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村社会的側面が残るからこそ、民俗学的精神が重要に
―秩父は秩父事件(※)で知られる民衆革命の地でもありますよね。笹久保さんみたいな音楽家が秩父から出てくるのも必然だと思うんですよ。
笹久保:確かに秩父にはそういうスピリットを持った人が多いと思いますね。反骨心があるというか、東京にクロスカウンターを食らわしたいと思っている人たちが各業種にいる。
ただ、みんな反骨心もあるし、秩父のことを考えてるんですけど、よくも悪くも我が強くて、気性が荒い(笑)。やっぱり山村農民的な感覚があるんじゃないですかね。田んぼをやる人たちの平和な感じとは違う、山の民的な気質がある。
※筆者註:明治17年(1884年)、秩父の農民と士族が政府に対して起こした武装蜂起事件のこと。

―その気質は『秩父の夜祭』のような祭りを通しても感じられます。
笹久保:そういう気質はどうしてもありますよね。秩父といっても広いですし、奥のほうまで行くと、僕ですら壁を感じます。まあ、ヒップホップの世界と一緒かもしれない。「どこ地区のやつらと俺らは違う」という村社会的なものはいまだにあります。
―笹久保さんは秩父出身ですし、現在も秩父に住んでいるわけですが、一方では秩父を乱暴にレペゼンするのではなく、あくまでもコミュニティーの部外者として各地域に入っていきますよね。そのスタンスがとても大事じゃないかと思います。
笹久保:そうですね。アンデス同様、彼らになることはできないので、あくまでも僕は「同期して記録する」というスタンス。そうじゃないとやっぱり誤解が生まれます。
―ちなみに、笹久保さんの中にも「俺は東京じゃないんだ、秩父の人間なんだ」という意識はあるのでしょうか。
笹久保:以前はありましたね。それこそ『PYRAMID 破壊の記憶の走馬灯』を作っていたころは。今はそういう野心みたいなものもなく、落ち着いて自分の音楽をやりたいだけです。
