9月18日(金)、沖田修一監督の新作となる映画『さとこはいつも』が全国公開される。本作の主人公は世代が異なる3人の「さとこ」。彼女たちはそれぞれに人生に悩みながらも、自身の物語を綴ることで進むべき未来を見出していく。さとこを演じるのは有村架純と石田ひかりという国民的俳優に加え、本作がデビュー作となる新人・姫野花春の3人。沖田監督らしいハートフルでウィットに富んだ人生讃歌が描かれている。
本作はまた、シンガーソングライターの柴田聡子が劇伴を務めていることでも話題を集めている。主題歌は折坂悠太と柴田聡子による書き下ろし曲“シミレ”。3人の「さとこ」の人生にそっと寄り添うような音楽と主題歌が、この作品を特別なものにしている。
『さとこはいつも』では3人の「さとこ」が物語を書くことで自分自身の人生を取り戻し、自己を解放していくプロセスが描かれている。自身も物語の書き手であり、語り部でもある柴田聡子と折坂悠太は、本作をどのように観たのだろうか。劇伴と主題歌の制作裏話だけでなく、物語の持つ治癒力や危うさ、自分自身の物語の紡ぎ方について2人に話を聞いた。
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劇伴は映画と観客を繋ぐ存在。沖田修一監督が求めた「寄り添いすぎない」距離感
─折坂さんは京都のFMラジオ放送局α-STATIONで『α-STATION FLAG RADIO 折坂悠太「劇伴自習室」』というコーナーをやっていたりと、物語と音楽の関係について考え続けていますよね。そんな折坂さんから見て『さとこはいつも』の劇伴はどう思われましたか?
折坂:今回の柴田さんの劇伴はいろんな表情の曲がありますけど、空間的に迫ってくるものがありますよね。いい映画だし、劇伴だなと。私が思う理想の劇伴音楽って、映画とこちら側を繋ぐものなんですけど、その意味でも素晴らしい劇伴だと思いました。
柴田:ありがとうございます。
─劇伴には映画とこちら側を繋ぐ役割があるというのはおもしろい視点ですね。橋渡し役であり、翻訳係でもあるというか。
折坂:そうですね。私自身は映画が現実世界に侵食してくるような作品が好きなんですよ。私の中では「さとこ」というと真っ先に思い浮かぶのが柴田聡子さんだったので(笑)。映画の世界が現実に滲み出てくるような少し不思議な感覚で観ていましたね。

鳥取生まれ、千葉県出身のシンガーソングライター。
2018年のアルバム『平成』や、2019年発表の楽曲「朝顔」で注目を集める。2024年には4作目となるアルバム『呪文』を発表し、ホールツアーを開催。2025年4月には、過去最大となる11名編成での公演「のこされた者のワルツ」を成功させた。これまでに国内外の音楽フェスティバルにも多数出演。また、CMソングや、映画『泣く子はいねぇが』『ONE PIECE FILM RED』への楽曲提供を行い、2025年4-5月放送のNHK「みんなのうた」に「やまんばマンボ」で初登場。10月には東京・大阪2会場で行うワンマンライブ「折坂悠太ばんど 独演 せぞん」を開催予定。
─柴田さんが劇伴を手掛けるのは2023年のドラマ『弁当屋さんのおもてなし』以来ですよね。今回の劇伴はどういうことを意識しながら作っていったのでしょうか。
柴田:自分は音楽的にやれることも少ないので、まずは一生懸命やろうということでした。あと、今回は事前にある程度編集した映像をいただいていたんですよ。最終版ではなかったんですけど、「この場面にこういう音が欲しい」というものが見えていました。その映像に寄り添いつつ、寄り添いすぎずにやろうと思っていました。

シンガー・ソングライター/詩人。大学時代の恩師の一言をきっかけに活動を始める。現在までに7枚のオリジナル・アルバム、2冊の詩集、エッセイ集などを発表。詩集『さばーく』で第5回エルスール財団新人賞<現代詩部門>受賞。第二詩集『ダイブ・イン・シアター』が第31回中原中也賞最終選考作品選出。アルバム『Your Favorite Things』がCDショップ大賞2025<赤>大賞受賞。2026年、シングル『Pool』をリリース。FUJI ROCK FESTIVAL ’26に出演。
─映像との距離感を意識されていたわけですね。
柴田:沖田監督からも「あまり寄り添いすぎなくていいかな」という話があったんですよ。画面に映っているものと音楽のリズムがあまりにも合ってしまうと、なにかおもしろみがなくなってしまう。画面に映っているものと合いながらも、どこかに違う感覚があればいいかなと思っていました。
─折坂さんは今、深く頷いていらっしゃいましたね。
折坂:個人的には映画音楽ってその場面で起きていることに同化しすぎないほうがいいと思うんですよ。感情を補足しすぎないというか、どこか俯瞰したものというか。作り手である監督の視点であったり、観客が持っている視点に近いものが好きなんですよね。今回の劇伴も今まさに柴田さんがおっしゃった立ち位置に音楽がある感じがしました。

─登場人物の感情を説明しすぎたものだと違和感を覚えるということなのでしょうか。悲しいシーンに悲しい音楽が鳴っているとベタすぎるというか。
柴田:私の場合、感情というよりも映っているもののリズムや動き、カットの変わり目に合いすぎていると、あまりおもしろくないのかも。
─なるほど。確かに今回の柴田さんの音楽はそうした効果音的なものとは違いますよね。
柴田:ありがとうございます。でも、それはひとえに監督のイメージのおかげです。監督がおっしゃっていたことをそのままやった感じもありますし。
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一人で歌う予定だった“シミレ”。折坂悠太はなぜ、柴田聡子を誘ったのか
─今回の劇伴にはさまざまな曲調のものがありますね。柴田さんがギターを爪弾いたものや谷口雄さんのピアノだけのシンプルなものもあれば、韓国ドラマの関連シーンで出てくる“Starting to Move”という曲には柴田さんのK-POP愛が溢れています。
柴田:私にそういう曲ができるのか疑問に思っていたんですけど、必死に私の中のK-POP像を思い浮かべながら作りました。
折坂:あの曲はちょっとびっくりしましたね(笑)。
柴田:参加してくれた韓国の男女ユニット・dosiiが本当にすごくて。歌を入れたデータを返してもらったら、コーラスまで完璧に入ってたんですよ。お2人にすごく助けていただいたし、dosiiの力で形になりました。
─あの曲はK-POPグループでいうと、どのあたりをイメージしながら作ったのでしょうか。
柴田:私の印象なんですけど、多分監督的にはNCTあたりをイメージしていたのかなと思うんですね。しかもNCT WISHみたいに爽やかで現代的な煌めきのあるイメージ。でも、私の世代的にちょっと少女時代の雰囲気が入ってしまって(笑)。もうちょっと爽やか路線をイメージされていたのかもしれないですけど、少しだけこってりしちゃいましたね。
─でも、それがストーリーにはマッチしてましたよね。有村架純さんが演じる35歳の沙都子の世代感には合っているんじゃないかと。
柴田:本当ですか、それはよかった(笑)。本当は自分でもこういう曲をやりたいんですけど、あまりやってこなかったので、すごくいい機会でした。作っていて楽しかったです。
─そして、エンディングに流れるのが折坂さんと柴田さんの共演曲“シミレ”です。折坂さんが作曲とプロデュース、作詞は2人で制作していますが、もともとは折坂さん1人で歌う予定だったとか。
折坂:そうなんですよ。最初いただいた話ではその予定でした。
─柴田さんを誘った理由は何だったんですか?
折坂:脚本を読んだり、ほぼ完成した状態の映像を観て思ったのが、主題歌も1人の物語で完結しないほうがいいんじゃないかということだったんですよ。『さとこはいつも』という物語の中には妄想の物語や書きかけの物語が入っていて、入れ子構造になってるわけで、歌を作るにしても私1人だけの視点ではなく、違う視点や世界観が入っているほうが映画の趣旨と合うんじゃないかと。
それと、柴田さんと共演するんだったらこのチャンスしかないんじゃないかというシンプルな理由もありました(笑)。私はなかなか自分からいけない性格なので、この機会を利用させていただこうと思って。
─柴田さんは声がかかったとき、どう思われました?
柴田:そんな光栄なことがあるんだと思って、即「やらせてください!」と言いました。もう本当に嬉しかったんです。

─折坂さんは“シミレ”のコメントの中で「エンドロールが終わりじゃなく、句読点になるように。またここから物語を紡ぎ出す誰かに、思いをはせながら歌いました」と書いていますね。
折坂:映画のエンディングの音楽って、上映が終わって客電がついたあと、帰ろうとするお客さんに対して「お帰りはこちらです」と橋渡しする役割もあると思うんです。映画から何かを持ち帰ってもらいやすくするための道というか、地図みたいなイメージがあって。
─なるほど。
折坂:柴田さんが書いてくださった歌詞も、映画でいうとインサートみたいな感じがしたんですよ。私が書いた日記みたいな歌詞に対して、物語と関係ない風景や主人公たちが暮らす街の景色みたいなものがパッパッとインサートされていく。すごく映像的で、素晴らしい詞を書いていただいたなと思って、すごく嬉しかったんです。
柴田:制作中、まさに今折坂さんがおっしゃったようなイメージがありました。折坂さんが書いてくださった物語に対し、インサートを担当する感じ。景色をただただ書けば、引き立て合いそうだなと思って。曲のメロディーからもそういうイメージを受け取りました。
─それにしても素敵な曲ですよね。“シミレ”がかかった瞬間、荒川の土手の向こうからいい風が吹いてくるような感じがしました。
折坂:ありがとうございます。
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物語に感じるイメージ。「利用されやすいもので、危険なものでもあると思います」(柴田)
─この『さとこはいつも』という映画は3人の「さとこ」が自分たちの物語を書くことが軸になっているわけですが、柴田さんと折坂さんが普段歌詞を書く際にはどのような意識のもとで書いているのでしょうか。さとこたちと同じように「自分の物語を書く」という意識があるのか、あるいは別のものなのか。
折坂:私はもともと脚本家になろうと思っていた時期があるんですね。そのころ短い物語をちょこちょこ書いていたんですけど、物語を書くとそれでしか得られない安心感みたいなものがありました。でも、音楽はできたものに対してすぐに反応をもらえるのが楽しくて。それで音楽のほうに進んでいったんですけど、脚本家になろうとしていた時期のことを考えると全然違うことになったなと思って。
─やり残したことがあるような感覚?
折坂:少しありましたね。そんなことを考えていたころ、柴田さんの『しばたさとこ島』(2012年)とか『いじわる全集』(2014年)が出たんですよ。一つひとつの歌に濃い物語が描かれていて、「音楽でもこういうことができるんだ」と思ったんです。
音楽の中でも「かつて自分がやりたかった物語を作る」という意識はちょっとあるかもしれないですね。曲によって違いますけど、途中でやめちゃったことを音楽を通してやろうとしているところはあるかもしれない。
─柴田さんはいかがですか?
柴田:私は「物語」というと、どうしても小説を思い浮かべてしまって。まだあまり出会っていないだけだと思いますけど、自分は小説を全然読んでこなかった人間で、小説って「物語」というよりは「お話」みたいな感じを抱くことが多くて、全く掴みきれていないです。「お話」ではない「物語」は興味があるし、あと自分で何かを書くにしても、そういう意識を持っていたいなと思っています。

─「お話」と「物語」の違いとは何なのでしょうか。
柴田:たとえば小説の中でも、夏目漱石の作品を読むと「これはお話ではないな」と感じるんですよ。夏目漱石って本当にたくさんの人に読まれてますけど、文庫本の裏に書いてある3行ぐらいのあらすじだけでは何も説明できていない感じがあるんですよね。そういうものを「物語」と感じてしまいます。「お話」になると、物語から何かがこぼれ落ちちゃう感じがするんですけど、夏目漱石の作品はこぼれ落とさずに物語を実現している感じがします。
─あらすじで説明しきれないものがたくさん詰まっているのが物語?
柴田:なんとく、そう感じますね。物語って大層なものばかりではないと思います。人生の転機みたいな重要なことばかりではないですよね。私自身、自分で「物語を作ってる」という意識はいまだに持っていないし、よくわからないものでもあります。
あと、物語って結構利用されやすいもので、危険なものでもあると思います。人の気持ちを動かしやすいものだし、だからこそ歴史を語るときなどには危ない武器になることもるなと。
─折坂さんも以前のインタビューで物語の危険性について話していましたよね。政治的に利用されたり、他者をコントロールするときにも使われると。
折坂:そうですね。
柴田:危ないからこそ、包丁のようにちゃんと使えるようにしたいし、重視しすぎないようにしています。物語に対し、むやみに立派で大きくて輝いているようなイメージを持たないようにしているかな。
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物語を取り戻したり、手放したり。それぞれの付き合い方で自分を癒す
─『さとこはいつも』に出てくる3人の女性もあくまでも自分の些細な日常を綴ろうとしていますよね。本人はそれを物語とすら思っていなくて、経験してきたことをただただ綴っている。石田ひかりさんが演じる55歳の里子はそれを自分の息子や夫に読ませることで、物語であることを認識していきます。
柴田:自分の物語を本にして誰かに読んでもらうということは、ある意味利用される可能性が出てくるということだとも思うんです。そのことで違う物語が語られることもあるわけで、そういうスリリングなところもおもしろいなと思いますね。この映画には「パーソナルであるということ」と、それを誰かが読むことのせめぎ合いも描かれていると思います。
─55歳の里子が、「他の人に見てもらわないと、なかったことになっちゃうものね」と納得するシーンがあります。里子はそうすることで自分の物語を取り戻し、自分自身の人生を生き直していきますが、それも物語の力の一つだと感じました。
柴田:そうですね。物語を取り戻したり、あるいは手放したり。いろんな物語との付き合い方が描かれていますよね。
折坂:この映画の中では、物語を手放したり消すことも「物語を作る」ことに含まれているんですよね。自分で物語を書き、自分で消すことで、物語を誰かのものにしない。世に発表することで誰がどう解釈するかわからなくなるし、そこはもうコントロールできないじゃないですか。音楽も同じですよね。世に発表している以上、そこは引き受けざるを得ない部分がある。

─言葉にならない思いに物語という形を与えることによって、それまで抱えていたモヤモヤを解消していく話でもありますよね。自分史を書くことによってトラウマを解消するナラティブセラピー(物語療法)という心理カウンセリングの方法がありますけど、それに通じる話ではないかと。お2人は物語を書く、あるいは創作することによって自分を癒していくような感覚はあるのでしょうか。
柴田:私はあります。近年、さらに強まっているかもしれない。音楽や何かを作ることが欠かせなくなっている感じはありますね。ちょっと依存に近いというか。
私もいろんなものに苛まれながら生活はしているわけですけど、モヤモヤや怒りのような感情が自分の中で一番大きいかというと、そんなこともないんですね。歌を歌おうとすると、怒りよりも喜びのほうが前に出てきて、怒りを凌駕していく。どっちが大切ということではないですけど、そのことに気づいて自分自身が癒されてる感じはあるかもしれない。