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“愛のかけら”——個人的な言葉が、社会の様相をも捉える
―2曲目は“愛のかけら”。これもまた曽我部さんらしいロマンチックな曲です。
桜井:そうですね、メランコリックでね。世紀が変わって、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)があって、アメリカのアフガニスタン侵攻があったりと、ちょっとずつ不穏な空気が世界を覆っているころに出た曲ですね。
<愛のかけらが降ってる / 愛のかけらがぼくのうえに / いまはそれが見えない / 透明な雪のようで>というフレーズには、そうした社会の変化が歌われているような気がしていました。僕の思い違いかもしれないけどね。
―曽我部さんの歌における抒情性って、個人的な記憶や風景と結びつくこともあれば、社会で起きていることを描く中で叙情性が表れることもありますよね。ある種私小説的に捉えられたりもするけれども、それだけじゃない。
桜井:そうですね。私小説的なところと、一人称の語りだけど私小説的じゃないものと両方あるんだと思うんですよ。
―桜井さんは「MARUKU」(※)での曽我部さんとの対談の中で「おれ、私小説を書いてるつもりはないので。登場人物がたとえおれに似ていたとしても、そいつはおれじゃないです」ともおっしゃってますよね。
桜井:曽我部くんもそういうところがあるんじゃないですかね。小説って「一人称を使ったら作者本人」みたいに単純なものじゃないですからね。
※編註:桜井鈴茂が夫妻で営むノンアルコールやローアルコールのビールやワインなどを豊富に揃えるダイニングバー「MARUKU」、およびそのウェブサイトのこと
愛のかけらが降ってる
曽我部恵一“愛のかけら”
愛のかけらが街に
終わりのない季節
愛のかけらが降ってる
かたちのないなにかが
ぼくらのなかにあって
それは果てしない欲望
夜のように深く
宇宙も月も今日も過去も海も街も風も日々も木々も
どこか遠くわからないけど
愛のかけらが降ってる
愛のかけらがぼくのうえに