈夫」と言い聞かせていました。

―河合さんは富樫さんの募集を見て連絡したということですが、どういった理由があったのでしょうか?

河合:当時メンバーとして活動しているバンドがなかったので、単純にバンドを探していたんです。それでメッセージを送って、スタジオを経てたまたま一緒にやりましょうとなっただけですね。

音楽的な側面に共感した部分はありましたか?

河合:正直、曲はそんなに。多分バンドをやったことがないんだろうなとは思ったんですけど、ギリギリいけるかなって。

―形にできるかどうかということですか?

河合:いや、自分のエッセンスを入れられるなという感じです。自分の方向性と違ったら「他の人にしたら良いんじゃない?」となっていたと思うんですけど、なんとなくいけるかなと。

―自分との共通項があったんですね。

河合:そうですね。メロディーは綺麗な感じだったんですけど、訳の分からないフィルインとかがあって。

富樫:今聴いたらひどいですよね。

河合:いや、それが良かったんだよね。結局最後は削ったけれど、やりたいことが「パンク」なんだって伝わってきたので一緒にやってみようと思えました。

―ロバートさんは河合さんに誘われてスタジオに入ったと思いますが、自分のやりたいことを入れられるなという感じだったんですか?

ロバート:やったことがないから面白そうという感覚が強かったですね。ドラムをもっと叩きたい、バンドを沢山組んでドラムに割く時間を増やしたいみたいなタイミングでした。河合さんと一緒にやりたかったのもありましたし、送られてきた“111511”も「人が叩けるのか?」みたいな箇所がありつつも、何か楽しいことが起きそうなワクワクがありました。

―河合さんとロバートさんはdownt以外のバンドでプレーすることもあると思います。他のバンドとdowntで自分の立ち位置や役割の違いは感じていますか。

河合:特に意識はしていないです。でも、特定のバンドを中心にしたいというよりは、音楽を中心に生きていたい人とバンドをやりたいと思っていますね。各バンドに合わせて選択を変えたりすることはありますし、口に出す内容も違いますが、基本的には音楽を軸にしています。

ロバート:それぞれのバンドで気づいたことを活かしてはいますが、立ち回りや役割は変えてないですね。

バンドとしてやっていく中で、音楽的な方向以外にも性格的な一致が重要だと思います。人としての部分での共感は出会った当初からあったのでしょうか?

富樫:全然理由は分からないんですけど、最初に河合さんとスタジオに入ったときに同じ匂いがしたんです。

―それは直感的に?

富樫:そうですね。だから特に何の疑問もなく、この人とバンドをやっていきたいなと思いました。ロバートさんはしっかりしていて、何も問題がない人だろうなと思って。

河合:俺も富樫のことはしっかりしてて真面目な方なのかなと思っていたんですけど、正社員として働いていたのに、2回目のスタジオでいきなり、やりたいことのために仕事をやめてきたと言っていて、クレイジーな奴だなと思いました。週末の飲み会的なバンドだと思ってたので。

作品を作るために生まれたdownt。過去作3枚を振り返る

こうして2021年3月に結成に至り、同年10月にはセルフタイトルの1stアルバム『downt』をリリースされています。自分たちの世界観や方向性を提示する点で重要なスタートだと思うのですが、どういった作品を目指していたのでしょうか?

https://open.spotify.com/intl-ja/album/0P4i1o2PkNxt6hooXwW114?si=5s4g30GVQxCdzN47kYaObw

河合:まずはレコーディングをしようと思って出しただけ。個人的には、当時のシングル主流の流れに疑問を感じていた点もありましたし、コロナ禍だったのでポンと出す方が良いかなと。ファーストアルバムが良くなくとも大好きなバンドがたくさんいるので、まずは1枚アルバムとして出すことが優先でした。

―富樫さんは「作品を作りたい」という思いからメンバー募集をして、ようやく形として世の中に産み落とすことが出来たことで、大きな喜びもあったと思います。

富樫:もう感無量でしたね。レコーディングも初めてでしたし、プリプロの存在も知らない状態だったのが、アレンジを通じて自分で作った曲の何倍にも良くなって。形になることの面白さを体感しました。

河合:僕も喜びはありましたが、新しいことは一切していないと思っていて。今まで自分がやってきたバンドで得たエッセンスを詰め込んだ感覚だったので、よくあることを普通にやった感じでした。

2作目の『SAKANA e.p.』(2022年6月リリース)は、結成してすぐに制作した『downt』以上にバンドとしてのこだわりやテーマがあったように感じているのですが、いかがですか?

https://open.spotify.com/intl-ja/album/0ZeigWcAC16AtsdVXBzLJ5?si=0nzQTnNQQ_WydNrNWfb_mw

富樫:今まで自分のルーツにEMOが全くない状態だったので、色々と教えてもらっていたら変則チューニングにハマってしまって。そのチューニングで作った1枚ですね。2枚目からはレコーディングをチェックしてくださる方もいたり、今作も使わせてもらったツバメスタジオで収録したりと、音も試行錯誤できたかなと。

河合:先にレコードに使われた魚のジャケットがあったんです。

―『ANTHOLOGY』(2022年にリリースされた編集盤LP)ですね。

downt『ANTHOLOGY』

河合:そうですね。気に入っていたその写真をジャケに使おうと決めて。当時、くだらない1日やANORAK!、とがるとかとライブをする中で、その影響を受けて富樫が「変則チューニングでやってみたい」と言っていたので作り始めました。結局魚のジャケはEPじゃなくてレコードの方になってややこしくなりましたが。

個人的には、進化させたいとはあまり思っていなくて。音源を作るために集まったバンドなので、空気感的には『downt』を出した時点で1回終わったような気持ちでした。やりたいことを増やすために思いついたことに挑戦する中で、富樫から「EMOの上澄み」みたいなフレーズが出てくるようになって、合わせるのには苦労しました。

―第2章の第1話のようなアルバムということですかね。

河合:そういうことにしましょう。

―第2章とも繋がりますが、『SAKANA e.p.』のリリース後は東名阪ツアー『Look a Ghost Tour』の開催や『FUJI ROCK FESTIVAL ’22』への出演など、作品を作るだけでない活動が広がってきて、課題やビジョンもあったと思うのですが。

https://youtu.be/p6R7sJwZIEc?si=7mNbTx9RuKm7SGxU

河合:何もなかったですね。

―やりたいことをやる、結成時の感覚が続いていたということですか?

河合:『SAKANA e.p.』の後は、EMOやピロピロした曲に飽きてきていて。その感覚で作りたい曲があったんですが、イメージもなかなか共有できなくて『Ⅲ』(2023年6月リリース)の前後は苦戦していました。

富樫:何が違うのかが分からなくて。ずっと悩んでいましたね。

河合:“13月”ともう1曲に長い時間をかけることで、バンドのスタイルを構築したかったんですが上手くできなくって。「これが俺たちのスタイルだ」と言うにはあまりにも狭すぎると思っていました。だから、バンドでこれがやりたいというのはないですね。最初から変わらず、作品を作りたい一心でやっているので。

―それは今もですか。

河合:作品制作に軸を置いているのは、活動がしやすいのが理由で。今までは他のバンドやシーンのことを考えている暇があるなら曲を作ろうと思っていましたが、最近はそれを考えることで活動がもっと面白くなるなら考えていくのもいいのかなと。

―ロバートさんはいかがですか?

ロバート:もちろん僕もやりたいことをやっていますが、2人に比べると「これがやりたい」という強烈な思いが弱い気もしていて。

やっている方向は間違っていないとは思いつつも明確に言語化できていない状態なので、より追究しなきゃいけないと“13月”を作る中で思うようになりました。

https://youtu.be/f6tMeEjmSQg?si=mzedQpnIGxBs6aof

「『これがアルバムで、これが音楽だ』という感動を表現したかった」(河合)

―1stフルアルバム『Underlight & Aftertime』は、再録曲となる“111511”や“mizu ni naru”、重たいサウンド感の“煉獄ex”や“underdrive”などを収録し、結成から今までの歩み、これからの道を提示するような1枚だと感じました。初のフルアルバムを完成させて、どのような作品になったと感じていますか?

河合:3年間の集大成ではないと感じています。

富樫:色々新しいことを始めたいという気持ちはありましたね。

河合:EMOやインディーロックといったカテゴライズから脱却したいと思っていて。どれだけ音楽に近づけたのかは、意識していました。

「音楽に近づく」とはどういうことでしょう。

河合:すごく難しいんですが、本物のEMOやハードコアがどうとかではなく、「これがアルバムで、これが音楽だ」という感動を表現したかったんです。シーンに影響を与えようとか、しょぼい事考えようとすると軸がブレてしまうし、まず音楽を自分たちの中に広げていく必要があって。3人で楽しいか、楽しくないのかの話をずっとしていくのも良いのかなと。

―作りたいものを作っていく姿勢は一貫していますよね。前作までと変わったと感じた点はありますか?

富樫:1曲に対して向き合う時間がすごく増えたんです。今まではギターと歌のバランスについて指摘されても分からなかった。今回は指摘された理由を考える時間を作ったことで、楽器や歌単体ではなく全体像を見れるようになったと思いますね。

ロバート:今の話と繋がるかもしれないんですが、今回の制作でドラムは無意識に鳴りやすい楽器だと感じたんです。スティックが当たるだけで音が鳴る中で、なぜその音を出すのかを考えなきゃいけないと思って。無意識に演奏すると多くのことを切り捨てる気がするので、シンプルだからこそ周囲を意識するのは心掛けました。

河合:例えば、“Whale”は元々もっとキャッチ―なメロディーだったかな。ただメロディー自体はすごく良いのに、曲としては面白く感じなくて、弾き語りの方が良いというか。。そこで歌を削るという決断をしたことで曲が完成したのが、バンドとしての成長じゃないかな。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/7kq96gKwEF4RnjusLc1tkq?si=78f3550ff52d4ea3

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