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NEWS EVENT SPECIAL SERIES

卯城竜太(Chim↑Pom)×宇川直宏×池田佳穂で語る、アートの現場としての「歌舞伎町」

2025.11.1

『BENTEN2』

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新宿から渋谷、また新宿へ。ユースカルチャーと盛り場の変遷

宇川:新宿で言うと、今回「状況劇場」の唐十郎さんの紅テントが出展してるのは象徴的ですよね。だって1960年代から1970年代半ばまで、新宿が一番エッジの効いた街だったわけでしょ。その後、渋谷に公園通りとか、まさにDOMMUNEのスタジオがあるPARCOができたことによって、高度経済成長のエクストリームなアングラ・サイケ・ハレンチのハプニングなエネルギーが、ニューウェーブへと浄化され、もうちょっと洗練されていくんです。

―1960~1970年代の新宿から1980年代以降の渋谷へという盛り場の変遷があると。

宇川:はい。そして、今は渋谷がジェントリフィケーションによって漂白され、ファミリーの街になりつつある。もはや現行のエッジーなオルタナティヴを世界水準で映し出し続けているのは、冗談抜きでPARCOだけです。もともとインターネットの普及とともに、1990年代末からゼロ年代にかけてオルタナティブの先端は渋谷から秋葉原に以降していました。闇市の時代から電子パーツやハードウェア等、テクノロジーを投げ売っていた歴史を経て、Windows95以降のWEB黎明期にはオタクの聖地と化し、一時期秋葉原にカオスの神が宿ったのです。2000年の『電車男』、2005年のAKB48劇場を経て、2010年iPhone台頭、SNS大衆化の時代が到来。自宅警備しなくともスマホというパソコンを持って街に出る時代が到来し、2014年のインスタの大衆化を経て、オタク勢力が弱まり、イッドガール復権、メディアではインフルエンサーが幅を利かせ、そしていまK-POPの時代が来たことで、改めて新宿のすぐ隣の新大久保が活気があふれている。つまり55年の時を経て、カオスの中心が新宿に戻ってきたってことです。同じ頃、歌舞伎町には「自撮り界隈」が変異してトー横キッズが溜まりだします。現代のフーテンですね(笑)。いまココです(笑)。

卯城:トー横キッズが生まれたのもコロナ禍でしたよね(※)。「トー横」の誕生と歌舞伎町界隈の新興アートシーンの誕生は、明らかにリンクしていました。

※2015年に新宿東宝ビルが歌舞伎町に開業し、周辺に若者が集まり始める。2018年以降、自撮りをする若者たちが「トー横キッズ」と呼ばれるようになり、彼らにまつわる社会問題もメディアで報じられるようになっていった。

宇川:ですね。ユースカルチャーの台風の目、その推移を1960年代から見てきている「文化気象おじさん」の身としましては、強度を増して戻ってきた暴風域が新宿、そして歌舞伎町かと。言ってみれば「状況劇場」が華やかりし頃、美術、映画、政治、演劇と、全ての極点が新宿にあったわけですよ。例えば大島渚は映画『新宿泥棒日記』を当時のインフルエンサーであった横尾忠則を主役として撮りましたよね。あれは横尾さんが紀伊國屋で万引きするシーンから始まるんです。トー横ならぬ、紀伊國屋キッズですね(笑)。社長の田辺茂一氏も本人役で出演していますが、氏は当時の新宿副都心推進のドンです。

そして高度成長を果たした日本はバブルに流れていく、その気配を都市が感じて、当時、台風は渋谷に移行していきました。当時の西武グループの代表堤清二の脱大衆化です。そしてネットカルチャーが大衆化する以前の1990年代は「渋谷自体がインターネット」といった役割で、アートもファッションもクラブカルチャーも、全ての情報がここに集積し、網羅し、更新して世界を牽引していました。いっぽう、その時代を横目に見つつも、もっとも生々しく無骨で野性味あふれ続けていた街が新宿でした。

―渋谷へトレンドが移行したがゆえに、新宿はむしろ野生的な場であり続けたんですね。

卯城:それで言うと、今回WHITEHOUSEの展示『生きられた新宿「Parallax City」』にリサーチで協力してる吉見俊哉さんが、新宿をかつての浅草に、渋谷をかつての銀座に当てはめていて、すごくわかりやすいと思った。僕が10代の頃、渋谷は日本の中心地って感じだったんですよ。ローカルではない、まさに「センター」みたいな場所。銀座も昔からそうじゃないですか。

でも浅草とか新宿って、いつまでたってもローカルというか。そのローカリティがいまの僕にはすごくフィットしてますね。この前、歌舞伎町のホストが小便くさい場所で「歌舞伎クセェ」って言ってたんですよ。そう捉えてるんだって(笑)。

宇川:逆に言うと、渋谷は宇田川クサくなくなってるのが問題ですね(笑)。僕は堤清二の精神(※)を一人で受け継いでPARCOの9階に籠城し、そこからDOMMUNEを発信してる。これから渋谷という都市がどう変貌していくのか、しっかり見届けたいと思ってますね。

※セゾングループの創業者で、西武百貨店はデパートの中に劇場や美術館を作り、渋谷の街を若者文化の発信拠点として打ち出した。結果西武百貨店の売上を日本一に導き、1980年代消費文化の時代を築いた。

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