秩父山地に囲まれた埼玉県西部・秩父地方。歴史的事件の舞台にもなってきたこの地では、数々の祭祀や呪術的な民俗信仰が継承され、特異なエリアとしても知られている。
この秩父を拠点にしてユニークな活動を続けているギタリストがいる。それが笹久保伸だ。秩父出身の笹久保は21歳からの4年間ペルーのアンデス地方に住み、現地のフォークロアをリサーチしながらギターの腕を磨いてきた。帰国後はふたたび秩父へと戻り、同地の信仰や民俗文化を調査しながら創作活動を続けている。
時にはギターを背負って断崖絶壁をよじ登り、時には修験道の聖地で数時間にわたりギターを弾き続け、時には湧水の流れる音に耳を澄ませ、時には山奥にこもって自然と同化する。その姿はまるでギターを持った修行僧のようでもある。
そんな笹久保はコロナ禍以降、年に数枚という凄まじいペースで作品をリリースし続けている。しかもサム・ゲンデル、ジョアナ・ケイロス、カルロス・ニーニョ、ファビアーノ・ド・ナシメント、アントニオ・ロウレイロ、フロレンシア・ルイスなど、いずれも現代を代表するミュージシャンたちとのコラボレーション作ばかりだ。
実に44枚目のアルバムとなる最新作『Echo Botánico』では、秩父各地でのリサーチや瞑想体験が色濃く反映されている。この音の前では、もはやクラシック~ミニマル音楽~アンビエント~フォルクローレというジャンル分けすらも意味をなさないだろう。
秩父という周縁の地に住みながら、誰もが共演を望む世界各地の気鋭ミュージシャンたちと音を奏で続ける笹久保。なぜ彼は世界と直接繋がることができたのだろうか。秩父民俗学を背景にしながら、唯一無二の活動を展開する笹久保に秩父でインタビューを試みた。
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秩父出身のギタリスト。2004年から2007年にかけてペルーに在住し、アンデスの農村で音楽採集調査しながら演奏活動をおこなう。ギタリストとして、イタリア、ギリシャ、ブルガリア、キューバ、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルーでソロ公演。2021年以降、リオデジャネイロ生まれのギタリスト、ファビアーノ・ド・ナシメントと大磯のスタジオ「SALO」でレコーディングしたコラボレーション作『Harmônicos』(2024年)をはじめ、世界各地と作品を発表。2025年11月2日には、44作目となる『Echo Botánico』をリリースする(音源を聴く)
サム・ゲンデルらとの共作の背景にある、秩父の呪術的な民俗信仰からの影響
―笹久保さんが世界各地のミュージシャンとコラボレーションするようになったのは2021年6月のアルバム『Chichibu』からですよね。あの作品にはサム・ゲンデルやジョアナ・ケイロス、アントニオ・ロウレイロなどが参加していました。
笹久保:コロナ禍はああいう作品を作るのが今より楽だったんですよ。ミュージシャンもみんな時間があった。今はツアーやレコーディングで忙しくなってしまって、前みたいにはできなくなってしまいましたね。僕はコロナの時代に救われたんです。自分も変われたし、新しい発想もできるようになりました。

―以降、1年に3枚前後のペースで新作をリリースしていますが、ファビアーノ・ド・ナシメントとの『Harmônicos』(2024年12月)など以外は、ほとんどがオンライン上のやりとりのみで制作されていますよね。
笹久保:そうですね。『Energy Path』(2024年7月)を一緒に作ったカルロス・ニーニョ(※)とも直接会ってないんですけど、やりとりするなかで「自分の深い部分を探究するんだ」みたいなことを言われて。彼の言葉からはものすごく影響されました。彼は特別な超絶技巧みたいなことをするわけではないのですが、変な主張をすることなく自然に相手を導くような、不思議な存在感があります。
カルロスの存在はやっぱり重要なんです。そういう一つひとつのコラボレーションの影響が今に繋がっている感覚、各共演者からの偉大な教えがあり、それらは今の自分の支えでもあります。音楽的な影響、精神的な影響の両方です。
※筆者註:ロサンゼルスを拠点とするプロデューサー、パーカッショニスト。カマシ・ワシントンやAndré 3000(Outkast)らとの共作で知られるほか、Openness Trioなど複数のグループでも活動する。
―新作『Echo Botánico』の資料には「2010年代以降、笹久保伸は秩父で民俗・文化人類学的な調査を独自におこない、秩父の環境問題などにフォーカスしながら音楽を作り続けてきた。その過程で芸術や表現といったものに根本的な疑問を抱くように」という一文が書かれていますが、「根本的な疑問」とはどのようなものだったのでしょうか。
笹久保:音楽をやっているといろいろな目的が生まれてくるわけです。初歩の段階では「コンサートにお客さんが来てくれるような曲をやらないといけない」とか「集客しなきゃいけない」という目的があり、そのあとに自分のアイデンティティーや方向性を考えるようになる。僕も以前そういう段階があって、秩父の環境問題について考えたり、それに対する怒りをモチベーションにして作品を作っていました。
―たしかに『秩父遥拝』(2014年)や『PYRAMID~破壊の記憶の走馬灯』(2015年)など10年ほど前の作品には、秩父の現状に対する笹久保さんの危機感が色濃く反映されていました。
笹久保:あのころは消えかけている秩父の機織り唄や木挽き唄を、なんとか救出したいと考えてたんです。自分が救世主になって歌い継ぐ必要があると考えていた。でも、今思えばそれもエゴかもしれないですよね。
笹久保:世の中を変える音楽も必要かもしれないし、当時はそういうことを目指していた部分もあるんですけど、そこから少しずつ変わっていったんです。例えば、秩父で民俗的な風習などを記録していると、時たま感動的なシーンを目撃するわけですよ。
―今年の夏、笹久保さんと浦山集落の川施餓鬼にお邪魔しましたが、あれは本当に凄まじかったです。
笹久保:川施餓鬼(※)でも太鼓やさまざまな人の声が夜の河原で重なり合うわけですが、音楽なのかどうかもわからない呪術的なものに触れたとき、僕は感動するわけです。でも、そこで楽器を鳴らしている人たちは誰も自己表現をしようとはしていない。むしろ無心だと思うんです。
※筆者註:浦山の川施餓鬼のこと。毎年8月16日、浦山昌安寺に程近い浦山川の河原にて行われる。水死者やお産で亡くなった女性を弔うとともに、疫病退散を願う行事。夕方から昌安寺にて獅子舞が奉納された後、花笠などによる行列をなして河原へ向かう。

―そうした音に触れたときの「感動」とは、もう少し具体的に言うとどのような感覚なんでしょうか。
笹久保:「土地と同期した音」ということですね。川施餓鬼にしても1年のうち限られた日だけに集まり、その日にしか演奏しないわけじゃないですか。溜め込んだエネルギーを祭りの日に発散するわけで、それってすごいことだと思うんですよね。自分は音楽を生業にしている人間だけど、そこから考え直すべきこととか、学ぶことがあるなと思ったんです。
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「エゴ」や「憧れ」から離れることが、優れた音楽の出発地点
―演奏者のエゴのない音楽ということでしょうか。
笹久保:そうですね。10代や20代ならまだいいとは思うんですよ。「こんな難しいことをやってるぜ」「こんな新しい音楽をやってるぜ」という自我が前面に出ていても。つい先週、ファビアーノとも話してたんですけど、僕らの年代でそれをやるのは違うだろうと。「もっと落ち着いて、自分たちのやるべきものをやろう」ということは彼も言ってました。
僕自身も「こういうものをやったら売れる」というような他の目的に支配された音楽をやるんじゃなくて、エゴから離れて土地と同期した音楽をやろう、そういうことをさらに考えるようになりました。

―先にも触れた新作の資料にはこんなことも書いてあります。「そもそも言葉にできない世界を担う音楽の領域において音楽について言葉で説明し続けることに絶望し、表現を捨て記録者というスタンスから制作を続けてきた」と。「記録者」という意識はいつごろから芽生えてきたのでしょうか。
笹久保:武甲山(※)を写真や映画に撮っていたころから「記録」という概念は意識していました。僕は映像を撮るときも「あくまでも『僕自身』が記録している」という感覚があるし、秩父という土地からインスパイアされてアルバムを作るという行為もまた記録だと思うんですよ。身体の記録が表に出たものというか。
※筆者註:秩父地方の総社である秩父神社の神奈備山であり、秩父のシンボル。明治期より武甲山で石灰石の採掘が始まり、現在も山のシルエットが大きく変貌するほどの大規模な採掘が続いている。笹久保はこの山をテーマに『PYRAMID 破壊の記憶の走馬灯』(2015年)などの映像作品を監督している。

―フィールドレコーディングの作家が何らかの環境音を録音するとき、その作家の主体性が音に何らかの影響を与えるように、記録者である笹久保さんの身体性がどこかに反映されていると。
笹久保:そうですね。ただ、どのジャンルのミュージシャンでもやってることは同じだと思うんですよ。誰もが記録者的な要素があるし、音楽家自体が記録者であるとも思います。
例えば、このあいだ亡くなったエルメート・パスコアールにしたってブラジルという存在そのものだったりするわけじゃないですか。ブラジルの記録というか、エルメート・パスコアールという人自体が記録媒体みたいな感じがする。
ラッパーもそういう感じがしますね。僕の好きな2Pac(※)の楽曲なんか完全にその時代の記録ですしね。だから日本で彼の真似をしても、どうも違う。それは服や言葉が違うというより、そこに記録されたものが反映されているかどうかということだと思います。
※筆者註:笹久保は2024年5月に2Pacのトリビュート作品『Human Poetry – A Tribute to 2PAC』を発表している。この作品は笹久保が少年時代から愛聴していたラッパー、2Pacの名前が最後のインカ皇帝であるトゥパク・アマルから取られていることにもインスパイアされている。
―笹久保さんはかつてアンデスに住み、現地のフォルクローレを学んでいたわけですが、当時はどのような意識のもと、現地の文化を記録していたのでしょうか。
笹久保:もちろんアルゼンチンやブラジル、ペルーの文化には憧れもありましたよ。でも、何年住んだとしても、決して現地の音楽家のようにはなれない。見た目とかの問題ではなく、土地と同期しきれないんですよ。
アンデスにいたころは「現地の人たちみたいになりたい」と思っていたけど、やればやるほどなれないことに気づいていくんです。でも、誰もが自分がそのままでいられる音楽ってあると思うし、それを探していくしかない。当時からそう感じていました。
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笹久保伸は秩父の魔術性と、どのように「同期」しているのか

―笹久保さんは秩父の山奥に入り、民俗的風習などのフィールドワークを重ねていますが、山にはふだんひとりで入るのでしょうか。
笹久保:ひとりで行くこともあるし、友達と行くこともあります。民俗学のフィールドワークのときは撮影機材を持っていきますが、音楽を作るときはギターを持って山に入ります。ギターを何時間も弾いていると、うまく同期できる瞬間があるんですよ。同期できたとき、メロディーやフレーズが浮かんでくる。それをスマホに録音しておいて、あとで譜面に書いて曲にします。
―じゃあ、最初は無心で弾き続けるわけですか。
笹久保:その土地と同期するためにひたすら弾きます。といっても2、3時間ぐらいですけどね。それが本当に楽しいんですよ。風で枝や葉が揺れる音とか、いろんな音が聞こえてきて、少しずつ同期していくんです。音楽を弾いているだけなのに祈りの本質みたいなことを考えてしまうんです。自分自身が石仏になったり、仏になってしまう。
―その行為自体、ある種の瞑想みたいな感じもしますね。
笹久保:そうですね。僕が行くところは、もともと修験道(※)の修行場だったりするわけですよね。そういう場所でかつての修験者はお経を唱えていたわけですけど、同じ感覚になります。奉納演奏をしている感覚というか。
※筆者註:古来からの山岳信仰をベースとし、密教や陰陽道などが習合して形成された宗教の一種。秩父は熊野の修験道から強い影響を受けており、秩父三社のひとつに数えられる三峯神社の開山には熊野修験が深く関わったとされる。

―そうしたフィールドワークを繰り返す中で見えてきた秩父世界の特徴とは、どのようなところにあると思われますか。
笹久保:やっぱり音楽家としてはインスパイアされるものがある場所だと思いますね。秩父の信仰的なルーツである熊野にもたまに行きますけど、やっぱり似たものがある。このあいだ法性寺(※)の観音堂で演奏をしましたが、あそこもすごいところですよね。法性寺は秩父札所の32番ですけど、31番の観音院には即身仏の墓があるんですよ。そういうところなんです。
僕はもともと世の中で言われているスピリチュアルみたいなものとかけ離れているところにいた人間なわけで、年商何億円というとんでもない企業の経営者とかが集まる「スピ」系のセミナーみたいなものには全然興味がない。でも、秩父に住んでいると、違う意味でのスピリチュアルは身近なものでもあるわけです。
ある儀式にいくと、魔術的なものを感じるわけで、それって音楽の大きな要素でもあると思うんですよ。それを少しでも感じ取りたくて、その場所に行くんです。あそこで演奏していた人たちを都心のホールに連れてきて演奏してもらっても、同じものにはならないんです。
※筆者註:奈良時代に創建された曹洞宗の寺院。秩父34か所の観音霊場は「秩父札所三十四観音霊場」と呼ばれており、法性寺は第32番の秩父札所とされている。2025年10月に笹久保が奉納演奏をした観音堂は1707年に建立されたもの。

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村社会的側面が残るからこそ、民俗学的精神が重要に
―秩父は秩父事件(※)で知られる民衆革命の地でもありますよね。笹久保さんみたいな音楽家が秩父から出てくるのも必然だと思うんですよ。
笹久保:確かに秩父にはそういうスピリットを持った人が多いと思いますね。反骨心があるというか、東京にクロスカウンターを食らわしたいと思っている人たちが各業種にいる。
ただ、みんな反骨心もあるし、秩父のことを考えてるんですけど、よくも悪くも我が強くて、気性が荒い(笑)。やっぱり山村農民的な感覚があるんじゃないですかね。田んぼをやる人たちの平和な感じとは違う、山の民的な気質がある。
※筆者註:明治17年(1884年)、秩父の農民と士族が政府に対して起こした武装蜂起事件のこと。

―その気質は『秩父の夜祭』のような祭りを通しても感じられます。
笹久保:そういう気質はどうしてもありますよね。秩父といっても広いですし、奥のほうまで行くと、僕ですら壁を感じます。まあ、ヒップホップの世界と一緒かもしれない。「どこ地区のやつらと俺らは違う」という村社会的なものはいまだにあります。
―笹久保さんは秩父出身ですし、現在も秩父に住んでいるわけですが、一方では秩父を乱暴にレペゼンするのではなく、あくまでもコミュニティーの部外者として各地域に入っていきますよね。そのスタンスがとても大事じゃないかと思います。
笹久保:そうですね。アンデス同様、彼らになることはできないので、あくまでも僕は「同期して記録する」というスタンス。そうじゃないとやっぱり誤解が生まれます。
―ちなみに、笹久保さんの中にも「俺は東京じゃないんだ、秩父の人間なんだ」という意識はあるのでしょうか。
笹久保:以前はありましたね。それこそ『PYRAMID 破壊の記憶の走馬灯』を作っていたころは。今はそういう野心みたいなものもなく、落ち着いて自分の音楽をやりたいだけです。

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笹久保伸がジャンルの枠を超えて手を伸ばす、音楽の呪術的要素
―新作には日本語で「植物的響き」という意味を持つ『Echo Botánico』というタイトルが付いていますが、今回はどのような意識のもとで制作されたのでしょうか。
笹久保:ジョアナ・ケイロスと作った『Picture』(2023年2月)からの流れが続いているような感覚はあります。あのアルバムはさっき話に出た呪術的風習を体験したことがきっかけになっているんですよ。
獅子舞の歌や囃子、お経などいくつもの音がずれて聞こえてきたり、普段混ざり合わないものが重なる瞬間がすごくおもしろいなと思って。そこから僕の持っている感覚と彼女の持っているブラジルの感覚を重ねるというアイデアが生まれてきました。
―『Picture』と『Echo Botánico』はコンセプト的な連続性がある、と。
笹久保:そうですね。あと、ギターのフレーズも連続してるんです。まったく同じではないんですけど、『Picture』で作ったフレーズに近いものを今回も弾いているし、『Energy Path』にも入っているんですよ。
モザンビークのパーカッション奏者であるマチュメ・ザンゴとやった『Kalamuka』(2025年4月)でもジョアナ・ケイロスとやっていたときと同じフレーズを使ってます。例えば、このフレーズです(とギターを奏でる)。
―今弾いていただいたのはナチュラルハーモニクス(※)のフレーズですよね。ここ最近の笹久保さんの作品にはメロディーよりも音の響きを重視しているように思えるのですが、今のフレーズにもそうした傾向を感じます。
笹久保:そこはあまり意識していないかもしれないですね。自然と同期していたら、こういうフレーズが出てきたんです。
ハーモニクスの音をミニマル的な発想で弾くと、どこか呪術的な雰囲気が出てくるような気もしていて。もしかしたら1970年代にテリー・ライリーあたりがもっと面白いことをやっていたかもしれないけど。
筆者註:通常のようにギターの弦を押さえるのではなく、軽く触れた状態で弦を弾くことで、倍音の原理を利用した高音を奏でることができる。

―今回のアルバムにはここ数年笹久保さんが取り組んできたさまざまな試みが一気に流れ込んでいる感じもするんですよ。『Picture』や『Energy Path』のミニマルな指向もあれば、今年4月に出たアンデス音楽集『Layqa Taki』のメロディー感覚を経由した跡も窺えます。
笹久保:確かにいくつかの流れをまとめたような感覚はありますよね。それを『Picture』や『Energy Path』のようなコラボレーションではなく、ひとりでやったということだと思います。まとめるとしたら、ひとりでやらないとは思っていました。誰かとやったらまとめにならなかっただろうし。
―このタイミングで「まとめたい」という気持ちが浮かび上がってきたのはなぜだったのでしょうか。
笹久保:タイミングはあまり関係なくて、結果的にそうなったということかもしれない。コラボレーションはこれからもやりたいですしね。
僕は割と吸収タイプで、一緒にいる相手と同期できる。それは昔からそうなんです。2018年からmarucoporoporoさん(※)というアーティストと演奏や制作をして、何作か一緒に作ったのですが、彼女もどこか魔術的・呪術的なを世界観を持っていて、霊力みたいなものがある。彼女はすごくおもしろいですよね。共作して大きな影響を受けました。
筆者註:愛知県在住の音楽家。2018年には秩父の山村にある廃墟でフィールド録音した作品『Ruin』をリリース。2022年にはアルバム『GORGE』を共作している。笹久保伸『Chichibu』収録“Lilium (feat. marucoporoporo)”を聴く(YouTubeを開く)

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民俗学とスピリチュアルの曖昧な境界に分け入り、掴みつつある感覚
―笹久保さん自身、魔術的・呪術的なものにどうしても惹かれてしまうんですね。
笹久保:そうですね。ただ、みんなそういう霊力みたいなものに気づき始めてる気がするんですよ。例えば、バリバリのサックス奏者だったシャバカが最近のアルバム(2024年作『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』)でいきなり尺八を演奏していたり、André 3000が『New Blue Sun』(2024年)でインディアンフルートを吹いていたり。
その現象って何なんだろうなと思っていて。僕はもともとそちら側だし、彼らが近づいてきてるような感じもしていて(笑)。彼らが目指しているスピリチュアルのこととか、僕も自分なりに探求してる知ってるから話してみたいんですよ。
さっきの話じゃないけど、彼らも「自我からの脱出」を目指しているような気がするんですよね。それは社会の変化を表しているのかもしれないけど。

―呪術的なもの・オカルト的なものって今人気ですよね。それはなぜだと思いますか。
笹久保:流行ってますよね。以前はそんなものはどうでもいいやと思ってたんですけど、精神を高めたいという意味では僕とそんなに変わらないかもしれない。いわゆる「スピ」なものに関心がある人たちは秩父の奥地の祭りには来ないですよね。僕はセミナーに100万円も払えないので、洞窟に行くだけであって。
―そんな時代に『Echo Botánico』のようなアルバムが出ることも必然性があるような気がするんですよね。今回の曲名には「メビウスの輪」という言葉がついているものがいくつかありますが、秩父の山の中に入ると、多くのものが循環していることに気づかされます。循環していないのは山肌を無断に削り取られた武甲山だけであって。
笹久保:そうそう、非自然的ですよね。人間の手が入ると循環しなくなるんです。循環を乱しているのは、人間のエゴですよ。

―自己表現から離れた音楽というのは、非自然的な人間のエゴから離れたものでもあるということなのでしょうか。
笹久保:それもありますね。でも、いきすぎると作品を作らなくなるような気もしているんですよ。今は年間3枚とかハイペースで作品を作ってますけど、本当に悟ってしまうと作らなくなっちゃうような気がして、それに対する恐怖心もちょっとあります。
今はまだ社会と繋がっていたいと思いますけど、たとえ録音物として作品を作らなくても、自分自身のなかでは山奥でギターを弾いているだけで完結しちゃうんですよね。
―山奥にこもってギターを弾いていれば、毎回新しい曲ができるわけで、それで満足しちゃう。
笹久保:そうなんです。そういう場所で弾いていると一番気持ちいいですし、そうなりかねない。今はまだ作品を作ったり、コンサートで演奏することへの欲求とモチベーションもあるので、それがあるうちは続けていきたいです。コンサートもお客さんとの「同期」だと思うんです。お客さんとのチャンネルとバイブスが同期する瞬間ってありますし。

笹久保:あと、たとえ東京で演奏するときも僕自身は秩父のいつもの場所と同期しています。アイデンティティーを持っているというのは、自分が同期する場所を持っているということでもあると思うんですね。東京にいようが、ロサンゼルスにいようが、僕はいつも秩父と同期している。民族音楽の音楽家はみんなそういう場所を持っていると思う。
―だからこそ、いろんな音楽家とも共演することができる。
笹久保:そうそう。同期できる場所がなくなってしまうと彷徨ってしまうと思うんですよ。そういう場所を持っているのが一番大事じゃないですか? それがなかったら表面的で、どこでもいいものになってしまう。
同期できる場所を持つということ、自分に芯を持つということ、意識を高めるということ……いろんな言い方ができると思いますけどね。僕はいつもの場所でギターを弾いているときは巨木と一体になっているし、川そのもの、あるいは武甲山そのものになっている。そうすることで自分のエゴを超えたいんです。

笹久保伸 『Echo Botánico』(LP)

2025年11月2日(日)一般発売
レーベル:Chichibu Label
定価:4,400円(税込)
Chichibu 021.
[SIDE-A]
1. Echo Botánico I
2. Echo Botánico II
3. Echo Botánico III
4. Echo Botánico IV
5. Echo Botánico V
[SIDE-B]
1. Echo Botánico VI
2. Echo Botánico VII
3. Echo Botánico VII
4. Echo Botánico IX
5. Echo Botánico X
『Echo Botánico Vol.44 New Album Release Live 2025』

2025年11月4日(火)
会場:東京都 晴れたら空に豆まいて
開場:18:30 / 開演19:30
料金 3,500円 / 4,000円(要ドリンクオーダー)
予約:03-5456-8880(晴れ豆)
『Newアルバム発売記念「新作レコード・リスニングパーティー」』
2025年11月8日(土)
会場:埼玉県 Esquina(秩父市熊木町15-2 KMGビル 2F)
選曲:原雅明、TETONE、メガネとネイビーと白、Chihiro
時間:17:00
料金:3000円(要ドリンクオーダー)
予約:esquina.kmg@gmail.com