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【2025年振り返り・演劇編②】餓鬼の断食、いいへんじなど若手に期待。AIと演劇

2026.2.12

#STAGE

市原佐都子/Q『キティ』 / 撮影:中谷利明 東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイボイス』/撮影:明田川志保 贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』 / Photo:Kengo Kawatsura フォースド・エンタテインメント『Signal to Noise』 / Photo by Kozo Kaneda

ライターの丘田ミイ子、川添史子、山﨑健太に集まってもらい、2025年の演劇界を振り返ってもらう座談会。

前編では、2025年初開催だった舞台芸術祭『秋の隕石』のプログラムの充実や、同世代の劇団である「南極」と「優しい劇団」の活動の好対照性のほか、コロナ禍を経て改めて考える、劇場の持つ魅力などについてお届けしてきた。

後編では、演劇作品のストーリー面に注目しながら、関西の若手演劇シーンの面白さや、AIと演劇の関わり方、ジェンダーやセクシャリティを扱った作品などについて、それぞれの考えを聞いた。

関西の若手演劇シーンが面白い。餓鬼の断食に注目

ー座談会の前編では、舞台美術やパフォーマンスのお話が出ましたが、ストーリーの面で印象に残っているものはありますか?

山﨑:前編でもちらっと触れましたけど、ロームシアター京都で、「KIPPU」(※)という若手アーティスト向けの創作支援プログラムに採択されていた、餓鬼の断食『DOGHOUSE』がすごく面白かったです。

餓鬼の断食は、ザ・演劇の作品と、実験的な作品の2つの系列があって、僕は『DOGHOUSE』でザ・演劇な餓鬼の断食を初めて観ました。主宰の川村智基さんは大阪芸術大学の学生なんですが、24歳が書いたとは思えないくらい、厚みのある戯曲だったんです。

※若手アーティストの発掘と育成を目的に、ロームシアター京都と京都芸術センターが協働して行う創作支援プログラム。

餓鬼の断食『STUDY | 修飾を歓迎する環境←→拒否する身体』©トモカネアヤカ / 提供:豊岡演劇祭実行委員会
餓鬼の断食『STUDY | 修飾を歓迎する環境←→拒否する身体』©トモカネアヤカ / 提供:豊岡演劇祭実行委員会
餓鬼の断食『STUDY | 修飾を歓迎する環境←→拒否する身体』©トモカネアヤカ / 提供:豊岡演劇祭実行委員会

―どんな内容ですか?

山﨑:限界集落の寺院を舞台に、世代間の対立や倫理観の差、村八分的なものや政治力学も含めた村内の人間関係を描いていました。団体として名前を聞くようになって、少し前から注目はしていたんですけど、それでも期待を大幅に上回る面白さで、「若い劇団だからとどこかで見くびっていたな」と反省させられました。

丘田:今の関西の若手の演劇シーンって面白いですよね。餓鬼の断食もですが、劇団不労社や安住の地、うさぎの喘ギなどの複数の劇団のメンバーや制作者が集まって戯曲集を発行したりしている西陽〈ニシビ〉という運動体もあります。豊岡演劇祭でもトークを聞いたのですが、とても刺激的でした。そういう団体を横断した活発な動きは、東京ではあまりない気がします。

山﨑:最近の関東は、ポップな印象があるんですよね。言い方は難しいんですが、餓鬼の断食とか、同じく関西の劇団不労社のように、どっしりとした戯曲を書く若手は関東にはあまりいないなと思って。

川添:少し時代を遡ると、例えば、京都の演劇に注目が集まった1990年代に、松田正隆と土田英生と鈴江俊郎の3人が『Leaf』という戯曲同人誌をつくっていたんですよ。京都の劇作家の作品を中心に戯曲を掲載し、座談会やインタビューも掲載する冊子ですね。東京に比べて演劇人の人数も少なく、自転車で移動できる距離感で日々接している京都ならではの演劇文化というのもあって、とても魅力的です。

私は長年、演劇誌で地方演劇を取材していたのですが、その時「書く力さえあれば、どの土地からも素晴らしい戯曲が出る可能性がある」と感じていました。地方は、世間からの「どうして演劇なんてやってるの?」の圧が東京の比ではありません。それでも演劇を続けているパワーが魅力的ではないわけがない。なので今お2人が地方の力を感じているというのは素敵なことだなと感じました。

丘田:おっしゃる通りです。私も関西出身なので、今後も帰省のタイミングなどを活かして追っていけたらと思います。ちなみに、餓鬼の断食は、実験的なライン『STUDY | 修飾を歓迎する環境←→拒否する身体』も豊岡でたんですけど、やまけんさんのお話を聞くと、実験的なものとザ・演劇みたいなもの両方観ないといけないですね。似た動きで言うと、今年は劇団スポーツも実験的なシリーズ『NOWHERE』を立ち上げていました。海外戯曲にチャレンジするとともに、1人の登場人物を複数の俳優が演じる形の上演ですごく面白かったです。

劇団スポーツ『CONSTELLATIONS』

山﨑:劇団スポーツ『CONSTELLATIONS』は、実験的な公演であると同時に、俳優主体の企画でもありますよね。先ほど丘田さんが挙げていた宝宝もそうですけど、俳優主体の企画も、ここ数年で一つの取り組みとしてすっかり定着してきた印象があります。きっとこれは、演劇界における労働環境やハラスメントに対する意識の向上の流れとも無関係ではないのではないでしょうか。一人のアーティストとして主体性を持って企画に取り組む俳優が増えていることには頼もしさを感じています。

進化するAI。演劇との関係は?

―丘田さんは、ストーリーが印象的だった作品はありますか?

丘田:東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイボイス』(萩田頌豊与作 / 演出)は現代性を感じた作品として印象に残っています。「MITAKA “Next” Selection」(※)の1つだったんですが、声優さんの一代記のような感じで、長寿アニメの声優が交代することとそれに人が慣れてしまう寂しさを描いた作品でした。このAI全盛期で、人の仕事のおおよそは代替可能などと言われているけれど、では、その人の存在や魂はどうなんだ。そうした、現代への問いかけを感じたりもして。

※三鷹市芸術文化振興財団のメンバーが足を運び見つけた、注目の劇団が選定される。

東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイボイス』 / 撮影:明田川志保

東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイボイス』/撮影:明田川志保

丘田:最終的には、声優さんが死んでしまっても、声を生成AIで蘇らせることで昔のアニメを再現できる⋯⋯でも「それは違うだろう」という流れで、クライマックスに入っていくんです。コメディだけど、AIに対しての危機感と好奇心をしっかり描いていた作品でした。

山﨑:AIを扱った物語を演劇という形式で描くのはけっこう難しいところがあると思うんです。舞台上に登場させてしまうと、普通の人間とかこれまでのロボットのイメージに収まるものになりがちですし。一方、実験的な作風のアーティストの作品ではAIを創作に直接取り込んだものもちょこちょこ出てきています。(前編で触れた)『秋の隕石』の話に戻るんですが、花形槙『エルゴノミクス胚・プロトセル』は生成AIを使ったパフォーマンスだったんですよ。パフォーマーはVRゴーグルをつけてパフォーマンスするんですけど、そのゴーグルには自分の姿を生成AIが処理した映像が映っていて、例えばパフォーマーの取っている姿勢が椅子の形に近づくと、映像の中のパフォーマーの姿が椅子にメタモルフォーゼするんです。観客からは、パフォーマーの動きと、彼らがゴーグルで見ている映像が一緒に見えるので、微細な動きによって、人間から椅子になったり、椅子から人間に戻ったりする揺らぎが見えるんですよね。

花形槙『エルゴノミクス胚・プロトセル』 / Photo by Azusa Yamaguchi / 提供:東京舞台芸術祭実行委員会

川添:フォースド・エンタテインメント『Signal to Noise』もAIを使った作品でした。俳優自身は発話しなくて、生成AIの音に合わせてリップシンクしていたんです。嘘臭い格好をしていたり、あからさまなヅラを被っていたり(笑)いろんなフェイクが散りばめられている。どうやって本当と嘘を見分けるのかとか、人間とAIの境目はなんだろうとかを考えられたりして、面白かったですね。

フォースド・エンタテインメント『Signal to Noise』 / Photo by Kozo Kaneda

川添:歌舞伎で言うと、初音ミクと中村獅童が超歌舞伎『世界花結詞(せかいのはなむすぶことのは)』で共演しているんですが、初音ミクは回を重ねるごとにどんどん人間ぽくなっているんですよ。それを観ていると、AIやロボット的なものに、やはり人間は人間味を探しているんだなということを感じていて。

山﨑:どういうことですか?

川添:技術の向上で、初音ミクの踊りも台詞回しもすごくうまくなっているんです。作り手もそこをどんどん追求していくし、観客もそれを求める。その現象は面白いなと感じますね。

丘田:今思い出したんですが、市原佐都子/Qの『キティ』で使われていた音声は、AIだったんですかね? あの作品も非常に鮮烈で、観劇後しばらく呆然としたほどでした。

山﨑:AIです。俳優の声を取り入れて、日本語と韓国語と広東語を、それぞれの俳優の声で喋らせています。『キティ』はAIの音声を使っているだけでなく、セリフを寸断して、広東語と韓国語と日本語のミックスみたいな感じで喋らせているんですよね。

市原佐都子/Q『キティ』 / 撮影:中谷利明

市原佐都子/Q『キティ』 / 撮影:中谷利明

山﨑:『キティ』はねこ役の女の子を、日中韓の俳優が場面によって入れ替わって演じることで、資本主義下で性的に消費される女性の身体も表していました。AIを使っているのも、一方では提供した素材が自由に消費されてしまうことへの批判になっていました。

ジェンダーやセクシャリティを扱う作品は増えたのか

川添:現代性みたいな話だと、やまけんさんにジェンダーやセクシュアリティの話も聞きたいです。

山﨑:実はけっこうアンビバレントな気持ちを抱えています。作品内容にせよ、演劇界の環境に関することにせよ、一部のアーティストがしっかりジェンダーやセクシュアリティのことに取り組んでいる一方で、演劇界全体としては改善されているとは言い難いですし、そういうテーマをアップデートされたかたちで扱っている作品もそれほど増えているとは思えない。

例えば、KAATは2025年度のメインシーズンのタイトルに多様性を象徴させるかたちで「虹~RAINBOW~」を掲げました。でもラインナップにはセクシャルマイノリティの作品は1つも入っていなかった。「虹」にはセクシュアルマイノリティの連帯と抵抗のシンボルとして使われてきた歴史があるにも関わらず、です。「演劇界のおじさんって相変わらずダメじゃん」というのが僕の基本的な認識なんですよね。

川添:私はここ数年だと、例えばシェイクスピアの『リア王』を大竹しのぶが演じたり、『ハムレット』で吉田羊が主演を務めたのは、すごくワクワクすることでした。

https://youtu.be/no75EjEkD0g?si=fZLJRSeOa9-NEhJM
大竹しのぶが初の男性役リア王に挑み、宮沢りえ、成田凌、生田絵梨花、鈴鹿央士、横田栄司、安藤玉恵などが結集して話題になった。

川添:女優さんに取材で『ハムレット』での役作りの話を聞けることに対して、ライターとして新しい時代を生きさせてもらっているという喜びがあったりします。日本はまだまだ超えなきゃいけない課題もありますが、世界の変化に演劇的に応答していくことで、ワクワクするところも、ちょっとあったりしますね。

山﨑:これは2025年の話じゃないんですが、パルコ劇場が山本卓卓を採用して、セクシャルマイノリティの人たちも出てくる『東京輪舞』という作品を上演したんです。2026年3月にもゲイカップルやノンバイナリーの人も出てくる『ジン・ロック・ライム』(山本卓卓作 / 白井晃演出)の上演が予定されているんですが、そういう作品を商業でやることの意義はすごく大きい。

川添:ナチス政権下の同性愛者を描いた『BENT』など、パルコ劇場は1980年代からいち早く同性愛やセクシャルマイノリティを題材とした重要な戯曲を上演してきた歴史がある劇場。私はパルコ劇場だからできることがあるんじゃないかなと期待しています。

山﨑:でもパルコ劇場ぐらいしかラディカルに変えているところがないという課題感もあります。秋に世田谷パブリックシアターで上演された『ここが海』(加藤拓也 作 / 演出)は、作品自体はかなり批判的に観ました。セクシュアルマイノリティに対する差別というのは社会構造の問題なのに、登場人物の感情面にフォーカスするために社会を描かない選択をしているように私には見えたからです。

一方で、この公演の主催であるアミューズが背景を説明する記事を公開したり、東京高等裁判所の同性婚にまつわる判決について、会社としてコメントを出していて(※)、その動きは評価されるべきだとも思っています。まだ十分ではないにせよ、そうやって言葉を発し、対話をするところからしかはじまらないからです。

※2025年11月28日、東京高等裁判所が、同性婚を認めていない現行制度は「憲法に違反しない」という判決を出したことを受けて、アミューズは「当社が考えるサステナビリティは、時代・場所・性別・思想の違いを超えて「誰もが良く生きられる自由」を実現すること(一部引用)」というコメントを出し、多くの反響を得た。

川添:ドラマの話になってしまうんですが、『じゃあ、あんたが作ってみろよ』のクレジットには「ジェンダー監修」が入っていましたね。

山﨑:『ここが海』もトランスジェンダーの当事者の団体に聞いたりしていましたし、『東京輪舞』もコレクティブ・コネクトという団体がジェンダーとセクシャルマイノリティにまつわる表現監修として入ってました。ただ難しいのは、当事者だったらいいというわけでもないということです。ジェンダーやセクシュアリティに関する知識はもちろんですが、演劇や舞台に固有の問題や、創作面にも通じていないと、いい作品を作ることにはつながっていかない。意識は上がってきているけど、人材はまだそんなに多くはない気がしています。

丘田:人材が足りないこともですが、そこから派生して監修者の人選が偏ってしまったり、どの程度創作にコミットしているのか、できる環境であるのかが外側からは見えづらかったりと、新たな課題もあるなと感じます。私が、ジェンダーやセクシュアルマイノリティにまつわる話をするときに欠かせないと思っているのが、果てとチークです。旗揚げから一貫してそうした社会の問題を扱い続けられていますし、ノンバイナリーやトランスジェンダー女性が登場する『きみはともだち』(升味加耀作 / 演出)をはじめ、どの作品からも気付かされることが本当に多いです。

https://youtu.be/aCrwkOVXAhw?si=a4fFpDHnD6RdBcC4

山﨑:演劇界は、果てとチークやいいへんじ、贅沢貧乏みたいな作り手たちをベースに議論をしていくべきだという気持ちが強くあります。果てとチークといいへんじは、作家が「当事者」であると明言していますよね。そこからは社会を変えようという強い気持ちを感じます。果てとチークは、「関係する団体への寄付先はこちらです」みたいな情報も当日パンフレットに載せています。そして、どちらの作品も上手い。そういう若手の劇団が出てきているのはいい変化だと思うんです。一方で、そのあたりのことに関しては上の世代が積み上げてきたことの結果が今の惨状なわけで、「いい変化」などといって外から評価することは許されないとも思います。上の世代として果たすべき責任、引き受ける責任についても考え、実践していく必要があると思っています。

『クワロマンティック』とは。いいへんじ・中島梓織が描く、親密な人間関係」を読む
いいへんじ『われわれなりのロマンティック』

丘田:性役割や先入観を問う作品という意味では、贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』の再演もありましたね。家事労働や妊娠 / 出産が当然のように女性のみの役割や問題とされてきた状態と、そこから男性と女性の立場が反転していく様が描かれているのがこの作品の特徴の一つです。この数年で、性や性差をめぐる問題や、妊娠 / 出産に対する社会の意識がどれくらい変わったのか、という意味でも興味深い再演でした。

贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』 / Photo:Kengo Kawatsura
https://youtu.be/RfR3Z_RrGU8?si=I9EU4GdXzuJAuB69
初演は2019年。女性の妊娠を機に変わる夫婦関係を、途中で男女が入れ替わる演出で巧妙に表現した。

ージェンダーやセクシャルマイノリティに関する演劇が増えてきた感覚があったんですが、そのような流れは2025年特に強まったものなのかが気になっています。

山﨑:これは演劇で完結する話ではないんですが、2020年ぐらいから、特にセクシュアルマイノリティ関係のことについて積極的に発信する20代の人たちが同時多発的に出てきました。

演劇に関しても、果てとチークやいいへんじを筆頭に、そういう同じ世代の空気を吸ってきた人たちの活躍が見えてきたのがこの数年なのかなと。ただ、ジェンダーやセクシャリティなんてすごく大きなくくりなわけで、本当はそういうテーマの作品が常に上演されているのが普通だとも思うんです。増えているように見えるかもしれませんが、私としてはまだまだ足りないと言いたいですね。

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