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ヘルシンキ橋本薫がソロで掴んだ自分のリズム。迷いも遠回りも抱えて鳴らす音楽

2025.11.22

橋本薫『日記』

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気づけばバンドで10年超。迷いも葛藤も積み重ねたら確かな説得力になった

2013年に結成したヘルシンキは13年目を迎えようとしています。以前、とある有名バンドのボーカルの方が初めてレーベルと契約して当時の物価で毎月20万円の給料をもらったときに「やっていけるかも」と感じた、という話をインタビューで読んだことがあります。橋本さんがHelsinki Lambda Clubとして「やっていけるかも」と思えた瞬間はありましたか?

橋本:ちゃんと「続けていけるんだろうな」と感じられたのは、10年を過ぎてからなので、本当にここ最近なんですよ。20代の頃は自信があるようで自信がなく、セールスもうまくいかないし、メンバーのこともいろいろあって、「やりたいけど、どうやって続けていけばいいんだろう」と悶々とすることが多かったです。

橋本:でも10年続いたという事実を一度受け止めてみたときに、「10年続けられたんだよな」と思えたんですよね。自分の才能を疑ってしまいそうになることもあるけど、「好きだ」と言ってくれる人が確かにいるということに改めて気づけたんです。自分の中から湧く感情というより、積み重ねてきたデータみたいなものを見て思う感覚。「不安になってもしょうがない、不安なままでも続けてこられたんだし」と思えるようになりました。

明確に「これだ」という瞬間があったわけではなくて、山を登っていて、ふと振り返ったら「こんなに登ってたんだ」と気づくような感覚みたいなことですかね。

橋本:そうそう。自分たちのバンドの歩みは決してわかりやすいものではないかもしれない。それは、自分自身をちゃんと理解できていなかったからで、自分の特性をうまく把握できていなかったことが、プラスにもマイナスにも働いた。もっと自分を理解できていたら、リスナーにも仲間にも、よりまっすぐな形で向き合えたのかもしれません。でも、そういう遠回りも含めて、今の自分につながっているんだと思います。

ヘルシンキとして紆余曲折あったということだと思いますが、音楽を仕事にしていく中で、理想や夢はどう変化していきましたか?

橋本:現実と理想のあいだを行き来しながら、その距離感や憧れが少しずつ変わっていきました。音楽が仕事になっていく中で、日本のバンドをロールモデルに設定しても、自分たちの立ち位置や状況によって、思うように理想に近づけないこともあった。本音では、「あのバンドみたいになりたいな」とか、「もっとセールスの数字が伸びてもいいのにな」みたいな気持ちを抱えることもあったんです。

特に20代の頃は「デカい夢を持ちたい」という気持ちがすごく強かったから、行き詰まった時こそ逆に、もっと遠い存在、例えば海外のバンドとか、自分とはまったく違う環境のアーティストを意識するようにだんだんなっていったんです。

なるほど。なんで日本のバンドって、海外のバンドの話をするんだろうって、ずっと不思議だったんです。影響を受けてるのは分かるけど、なんか腑に落ちなくて。でも、普通に会社で働いていても、現実的に達成できそうな120%くらいの目標を会社に設定されると思うんです。それにだんだん嫌気が刺してくると、自分とは関係ない遠くの存在や場所に想いを馳せることってありますよね。

橋本:セールスにはどうしても数字がつきものだから、自分の思い描く通りにやっても、結果に落ち込むことはある。若い頃は特に、一つの行動で大きく世界が変わるんじゃないかと思ってた節があったんだと思います。

アルバムを出すたびにありがたい反応もある一方で、期待した反応がないこともあった。その繰り返しが積み重なって、「どうせいいものを作っても何も変わらない」とふてくされそうになることもありましたけど、今年になってそれは完全になくなりましたね。ソロを作ったことで、結局は積み重ねしかないと実感したんです。

一発で何かを変えるより、続けていくことに意味がある。やりたいことをやっているという積み重ねが最終的に説得力になるし、共鳴する人との関係も強くなる。だから今は、評価に振り回されず、ただ続けるしかないなっていい意味で割り切れてます。

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