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歌舞伎町は「不快、不便、治安悪い」。再開発で再野生化した唯一の街
―『BENTEN2』は「都市の再野生化」をテーマに掲げています。この「都市の再野生化」っていうのはどういう概念なんですか?
卯城:もとをたどると、2023年に王城ビルで『ナラッキー』(※1)という展示をやったとき、1ヶ月で1万8千人ものお客さんが来たんですね。不思議だったのは、あんまりアートの現場で見ないような若い人たちがたくさん来てたこと。Chim↑Pomのことも知らないで来るんですよ。その頃からトー横キッズや立ちんぼは社会問題になっていて、かつインバウンドも増えてきた。
『にんげんレストラン』(※2)をやったときには、近所で飛び降り自殺が相次ぎました。とある歌舞伎町のジャーナリストが言うには、やっぱり若い子たちを「安心」させすぎたんだと思うと。
※1:王城ビルとChim↑Pomが共同で開催したプロジェクト。テーマを「奈落」とし、歌舞伎超祭や歌舞伎役者・尾上右近、多くのミュージシャンらとのコラボレーションで作品を制作。それらが観客や演者らに利用 / 介入されることによって移り変わるという、パフォーマティブな展覧会だった。
※2:ホストが接客をする本屋「歌舞伎町ブックセンター」やカフェが入っていた歌舞伎町ブックセンタービルの建て壊しが決まり、ビルの最後のイベントとして開催された企画。
―ああ、「歌舞伎町は安心ですよ」と。
卯城:そう。でも当時の振興組合の理事長は、歌舞伎町は歓楽街だから「安全だけど安心できる必要はない」って言ってたの。それはそうで、そのジャーナリストは「警戒しないとやっぱりいろんなことが起きるんだよ。」と言ってました。そんなこんな、歌舞伎町に雑多なな人たちがどんどん来れるようになって、一方で問題が続発している話を都市社会学者の仙波希望くんとしてたときに、彼が「歌舞伎町はひょっとして再開発によって再野生化した唯一の街なのかも」って言ってて、それはあり得るなと感じたんです。再開発によって更に敷居が低くなったしね。でもね、そうなると、再野生化した街に来る人たちは、自分も再野生化しないと危ないんだってことでしょ。野生環境でペットは生き残れないから。それがポジティブな意味での個人への投げかけにするのはどうしたら良いか。そこにアートの価値はある気がするんです。
『BENTEN2』のテーマ「都市の再野生化」
「100年に一度」と称される大規模な東京の再開発は、劇的な改造を通じて街の秩序を強化する一方で、生物多様性や「都市の野生」を排除してきた。しかし、「夜の街」歌舞伎町は異質である。再開発と並行して、トー横や立ちんぼ、ネズミの爆発的増加、悪質ホストの問題など、さまざまな「不都合」が目立つようになった。
歌舞伎町は、東京で唯一、再開発を契機に「再野生化」している街だと言えるだろう。
さまざまな不幸が報道される事態である一方で、ここは戦後の闇市からアングラ文化、暴力の排除といった治安維持のいたちごっこに至るまで、常に制度の隙間を再生産してきた街でもある。資本を受け入れつつ狂乱化する、その底が抜けたような破壊衝動と開放性は、均一化する東京において稀有なアイデンティティを示し、皮肉にも最も賑わう街となっている。
「野生」の歴史と現在性を、奇しくも再開発と足並みを揃えて誕生した多くのBENTENの会場から検証してみたい。
*本テーマは、都市社会学者・仙波希望氏との会話を引用したものであるChim↑Pom from Smappa!Group (公式サイトより)
―再開発がむしろ「再野生化」を招いたと。実際、石原都政で新宿コマ劇場前がジェントリフィケーションされてから、今度はそこにトー横キッズが溜まりだしたときには驚きました。歌舞伎町には抜け出せない「悪い場所」性があるんだなと。
卯城:もともと歌舞伎町は沼だったらしい。だから隣の弁天公園には水の神である弁天様が祀られていて、街の聖地になっている。弁天様は芸能の神様でもあるし、湿った土地の文化的な特性にぴったりハマるようなエリアですね。
宇川:ジェントリフィケーションって宮台真司さんがいつも説明してくださる「快適、便利、安全」という都市環境のクリアランスじゃないですか。本来それらお膳立てが「安心」を生むわけですよ。でも、歌舞伎町って「不快、不便、治安悪い」でしょ?(笑) どこから安心のイメージが湧き起こるんだろう。この欲望と快楽を貪る荒々しい街に安心を覚える方が逆にサイケデリックだと思う。つまり歌舞伎町の側ではなく、日本社会の側が歪み切っているということです(笑)。
卯城:たしかに。
宇川:どんな環境下においても安心、つまり心の平穏は重要ですよね。もし若い人たちが歌舞伎町を「安心」だって思えるなら、逆に生活環境がどれだけ荒んでるのかってことでしょ?
そう考えると「安心」は居心地のよさ、つまりありのままの存在の受け皿なので、まさに歌舞伎町が飼い慣らされていない「野性の証明」を果たしてくれる場所であることは事実でしょうね。「野生」そし「野性」って、天然の血が通ってるかどうかが重要だと思うのです。人間行動の根源的な動機としての欲望や快楽の奥には、痛みも悲しみも苦しみも含んだ血の輝きと複雑なコクがある。だからこそここではリストカットと同じように、生きてるって実感を得られるんじゃないか。そのように荒々しく本能的な、さまざまな野性の受け入れを果たしてくれる歌舞伎町にいると「生きてる」と感じられるから「安心」なのかもしれないですね。
―池田さんは『バグスクール2024』(※)のキュレーターとして「野生の都市」をタイトルに掲げていました。「都市の再野生化」についてどう考えますか?
池田:バグスクールでは私が最初に複雑な展示構造を構想し、それをインフラに見立て、出展アーティストたちに応答してもらいました。また、会期中ではトーク、ワークショップ、パフォーマンスなどの参加型プログラムを頻繁に開催し、展示室内だけでなく街に出ていきました。たとえば出展アーティストのトモトシさんには「東京駅で終電を逃す」という開館時間を度外視したワークショップをやってもらったり。会期中ほぼ全日にわたって何らかのプログラムが行われ、さまざまな背景を持つ人たちが水平的に意見を交わしたり、交流したりする場になりました。
私はキュレーションを行う際、インドネシアで出会った「Exhibition As A Social Playground(社会的な遊び場としての展覧会)」という言葉を大切にしています。これは、キュレーションの対象をオブジェクト(作品)だけにとどめず、そこに集う人々やコミュニティ、さらには社会へと広げていこうという考えです。それは作品を選定し、伝えたい文脈のもと空間を演出するだけでは叶わないように思えます。
その意味で「野生の都市」では、ギャラリー内外を展示・プログラムをうまく併用することで、改めて都市のさまざまな側面をアーティストや来場者と一緒に目撃できました。
※グループ展と参加型プログラムを組み合わせたアートプロジェクト。インディペンデント・キュレーターの池田佳穂がBUGと協働で考案する。アーティストと学び合うなかで、有機的な作品購入体験も目指す。BUGの活動方針の一つであるキャリアの支援に基づき、作品販売経験の少ないアーティストにその機会を提供します。作品販売に関する書類作成や、価格やサイズの検討などのプロセスにも関わり、アーティストの活動の幅を広げる応援をしている。

池田:なので、私が「都市の再野生化」と聞いて感じるのは、都市で整備された制度や構造を受動的に享受するのではなく、能動的に応答していくのかということです。たとえ展覧会・芸術祭の形式になったとしても、アーティストのみならず、来場者も主体的に都市について考え、時には行動できる場にしたいですね。
