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山本大斗インタビュー 本音を話せなかった少年が届ける、孤独を抱えた人へのお守り

2025.5.20

山本大斗

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「水のような音楽を作りたい」と思う理由

ー『私の背景』というEPの中で、自分は1曲目の“漣”と最後の“粼”という2曲が非常に好きなんです。どちらも賛美歌のように聴こえるところがあるし、特に“粼”は、山本さんが音楽を作る一番ベースにある感覚が歌詞にされているようにも感じます。まず、“漣”が生まれた時のことを教えてください。

山本:EP全体を通してなんですけど、水のイメージがあって。で、“漣”に関しては川ではなく、水たまりや湖みたいな、停滞している水のイメージで作りました。水滴がパッと落ちて、ちょっと水面が動く、そうやって誰かや何かによって起こされたちょっとしたアクションが、自分を動かしていくきっかけになるのかもしれない、みたいなイメージです。

ー自分が編集長をしている『MUSICA』という音楽雑誌でメールインタビューをさせてもらった時に、「山本大斗として表現したい音楽とはどんなものなのか、教えてください」という問いに対して、「先進性と普遍性が同居した、水のような音楽を作りたいというイメージが常にあります」という回答をいただいて。その「水のような音楽を作りたい」という言葉が非常に興味深いなと思ったんですが、どうしてそう思ったんですか。

山本:水っていうのは強さもあるし、けど柔らかい部分もあるし、包容力もあるじゃないですか。形を留めずにずっと流れ続けていくものであることも含めて、自分がどういう音楽を作りたいか考えた時に一番マッチするイメージなんですよね。形を固定せず、その時々で自分が思ってることとか作りたいものを形にしたい、流れを止めずに形を変えながらやり続けていきたいっていうのがあって。水のような音楽を作りたいというのは、そういうことだと思います。

ーおっしゃる通り、水は常に形を変えていきますけど、一方で、なくてはならないもので。すべての生命は水がなければ生きられない、つまりは生にとって不可欠かつ非常に本質的なものでもある。ご自分にとって音楽もそういうものだという感覚があるんですか。

山本:作る立場においても聴く立場においても、その感覚はありますね。音楽とか音というもの自体、意識して求めているものというよりも、自然に、当然そこにあるものとして捉えているというか。まさに不可欠な存在。そういう意味でも、水にかなり似てると思います。

ー“粼”はどんなふうに生まれたんですか。

山本:曲自体は以前からあったんですけど、アレンジは“夜明迄”を作った後に始めたんですよ。というのも、EPをどういうものにするかイメージが固まるまでは手をつけなくて。で、“夜明迄”ができたことである程度それが見えたので、そこから取り掛かった感じでしたね。4曲目の“夜明迄”から5曲目の“粼”へと進んでいく中でひとつカタルシスを作りたいなと思って、さっき言った停滞のような、溜まっているものが動き始めるイメージで作った曲です。

ー“粼”には<どうやっても取り戻せない一瞬の春の光と / 行き場のない怒りも固く閉ざされた日々も / 洗いざらい流す雨が降る>というラインがあります。こういう詞が生まれてきたのは何故なのか、教えてください。

山本:このEPに主人公がいるとしたら、その人は孤立した場所に家があって、そこにひとりで住んでいるような孤独感を抱えていて。そういうのが<閉ざされた日々>に表れてると思うんですけど、<雨>に関しては、恵みの雨みたいなイメージで綴ってますね。雨が降ることによって溜まっていたものが流れていく、新たな場所へと動き出していくような、そんなイメージで書きました。

ー曲を書く時は、自分はそれこそ誰もいない孤立した場所に存在しているという感覚が凄く強いんですか。

山本:作ってる時は強いですね。

ーそういう孤独感は普段、生きている中でも感じているもの?

山本:理解されない悲しさに近い孤独感は、常にある気がします。たとえば音楽を作るにしても、ある程度の軌道に乗って、ギターを弾きながらメロディを作り始めて歌詞も書いてっていう作業の段階に入ったら、傍から見ても「ああ、この人は音楽を作ってるんだな」ということになると思うんですけど、その前の段階って、動きとしては何もしていない状態じゃないですか。そういう、自分の頭の中にはあるんだけど外からは見えないがゆえに理解されない孤独感みたいなものは、普段生きてる上でも、他者とどれだけ話しても理解されない悲しさと似てるかもしれないです。

ーその悲しみは、昔からある感覚なんですか。

山本:そうですね、割とあったと思います。僕は自分の気持ちをそんなに話さないというか……それも「話したいけど、話せない」というよりは、話す必要がないと思ってしまっている節があって。それは幼少期からずっとあったと思います。そんなにしゃべる子供じゃなかったんで。

ー他者に話す必要がないと自己完結するのは、諦めみたいなものが背景にあるんですか? それとも、それとは別の何か?

山本:諦め、ですね。

ー幼くしてそれを諦めたのは、どうしてなんでしょう?

山本:なんででしょうね? 当然しっかり話を聞いてくれる人もいたとは思うんですけど………ただ、特に幼少期は、「子供が言ってることとして」しか話を聞かない大人もけっこういるじゃないですか。

ーわかります。

山本:そういう状況って、当時の自分にはどうすることもできない。で、そういう時に僕の場合は、自分の気持ちをなんとか言葉にして伝えるよりも別の方法を試すというか、回避しがちというか。だから諦めてるんだと思いますね。

ー「子供が言ってることとしてしか聞かない」というのは、大人が子供に対して無意識に取ってしまう態度でもあると思うんですが、ただ今の世界を見渡してみると、それは大人と子供の間に限らず、人と人との間に横行している態度だなとも思うんですよ。特にSNSを見ていると、相手が言わんとしていることやその奥にあるものを理解しようとするよりも、自分の先入観や自分の正義に基づいて相手の話を勝手に決めつけ、一方的に断罪するようなことが凄く多い。で、それはSNSに限ったことではなく、今起きている侵攻や争いも、紐解いていけば近い構造があると思うんです。そういう人間の性(サガ)だったり世界の構造みたいなものを幼少期から肌で感じていて、そこに対する諦観があった、みたいなところもあるんですかね?

山本:そうですね。今も確かにそういうのは感じますね。その人が言ってる意味まで考えない、さらにはそれを一方の都合でキャンセルするというのが凄く加速している印象があって。それは危険だなと思います。少なくとも自分の気持ちとしては、もう少しお互い歩み寄りたい。そういう歌詞を書くことも多いなって、今思いました。

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