INDEX
世界の象徴としての礼拝堂
『教皇選挙』という映画は、現代社会に対する一種のステートメントだ。密室と化した礼拝堂と、枢機卿たちが利用する宿舎「聖マルタの家」は、さまざまな国籍と民族性、アイデンティティをもつ人々が集まったグローバル社会の象徴として機能する。
主人公のローレンスはイギリス人、友人ベリーニはアメリカ人、対立するトランブレはカナダ人。テデスコはイタリア人、アデイエミはナイジェリア人、ベニテスはメキシコ人だ。聖マルタの家には運営責任者のシスター・アグネスもいるが、「世界最古の家父長社会」である教会でシスターの存在は基本的に透明化されている――特別な問題が発生しないかぎりは。

それぞれの国や思想を背負ってバチカンを訪れた枢機卿たちは、表向きには穏やかに接する。しかし、「文化や人種が異なる者が、神への信仰のもとに結びついている」と口にしたローレンスに対し、テデスコが「実際には言語で分裂している。昔はみなラテン語を話していたのに」と応じるように、水面下には利害と対立が絶えず存在するのだ。「ラテン語はリベラル派が死語にした。このままでは教会が空中分解する」とテデスコは言い放つ。
かたや、テデスコの教皇就任をなんとか阻止したいベリーニも強硬だ。なにしろ「テデスコが批判するものをすべて支持する」とまで言うのだから、そこに筋の通った思想があるのかはもはや疑わしい。「反対のための反対、攻撃のための攻撃」だが、それによく似た主張や論法を観客である私たちはよく知っているだろう。ときには現実の政治空間で、ときにはSNSという言論空間で。