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『フランケンシュタイン』を通してデル・トロが現代に問う。憎悪の連鎖を断ち切ること

2025.10.27

#MOVIE

人は他者の罪をどこまで追いかけるのか。罪をどこまで罰すれば復讐は終わるのか

デル・トロは自らの『フランケンシュタイン』を、ホラー映画でもモンスター映画でもなく、ほとんどシェイクスピア劇のようなタッチで、世代を超えた悲劇の反復、あるいは恐怖の再演として描いている。父親の激しい教育により抑圧された息子は、同じように「出来の悪い」息子を抑圧し、虐待する。また、ヴィクターと怪物、エリザベスの三角関係も、母=妻をめぐって対立する父と息子の関係性を思わせるだろう。

かくして暴力と憎悪は連鎖し、ヴィクターと怪物はさまざまな道理や倫理をなぎ倒し、周囲をことごとく傷つけながら対立する。もとよりヴィクターは生命倫理をかなぐり捨てて「創作」に邁進した男であるし、息子である怪物は生まれながらにして憎まれ、見知らぬ人々にも暴力の対象とされてきたのだ。彼らはアウトサイダーだが、同時に純粋な魂の持ち主でもある。それゆえに激しい執念のもと、破壊的な追跡劇を続ける。

けれども作り手であるデル・トロは、どうにか2人のアウトサイダーを救い出そうとする。ヴィクターの狂気を解毒し、怪物の怒りを醒ます方法とはなにか。物語は狂気のボルテージを極限まで高めたあと、「罪」と「赦し」のドラマへと転化する。

人は他者の罪をどこまで追いかけるのか。その罪をどこまで罰すれば復讐は終わるのか。ヴィクターと怪物による個人的な睨み合いの果てに、こうした現代的なテーマが立ち上がるとき、デル・トロ版『フランケンシュタイン』はほかでもない現在の憎悪と戦争を照射する。

そもそもデル・トロは、全編を通じて「戦争」と「創作」のイメージを周到に敷きつめていた。本作の怪物は、クリミア戦争の影響下において、戦死した人々の肉体で構成され、武器商人が戦争で稼いだ資金によって生み出された。すなわち、憎しみと暴力を生まれる前から身に宿しているモンスターなのだ。

そんな怪物=創造物が、いかにして世代を超えた憎悪の連鎖を内側から断ち切ることができるのか。戦争の時代、人々があらゆるレベルで争い合う現代において、デル・トロは『フランケンシュタイン』を通じてこの核心に接近することによって、自らの生業である「創作」にできることと、その可能性を問い直してさえいる。

デル・トロが『フランケンシュタイン』という古典小説の傑作を現代にアップデートし、創造=創作を切り口に描き直した意味はここにある。生と死、創造と破壊、罪と赦しなど、激しい二項対立の先に待ち受けるラストシーンは奇妙なほどに爽やかで、また穏やかだ。それはデル・トロ自身の優しさであり、同時にひとつの願いでもあろう。

フランケンシュタイン(英題:Frankenstein)

監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ(『シェイプ・オブ・ウォーター』、『パンズ・ラビリンス』)
原作: メアリー・シェリー著「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」
キャスト:オスカー・アイザック、ジェイコブ・エロルディ、ミア・ゴス、フェリックス・カメラー、チャールズ・ダンス、クリストフ・ヴァルツ
2025年/アメリカ/英語/149分/原題:Frankenstein

2025年10月24日(金) 一部劇場にて公開
2025年11月7日(金) Netflixにて独占配信
公式サイト:https://www.cinemalineup2025.jp/frankensteinfilm/
公開劇場リスト:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=frankenstein

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