INDEX
残虐な男性主人公をマイルドにする変更
エメラルド・フェネルはまだ少女だった頃に『嵐が丘』を読み、その時の解釈に基づいて本作を作ったそうだが、たしかにこの映画には中学生か高校生くらいの女子が、全部は理解できなかったうろ覚えの大人向け愛読書のあらすじを不正確に友達に説明しているような感じがある。原作のポイントが妙なところで変えられている。
たとえば原作のアーンショー家はたぶんヨーマンと呼ばれる階級、キャシーの夫であるエドガーと妹イザベラが暮らすリントン家は下級ジェントリーでアーンショー家より少し階級が上だが、映画ではリントン家は商売でもうけた新興成金でアーンショー家に比べるとお金はあるが家柄は良くないということになっている(イギリスの伝統的な階級システムでは、商売をしているといくら金持ちであっても不労所得で暮らせる地主より下層という扱いになる)。映画のキャシーは家柄はまあまあだがお金がまったくない一家を救うためにエドガー・リントンと結婚するが、文字の読み書きすらおぼつかない下層階級の出身と思われるヒースクリフへの恋情を忘れられない。この変更のため、キャシーとヒースクリフの恋は財産と階級をめぐる非常に世俗的なメロドラマとして提示される。

ヒースクリフが原作ほど悪人でないのも特徴だ。小説のヒースクリフは相当に残虐な人物で、復讐のためなら何でもする。イザベラを騙して結婚し、おそらくレイプして虐待しているし、『ヒースクリフは殺人犯か?』という本が出てくるくらいで殺人疑惑もある。ところがフェネルの映画に出てくるヒースクリフは、陰気だが凶悪犯罪の気配はあまりない。ヒースクリフとイザベラは奇怪な関係で、そもそもイザベラはレズビアンでおそらくキャシーに恋している。イザベラは同じ女を求めつつも完全に得ることができない同志、あるいは共謀者として腹いせのようにヒースクリフと結婚し、合意の上でBDSM的な関係に入って、自分の意志でとどまり、夫の芝居に付き合っているように見える。
このふたりの間に存在する依存と支配は非常に不健全でメンタルに悪そうだが、夫が妻を暴力的に虐待するというような関係よりはだいぶ複雑だ。この変更により、ヒースクリフは殺人犯やレイプ犯というロマンスの主人公としては好ましくない罪から逃れて、現代的な恋愛ものの感覚ではヒロインによりふさわしい男になっている。私が高校生の時に『嵐が丘』を読んで一番ぎょっとしたのはヒースクリフのイザベラに対する虐待なので、ここを魔改造したフェネルの発想はわからないでもない。