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ジャスティン・ビーバーに見る、アイデンティティポリティクスの「先」のヒント
いずれにせよグラミー賞とその周囲に広がっていたのは、「私たち vs 彼ら」の精神だった。「あちら側とこちら側」を切り分け、平行線を描くしかない主張を浴びせあうこと。昨年、ガザ問題で批判されたRadioheadのトム・ヨークがステートメントを出した際にも、「“us and them” mentality」という言葉を使っていたことを思いだそう。あるいは、Pink Floydの“Us and Them”で描かれた対立、LCD Sound Systemが“Us v Them”でヒプノティックなビートにのせて鳴らした景色を。
いま壁はそこらじゅうにある。それこそトランプ大統領が現実に建設しているように。「憎しみよりも強いのは愛だけだ」とバッド・バニーはスピーチしたが、問題は、「憎しみ」や「愛」といった感情を抱く以前に、私たちの あいだには先だって壁が存在していることだ。だからこそその先で橋を架けるにはどうすればいいのか、誰がそれをやるのか、ということが政治的に大きな課題になっている。
今回のグラミー賞からそんなことを感じつつ、なぜか脳裏に浮かびあがってきたのがジャスティン・ビーバーのことだった。自身のブランドSKYLRKのボクサーパンツとソックスのみを身に着け、文字どおりの意味でストリップトダウンしたパフォーマンスを見せた彼の出で立ちには、どこか批評性があった。ジャスティン・ビーバーには、バッド・バニーやケンドリックのように背負って表現するアイデンティティはないかもしれない。それゆえにそのさまは、根無し草として自身のR&Bを歌っている丸裸の姿だった。

『SWAG』に収録されているスキット“SOULFUL”でインフルエンサーのドルスキに「おまえのサウンドはブラックだ。おまえの肌は白だが、魂はブラックだ、ジャスティン」と言わせていたことはさすがにやりすぎだと感じたが、傷ついてボロボロになりながらも「R&Bのアーティストとして自分を認めてほしい」とじたばたとあがく姿には、2020年代以降、すなわちアイデンティティポリティクス以降のポップミュージックを考えるうえでヒントがあるように思えてならない。それは、借り物の音楽と仮初でしかない自身のアイデンティティをどう共鳴させていくのか、という問題に関するヒントだ。
初めに書いた多極化とは、ポストアイデンティティポリティクスの様相でもある。つまり互いのちがいだけを強調しあい、あらゆる差異のあいだに壁を乱立させ、「私たち vs 彼ら」の状況が細かく無限に仮構された状況だ。しかしその先で、2020年代以降は亀裂を縫合しなければならない場面が増えてきた。差異を認めながらも、わずかなものでも共通項を探し、点と点を繋ぎあわせ、部分的にでも共鳴していくこと。音楽文化、ひいては人間社会全体にこの先、希望を見いだそうとするのであれば、そんなことが重要になってくるのではないだろうか。飛躍しすぎかもしれないが、そういったことにまで考えが及ぶほどおもしろい受賞結果だったと思う。
第68回グラミー賞授賞式
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