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約60年続く音楽家たちの自主組織「AACM」の実態とは。その音楽的教えについても
―トミーカさんは「AACM」というシカゴのミュージシャンたちの自主組織に関わっていましたよね。名前自体は日本でも知られていて、サイトには「演奏、学際的プロジェクト、作曲家への委嘱などを通じて、音楽家会員に雇用の場を提供している」という説明があるのですが、実際はどういう組織なのでしょうか。
トミーカ:私はワシントンD.C.出身でシカゴに移ってくるまで「AACM」の存在は知らなかったんです。ニコール・ミッチェルという素晴らしいフルートプレーヤーのプロジェクトで演奏するなかでフレッド・アンダーソン(※)をはじめとした人たちのことを知って、「AACM」に関わっていくようになりました。
※1929年生まれのシカゴのテナー・サックス奏者。「AACM」の初期メンバーのひとりとしても知られる
トミーカ:「AACM」には学校のような機能もあるのですが、たとえば音楽家に対してエージェントのように何かの仕事を斡旋するっていうことではなく、たまに作曲を依頼してくれたり、コンサートの話を振ってくれるといった感じですね。チャンスを待っていれば「AACM」が機会を提供してくれる、ということでは全然ないです。給料を払う仕組みになっていなくて、「道なき道」から抜け出す方法を模索している人々の集合体のようなものです。
―トミーカさんは「AACM」で音楽的にどんなことを学んだのでしょうか?
トミーカ:「AACM」で学んだことは、まず自分自身の「ボイス」を見つけるということ、自分で曲を作るということでした。私にとって「AACM」は間違いなくジャズの他のスタイルへの扉を開きましたし、フリーインプロビゼーションを演奏したり、そのサウンド世界全体について学ぶきっかけになりました。
ディー・アレクサンダー(※)やマイク・リードをはじめとする人たちは、私に自分の音楽を書くこと、そしてこれらの作品や私が望むものなら何でも作曲できることを理解するように励ましてくれた。好きなようにクリエイトしなさい、ということ。それが「AACM」からもらった一番大きなインパクトだと思います。とにかく何もないところに場所を生み出していくような感覚を「AACM」から学びましたね。
※シカゴのジャズボーカリスト、作曲家。「AACM」のメンバーとしても知られる

ーメアリーさんは生物学を学ぶために入った大学で、「AACM」に関わっていたアンソニー・ブラクストン(※)の音楽の授業を受けて専攻を変えた、とプロフィールにあります。具体的にどういった影響を受けたのでしょうか。
メアリー:私が専攻を音楽に変えた理由は、音楽とは私がそれまで考えていたよりもはるかに大きな世界であることをアンソニーが気づかせてくれたからです。私にとって、アンソニーというメンターがいたことはとてもありがたいことで、とにかく自分の創造性を大事にすること、独自の道を行くことを応援してくれる人でした。
一般的な音楽教育、ジャズ音楽院やクラシック音楽院では、正しく演奏する方法、または特定の伝統を学び、そのスタイルで演奏する方法を教えていると思います。アンソニーはあらゆる種類の音楽の伝統について学ぶことを間違いなく奨励しましたが、それを超えて自分の「ボイス」を本当に見つけてほしいと考えていました。つまり「その先へ進め」ということですね。そこには何かの模倣で終わってはいけないという考え方も含まれていて、とにかく自分自身のことを見つけて、創造的に物事に挑戦しなさいというメッセージを私は常に受け取っていました。
※1945年生まれのシカゴの作曲家、教育者、音楽理論家、即興演奏家。マルチインストゥルメンタリストで、特にアルトサックスの演奏家として知られる「AACM」のキーパーソン

メアリー:そしてアンソニーはいつも、「もしミスを犯さないのであれば、何かが間違っている」と言っていました。そうやって物事に取り組まなければ、何の進歩もない、と。アンソニーは、創造性とは何か、音楽とはどのようなものであるか、そしてあらゆる可能性を私に示してくれました。それはまったく新しい世界が開ける感じでした。彼がいなかったら、私はいま音楽やってないと思います。
トミーカ:メアリーの言うとおりですね。間違えることがどうとかではなく、完璧さを求めるのだったらむしろ「間違うことで先に進むことができる」というようなことを言ってくれる人でした。私もとにかくインスピレーションを受けました。そしてある意味すごく複雑な人でもありましたね、アンソニーは。