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なぜ曽我部恵一の言葉は、シンプルなのに情感豊かに響くのか。小説家・桜井鈴茂が語る

2025.11.26

#MUSIC

膨大な読書量、無数に書き綴られた創作ノートが支える曽我部恵一の言葉

―今回の『曽我部恵一展』を観て、どんなことを感じられましたか?

桜井:予備知識なく来たんですけど、展示の仕方がすごく手が込んでますよね。曽我部くんのことをそれなりに知っているつもりでいたけど、知らない言葉もたくさんあって、改めて活動量のすごさに感服しました。

あと、曽我部くんの作業部屋を再現したコーナーも見どころのひとつですよね。本棚にはドストエフスキーやボラーニョもあったし、ノンフィクションや評論もあった。曽我部くんはとにかくすごい量を読むんですよ。初めて曽我部くんの部屋に行ったとき、驚きましたもんね。うわっ、すげえって。

僕なんかは読む範囲が決まってるんですけど、曽我部くんはそのレンジが広い。音楽の聴き方もそう。懐が深いっていうか、キャパが広い。どんなレコードにもよさを見いだせるんですよね。かっこいいと思える範囲がめっちゃ広いんです。

曽我部恵一の作業部屋を再現した展示コーナー

―今回の展覧会ではこれまで発表された楽曲の創作ノートもたくさん展示されていて、筆致から曽我部さんが歌詞を書いているときのテンションが見えてくるような気もしました。桜井さんも曽我部さんのようにアイデアを創作ノートに書きためているのでしょうか。

桜井:いや、俺はほとんどメモらないですね。一応ノートを持ち歩いている、というぐらいで20年間で5冊ぐらい。

―創作ノートを表に出すことって創作の種明かしみたいなところもありますよね。そういうものを外に出す抵抗感はありますか?

桜井:めちゃめちゃある。もし今回みたいな展覧会があっても僕は出さないね。「創作ノートなんて持ってません」っていう(笑)。僕は機織り鶴みたいなもんで、人が見てるところでは書きたくないし、その姿を見せたくないですね。

何度も書き直し、推敲の跡を生々しく残した曽我部恵一の創作ノートは本展の見どころのひとつ
発想や視点が一見しては無軌道に、だが、歌・音楽というひとつの着地点を目がけて書き連ねられていく過程に触れられる。サニーデイ・サービス“セツナ”の原型となったと思われる、「ねぇ 今日もいつものところで待ってて 刹那の恋人」の一節も

―創作ノートを見ていると、曽我部さんの精神の浮き沈みみたいなものも見えてくるように感じました。これまで曽我部さんに接する中で、創作活動に対する意識の変化を感じたことはありますか。

桜井:ソロの『超越的漫画』(2013年)を出したあたりで、「ちょっと違うことをやり出したな」と感じていました。違うことというか、「今まで書いてないことを書き出したな」って。

『超越的漫画』に入ってる“バカばっかり”とかね。ああいう否定的ことはそれまで言わなかったじゃないですか。“もうきみのこと”では<もうきみのことは好きじゃないから>と歌ってたりね。

曽我部恵一“もうきみのこと”を聴く

―確かにあのころ曽我部さんが歌い出したものにびっくりした記憶があります。それまで曽我部さんが書いてきたものを曽我部さん自身が一回壊し、新しく作り直そうとしている感じがしました。

桜井:僕もそう思ってました。プライベートでお酒を飲みながら話していると、結構否定的なことや批評的なことも言うんですよ。当然社会のことも考えているし。だけど、曲にはそういう面があまり出てこない。僕はそのことに少々もどかしさを感じているところがあって。でも、2012、3年あたりから出してきたなと思って、なんか嬉しかったですね。

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