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『嵐が丘』レビュー 英文学の正典を大胆に改変、女性の視線を通した「文芸エロス」

2026.2.24

#MOVIE

© 2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
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ヒースクリフは「非白人」か

最後に一点、この作品において大きな議論を呼んでいるポイントに英文学者としてコメントしておきたい。それはキャスティングがホワイトウォッシュではないかという指摘である。原作のヒースクリフは非白人であるのに、映画ではバスク系オーストラリア人の白人男性であるジェイコブ・エロルディをキャスティングしており、白人でないキャラクターを白人にすることで非白人俳優の雇用機会を奪い、原作を歪めているのではないかという議論が、配役が最初に公開された時から存在する。

英文学者としては、このヒースクリフは非白人であるから非白人をキャスティングしないといけないという解釈は一面的であり、原作がわざとぼかしているところを21世紀的な人種観で切ってしまっている。私個人としては、少なくともヒースクリフの親の片方(おそらく母親)は白人のイングランド人ではないと推測しているが、そうでない解釈も可能である。

原作小説ではヒースクリフの人種や民族は極めていい加減な言葉で表現されており、一貫性がない。身元不明の子どもとして初登場したところでは「ほとんど悪魔から生まれてきたかのように黒っぽい」顔色の「ジプシーの子」と言われ、リントン家の面々と初めて会った時には「ジプシー」と言われ、さらに「小さなラスカーか、アメリカ人かスペイン人に捨てられた子」かもしれないとも言われる。「ジプシー」というのは、現在はロマとかアイリッシュトラベラーなどと言われるさまざまな非定住民をざっくりと指す言葉だった。「ラスカー(Lascar)」というのは東インド諸島の水夫を指す言葉だが、東インド諸島のみならず、インドや東南アジア全域の水夫をざっくり指すこともあり、あまり厳密に使われているわけではない。ネリーには「お父さんは中国の皇帝で、お母さんはインドの女王様」かもしれないと冗談を言われている。

© 2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

ここからわかるのは、ヒースクリフはイングランドの白人とは明らかに違っているが、出自がわからず、人種も不明だということだ。ヒースクリフが拾われたリヴァプールはイングランドでも屈指の港町で、奴隷貿易が盛んであったこともあり、18世紀頃から黒人や南アジア系、東アジア系の人々を見かけることができた。一方で18世紀から19世紀頃のイングランド人の人種や民族に関する知識はたいしたものではなく、ヨークシャの田舎となればさらにあやふやであったはずだ。こうした状況を反映し、ヒースクリフは人種や民族が判然としない、身元不明の他者として提示されている。この身元不明者であるところがポイントであり、ミステリアスなよそ者としてのヒースクリフの魅力に貢献していると言える。

キャスティングのホワイトウォッシュ批判は妥当か?

このため、ヒースクリフの人種は読者の解釈にまかされている。黒っぽい肌色を重視するならばアフリカ系の黒人になり、「ラスカー」という表現を重視すればインドか東南アジアあたりにルーツがある人間になる。中国の女王様に関する言及からすると、東アジア人にも見える容貌なのかもしれない。一方で「ヒースクリフは非白人である」という解釈の中で忘れられがちなのが「ジプシー」に含まれるアイリッシュトラベラーの存在だ。

ブリテン諸島の少数民族であるアイリッシュトラベラーは現在の国勢調査などにおける人種分類では「白人」になるが、差別の対象となってきた移動する民族集団であり、「ジプシー」という言葉が複数回使われていることからするとヒースクリフの親はアイリッシュトラベラーであった可能性も十分ある。さらにスペインやアメリカにも言及があることを考えると、イングランド人とは明らかに容姿が違うが別の民族の白人だという可能性すらある。『嵐が丘』を解釈する上で、ヴィクトリア朝のブリテン諸島には白人で「他者」と見なされる民族もいたことを忘れてはならない。どれを重視して解釈するかは読者にまかされている。

ヒースクリフを演じたジェイコブ・エロルディ / © 2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

このようなことを考えると、おそらく最も原作に「忠実」な映画化は、ミックストレイスであまり人種がはっきりしない役者をキャスティングすることだ。具体的に言うと、アイルランド系かつパキスタン系である元One Directionのゼイン・マリクとか、『ソルトバーン』に出演していたナイジェリア系のアーチー・マデクウェなどが比較的イメージに近いのかもしれない。しかしながら、そうしない場合は自分で決めた解釈をとってよいとも言える。ショーン・コネリーやマイケル・ケインはアイリッシュトラベラーの血を引いているが、若い頃ならハンサムなヒースクリフになれたかもしれない。エロルディはこのレビューの著者である私がイメージするヒースクリフとは非常に違うが(『嵐が丘』については、私とフェネルはほぼ全てが解釈違いである)、バスク系ということならまあスペイン人に捨てられた子どもとしてのヒースクリフをイメージしているのかもしれない。フェネルの解釈が趣味が良いと言えるのかはわからないが、ホワイトウォッシュとして責められるいわれはないだろうと思う。

参考文献

・Emily Brontë, Wuthering Heights, ed. Alexandra Lewis, Fifth Norton Critical Edition, W. W. Norton, 2019.

・Celia R. Daileader, Racism, Misogyny, and the Othello Myth: Inter-racial Couples from Shakespeare to Spike Lee, Cambridge University Press, 2005.

・‘Gypsy, N. & Adj’, Oxford English Dictionary, Oxford University Press, September 2025, https://doi.org/10.1093/OED/1201363216.

・‘Lascar, N’, Oxford English Dictionary, Oxford University Press, December 2024, https://doi.org/10.1093/OED/6852163112.

・北村紗衣『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード――ジェンダー・フェミニズム批評入門』、文藝春秋、2022。

・北村紗衣『[増補]お砂糖とスパイスと爆発的な何か――不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』筑摩書房、2025。

・ジョン・サザーランド『ヒースクリフは殺人犯か?:19世紀小説の34の謎』、川口喬一訳、みすず書房、1998。

『嵐が丘』


2026年2月27日(金)より全国ロードショー
監督・脚本:エメラルド・フェネル
出演:マーゴット・ロビー、ジェイコブ・エロルディ、ホン・チャウ、オーウェン・クーパー ほか
配給:東和ピクチャーズ・東宝
© 2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
https://wutheringheights-movie.jp/

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