GEZANはやっぱりロックバンドだ。そして、4人だ。
メンバーだけでなく、運営スタッフやアーティストによるコミュニティとしての結びつきがひとつのムーブメントとなり、総体として「GEZAN」、そして自主レーベル「十三月」を構成していて、その空気感がインディー音楽界を震わせ続けている。2021~2023年のGEZAN with million wish collectiveはそれが顕在化したものだといえるだろう。
彼らはそのフェーズを終え、よりソリッドな形ーー4人のロックバンドとして、47都道府県を巡る『集炎』ツアーを行った。公演は対バン形式で行われ、出演者、あるいは観客、スタッフと、彼らはその区別なく全国各地の仲間たちと再会した。
その後の活動は100時間リレー、アルバム発売、彼らの写真を撮り続けてきた写真家たちによる写真展、そして武道館公演『独炎』へと続いていく。
この記事は、GEZANのフロントマン・マヒトゥ・ザ・ピーポーと、彼が「この人とだったら、いつもは辿り着けないところまで話せるような気がする」と対話を望んだカレー屋「floatan」オーナーとの邂逅の記録であり、武道館公演に向けた地図でもある。
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メンバー:マヒトゥ・ザ・ピーポー(Vo/Gt) / イーグル・タカ(Gt) / 石原ロスカル(Dr) / ヤクモア(Ba)
2009年、大阪にて結成。独自の視点とスタイルで表現を続ける一方、自主レーベル「十三月」を主宰。2023年にはFUJI ROCK FESTIVALのGREEN STAGEに出演し、11月にはコロナ禍を経て4年ぶりとなる主催企画「全感覚祭」を、“Road Trip To 全感覚祭”と題して川崎・ちどり公園にて開催。現在、全国47都道府県に中国・上海公演を加えた全54公演におよぶ「47+TOUR『集炎』」を開催中。ツアーファイナルは、2026年3月14日(土)・日本武道館での単独公演『独炎』となる。2026年2月11日(水)、最新アルバム『I KNOW HOW NOW』をリリース。
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GEZANを知っていくことは「ロックバンド」というものが何なのか知っていく過程でもあった。(floatan)
マヒト:自分はことあるごとに、SNSでfloatanさんの文章を読んでいて。誰かと話すときって全部鏡面みたいな感じで、相手の話をしているようで自分のことを語ってることがほとんどだと思うんですよね。たとえば今回アルバムを出して(インタビューなどで)人と話してると、話したことが鏡みたいになっていって、そこに自分の姿が映ってるというか。floatanさんの言葉にも、もはや自分が思っている以上に自分自身が映っていることがある。大体インタビューとかはもう、同じような感じになってきちゃって、自分の引き出しが開いて最初から知ってる言葉を喋るだけ、みたいなことがよくあって。だから今日は逆に色々聞いてみたいっていう気持ちもあります。そういう感覚で話せたらいいな。
floatanはカレー店である一方、そのInstagramにはGEZANをはじめとしたさまざまなアーティストのライブレポートを掲載。投稿に綴られる言葉から興味を持ったマヒトが対話を希望し、今回の企画が実現した。

floatan:自分で言うのもなんだけど、私ほどGEZANをちゃんと見れてる人はいないかも、くらいに思っています(笑)。出会いでいうと、2021年にテリー・ライリーさんを観るために初めて『FRUE』(※)に行った時でした。会場の近くにある掛川花鳥園って、いろんな鳥が全部放し飼いになってて、すごい楽しいんです。そこで遊びすぎて疲れ果てて会場に着いたので、座って演奏を観ていたら、それまでまったく知らなかったGEZANの音出しが始まったんですよね。
※Festival de FRUE:静岡・掛川で2017年から開催されている野外音楽フェス。GEZANも過去に複数回出演している。

福岡県福岡市でカレー店・floatan(フロータン)を営む。SNSでGEZANをはじめとしたさまざまなアーティストのレポートを掲載。
マヒト:GEZANとOLAibiで一緒にやったときの。
floatan:そう。疲れてだらっと椅子に座ってたけど、音出しが始まって、何か大変なものが始まった、と思ってフロアに駆け下りていったんです。その熱量のまま始まるかと思いきやまた退場していって、いざライブが始まったらタカさんがバグパイプを吹きながら後方の客席から降りてきて、そのライブがとにかくびっくりした、雷に打たれたみたいな体験でした。
マヒト:『FRUE』はダンスミュージックがフロアに与えるものと、バンドが空間に与える感覚とがうまく混ざり合ってて「空間」ってことを知覚できる祭りなんです。そしてGEZANは、フォーマットはロックバンドではあるんだけど、型から逸脱してるところは自覚してる。バンドで集まって音を出して集合体の内部に潜っていくと、トライバルに限りなく接近していくんです。そういった流れを『FRUE』では全開に開放する。その上で『FRUE』では、DJみたいに前後のタイムテーブルの流れや時間帯でセットの流れを考えるっていうこともやるから、特別で。
それに、耳とか感性の解像度みたいなものへの信頼があって。普段とやってることが同じに見える人もいるだろうけど、預けられる部分の最初の設定がちょっと違うっていうのは『FRUE』にはある。トライバルと、外に開いていくものの間を行き来できる。その回はOLAibiもいたからね。
floatan:Wドラムでね、かっこ良かったです。そのままいろんなアーティストの演奏を聴いて満足いっぱいで帰ったけど、その後、あのとき観たのは一体何だったんだろう、雷に打たれた理由が知りたいと思ってGEZANを検索して。そしたらありがたいことに昔のドキュメントが映像でたくさん残っていたので全部見て、マヒトさんですら忘れてそうなすごく昔の文章とかまで、全部読んで。
マヒト:そうですか。
floatan:とにかく何なのか知りたかった。この人たち何か絶対おかしいから。
マヒト:(笑)。
floatan:何がそれを醸してるのかを知りたくて、で、池野詩織さんが撮った『BUBBLE BLUE』(※)を買ったんですよ。たまたま島根のレコード屋さんに在庫があってそれを取り寄せてみたら、そこに全部写ってたんですよね。
※BUBBLE BLUE:2015年にアメリカのバンド・MEAN JEANSとGEZAN、THE GUAYSが行った『MEAN JEANSの胸ジンツアー』を記録した写真集。
マヒト:なるほど。
floatan:そもそも私はロックバンドに興味を持ったことがなくて。スティーヴ・ライヒとかのミニマルミュージックや、民族音楽とか現代音楽とか、どこか意識が変容するような音楽が好きずっと聴いていて。一番音楽に没入していた20歳くらいの時はテクノの創世記だったから、もうどっぷりクラブにいて。その当時のクラブって全然DJに明かりが当たってなくて真っ暗だったんですよ。前も後ろもないみたいな。そういう、溶けるみたいな音楽と空間がずっと好きで、ロックバンドのことを全然知らなかった。なんかめっちゃ汗かいて大変そうだし。
マヒト:それはそうですね。
floatan:喧嘩して、解散とか。コールアンドレスポンスみたいなものをやるのも、自然発生的じゃない何かの押し付けみたいに感じて、そんなのしたくないし、みたいに思ってた。でも、GEZANは手拍子とかもないバンドで。GEZANを知っていくことは「ロックバンド」というものが何なのか知っていく過程でもあって、こんなにも知らない世界があったんだということに驚いたし、とはいえロックバンドの中でもGEZANは全然違っているようで。
ツアーを観に初めてライブハウスに行く、という経験もして、一緒に出演していらっしゃる十三月の仲間のバンドたちも、ここに全部あるやんって思うくらい素晴らしくて。それは十三月の仲間に独特の、共通している何かみたいなのがあるからだし、それが何なのかが知りたくて、急にライブにも行きまくり始めました。
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GEZANのライブは「生きてる感じ」があるのと同時に、めちゃめちゃ「死んでる感じ」がする。(floatan)

floatan:それで、ライブを観るたびにすごい長い文章を書いて。あれは書かずにいられないから書いてるんですけど、書いた後、自分で読むのが面白いんですよね。私が書いてたのかも、もはやわからない。何なのかなこの文章、みたいな。
そうやって時間を経て気づいたことがあって。GEZANにもいろいろなファンの人がいると思うんですよ。古くからのファンも、ロック好きも、あとは何かマヒトさんに対する疑似恋愛みたいなものや、ただ憧れを抱いている人もいると思う。自分の場合はどれもちょっとずつあるのかもしれないけど、どれでもないな、みたいなことをずっと考えていたときに、GEZANのライブで何が一番好きかというと、めちゃめちゃすごい熱量で「生きてる感じ」があるのと同時に、めちゃめちゃ「死んでる感じ」がして。そこに引き寄せられてることに気がついたんです。そういう、生きながら死んでいるみたいな感じがするライブには、出会ったことがなかったから。超プリミティブな民族音楽だったり、全く商業性のないような音楽だったらそうなり得るのかもしれないけど、バンドの演奏でその感覚になるっていうことに興味を持ちました。

floatan:そうすると「魂」の話をせずにはいられない。私は血が赤いのと同じくらい当たり前に、「魂」っていうのが体と重なっていると思っているし、それは知覚もしているから、GEZANのライブは魂の目で観るっていう感じがしているんです。そしてGEZANは、魂を使って演奏や活動をしているんじゃないかって。メンバーが変わって、ロスカルさんとかヤクモアさんとはオーディションで出会っていったじゃないですか。多分マヒトさんの魂の目とか、鼻、嗅覚みたいなのが、匂いを嗅いだんだろうなと思ったんですよね。
マヒト:「魂」の話に全部なっちゃうっていうのはもちろんその通りで。ただ、魂って言葉を使わずにどう話すかっていうのが実は結構重要だと思う。音楽にしろライブにしろ、自分の中のルールでは、一応その言葉を使わない。魂って言葉を使うともう下津(光史)になっちゃうから(笑)。下津はもう常に魂しか言わないし、確かに全部、かたがつけられるんだけどね。

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生きるっていうことに集中していくと、同時に「死」っていう視点が上がってくる。(マヒト)

floatan:たとえば絶対無理なんだけど、1回死んで、走馬灯みたいなものの中から眺め直す……なんていうか、懐かしさしか感じられないような状態に全員がなって、それから日常に戻るっていうことがあれば、何かいろいろ変わるんじゃないかなっていう考えがあって。観てる人が気づいていてもいなくても、GEZANのライブにはそれがある気がするんですよね。それは本来はその場にいないと感じられないことだと思うけど、ヴィンセント・ムーンさんが撮った映像には収まっていて、ヴィンセントさんは幽霊みたいな視点を持ってる人なんじゃないかと思いました。揺らぎも含め、死んだ人が撮ってる、みたいな。
マヒト:めちゃめちゃ有機的な人だけどね、ヴィンセントは。あの人は明らかに天才で、自分がカメラを向けられたときにこれまであまり感じたことのない、動物としての肯定する力みたいなのがあって。ヴィンセントは生き物として何かに虚無ったり絶望したり全然してない。でも、すごく有機的に血が回ってる感じが与える印象が、「幽霊の視点みたい」っていうのは実は筋としては間違ってなくて。ものすごく人間的で有機的な人が高まってつき抜けていくと、両軸の逆側に振れて、すごく冷たくて、人間らしいっていうものから一番遠くなってくっていう。似たニュアンスをちょっとだけ感じたことがある人でいえば写真家の佐内(正史)さんだった。

マヒト:死んだ人の視点みたいなものっていうのは、さっき言ったように、その生命力みたいなものが落ちていくほど出てくるっていうよりは、命が錯乱したり炸裂したりする方に向かっていくほど冷たく透明になっていって、孤独になっていくっていう感覚で。それは、実は武道館公演にも期待してることなんですよね。みんなに観に来てほしいっていう話をSNSでして、拡張する方に、全開に開いていってる過程を自分で恥ずかしいなって思う気持ちもあるんですけど、でも同時に、ものすごく騒がしいところに入っていくときにしか得られない静寂みたいな感覚があって。その2つの向かっていく先っていうのは、実は到着点はそんなに遠くない気がする。生きるっていうことに集中していくと、同時に「死」っていう視点が上がってくる。

マヒト:ロックバンドには多分、本来はそういう力があって。今の形骸的なロックバンドの、みんなで集団行動みたいなこととはちょっと別の話で、そもそもすごく衝動的で、肉体的で、儀式的。いわゆるThe Rolling Stonesとかが始まったようなところにあったもので。でも、それをプロパガンダにも利用できるんだって誰かが嗅ぎつけて、集団の旗振りに使いやすいとわかられたぐらいから、変わっていったと思うんですよ。だけど、そもそもロックバンドが持っていた儀式的な性質は多分変わってなくて。それは自分でも感覚的にはわかりながら、考え方、イメージに輪郭を持たせられなかったんだけど、『FRUE』だったり、『橋の下』(※)だったり、そういう祭りで根っこのところを嗅ぎつけていくと同じ話をしてるんだなっていう瞬間がたくさんあったんですよ。
※橋の下世界音楽祭:愛知・豊田で2012年から開催されている音楽フェス

マヒト:そもそも言葉とか音とかって、何か具体的な実態がないのに人に影響を与えるっていうこと自体、すごくサイケデリックなことで。その意味でやっぱフィリップ・グラスとかテリー・ライリーとか、コマーシャルとは無縁のところから始まった音楽とロックはそもそも同じ、いとこだったんですよね。それがビジネスに発見されていろいろ変わっていったし、自分はその後のタイミングから音楽を始めたので、源流に向かっていく旅みたいなところがまずあって。
それは武道館に期待してるところでもあるんですよ。すごく大衆的なことが、すごくサイケデリックなことと同居してるっていう。日本の中では、ポップに開いていくことと、ただひたすら内側の自分に気づいていくことは2択になりやすいけど、それは同居して存在できるっていうところに、トライしたい。徹底的に、孤独なりに、自分が集めて拡張した「みんな」っていうものの中に飛び込みに行くっていう、テーマはそこにある。
自分の声とかイメージが「みんなのもの」になったときが、一番自分を引きで見れる瞬間で、自分の胸の中にあるものが何なのかっていうのが自分でもわかるはずなんです。その行き来の伸縮みたいなところに、一番興味があるんですよね、今回は。
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自由になろうとしていたところに音楽があったのは、やっぱ全然偶然じゃない。あの力は一体何なんなんだろう。(マヒト)

マヒト:ちなみに音楽以外も含めて、floatanさんがそういう両軸を感じるような、似たようなフィーリングを感じるものって何かありますか。映画でもいいし、食べ物でも、人でももちろんいい。
floatan:動物かな。でも、あんまりないかもしれない。私が知らないだけなのかも知れないけど、そんなにいっぱいある話でもないような気がして。
マヒト:何でそういう、両軸に行くバンドとか、ものが少ないと思いますか。
floatan:人によって事情が違う気がするけど、魂ではなく肉体の知覚の方に偏らざるをえなくて、使いづらくなっていったんじゃないかなと思います。魂の知覚がある人とない人がいるわけじゃなくて、小さくなってる人と、めちゃめちゃそれがマックスに近い人がいて、GEZANはマックスに近い人たちだと思うんですよね。ライブのときは特に。その状態になるために長い時間スタジオに入ってたりするのかなっていうふうにも思うんですよ。おかしいぐらい長い時間スタジオに入ってるように感じるのは。
マヒト:全然うまくならないです。
floatan:(笑)。多分うまくなるために入ってるんじゃないんだろうなっていう。
マヒト:うまくなるために入ってるんですけどね(笑)。
floatan:うまいとかどうかは私はわかんないけど。でも、どんな状態になってもその感覚をなるだけ保つために練習してるように私は見える。
だから『100時間リレー』(※)のときも、めっちゃ疲れてるのにいろんなゲストの方と演奏できていたんじゃないかなって。とにかく即興演奏をあれだけ聴き続けることができるっていうのと、編集されずに全部見ることができたから、ずっと面白かったです。
それに、ゲストとの時間が終わってGEZANのメンバーが入れ替わり立ち代り入るときに、知らない人に抱っこされてた赤ちゃんが家族に抱っこされたときの赤ちゃんになったみたいな感じがあって、見ているこちら側もその感覚で。
※100時間リレー:アルバム『I KNOW HOW NOW』リリースにあわせ、2月6日20時から2月10日24時までの100時間をGEZANメンバー4人が25時間ずつ担当しライブを繋いだリレー企画。ゲストを交え開催され、その全編がYouTubeで生配信された。
マヒト:あれはどういう感覚なんだろうね、確かに言われてみるとちょっとあるね。全員他人なんだけど、ヤクモアとかロスカルが入ってくるときは、他者とやってるときとはまたちょっと違う。同じく他者とやってるんだけど、確かに違う。
floatan:なんかそういう、「その感じ」が全部に影響してるような気がしてて。

マヒト:100時間に関しては、ドイツに『Fusion Festival』っていうフェスがあって。自分たちが出演したときは、全部で24時間×3日間あって、その間のタイムテーブルにトリがないんですよね。要はヘッドライナーがいなくて、全部のタイムテーブルがずっとぶっ続け。そうなると、ピークタイムを自分で選べるようになるんですよ。
普通のフェスだと21時から22時までとか、クラブの時間だったら1時2時とか、ピークタイムに向けてコンディションを調整したりするんだけど、それって本当は自然ではなくて。自分の体とか心とか、そういう状態も含めて本当は個人個人に心のタイムテーブルと体のタイムテーブルがあるはずなんですよ。『Fusion Festival』みたいにピークタイムがないと、疲れてたら仮眠をとって、自分が起きたタイミングで出ていけばそこの時間がピークになる。
本当の意味で自由になる時間軸を知って、何かが消滅しないと本当に自由になりきれないんだなっていうことを思ったんです。時間って、自由ってもののある種の強敵で。今もこうやって話しながら、次の予定っていうリミットがありながら喋ってるけど、本当に自分が自由を感じられるっていうのは、時間が剥奪された状態だと思うんですよね。
もちろん、『Fusion Festival』で得たものと『100時間リレー』はイコールではないんだけど、100時間になるとコントロールができないし、タイムテーブルも組めないし、起承転結が利かない。そうするとやっぱりどうしても赤ちゃんみたいに無防備になる。でもゲストが来たらスイッチを入れなきゃいけないし、知ってる人が来たら、お母さんが来たようにすっと気持ちが和らいだり。あの中で一番重要だったのはそこの気持ちの伸縮で、もはや人前で見せられるような状態じゃない精神や、意識の状態がただ漏れていたことだったと思う。

マヒト:フェスや祭りが、もしくは音楽っていう体験が自由っていうものに向かうなら、時間というものとどう付き合うかってすごい重要で。いま全員がこの時間に、時価が発生しちゃってるから。自分も手放しに自由になりきれないところがあるし、予定もあるし。『全感覚祭』しかり、どうやってその時間っていうもの自体と対峙できるのかなっていうのはテーマにあるな。
あと、いつも出かける準備をするとき、音楽かけてるとめっちゃ遅刻するんですよね。本当に全然焦らなくて。だから「もう今出ないと絶対間に合わない」「もう15分は遅刻だ」とか、焦んなきゃやばいときは音楽を消すとようやく体が焦るモードに入れる。それぐらい音楽って時間を麻痺させる力がそもそもあるんですよね。そうやって時間を麻痺させて、日常でそれぞれが持ってるドキュメントを一旦精算して、どれだけ自分の時間としてその時間を過ごせるか。たとえば昔、火を囲んで、それぞれが抱えてきた個人的なドキュメントを超えて自由になろうとしていたところに音楽があったのは、やっぱ全然偶然じゃないよなっていうのを、今日遅刻しそうになりながら音楽切ったときに思った。あの力は一体何なんなんだろうなって思うから。

floatan:そういう自由の状態になろうとしたとき、みんなで車座になったり、得体の知れない植物の汁を飲んだりとかしなくても、GEZANのライブを観ていると音が鳴っているだけで、気づいていてもいなくてもみんなに何か起きてる気がしていて。それが大きい会場になったときに、小さい会場とはまた違うことが起きるのかな、何が起きるんだろう、って純粋に楽しみです。