鑑識課警察犬係に所属する刑事・青葉一平の相棒は、彼にだけ「着ぐるみのおじさん」の姿で見える警察犬──。オダギリジョーが手がけた異色のドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』が、映画というフォーマットを得て、さらなる混沌と哲学をまといながら、笑いと違和感を引き連れてスクリーンを駆け抜ける。
ドラマ版から引き続き主演を務める池松壮亮が、オダギリが率いる現場でチームとともに築いたグルーヴ、そして時代や権力によって形を変える「正義」にどう向き合うべきかについて、率直に語ってくれた。本作を生み出したオダギリジョーの背中から受け取った、表現者としての覚悟も、池松の言葉の端々ににじむ。混迷の時代にこそ求められるまなざしが、スクリーンの内外に交差する。
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「オダギリさんの背中から、覚悟を学んだ」。池松壮亮が見た表現者の姿
─池松さんは、過去のインタビューでオダギリジョーさんを俳優史に残る超重要人物だとおっしゃっていました。そんなオダギリさんから本作『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』の撮影、制作を通して受けた影響などあれば教えてください。
池松:どういう文脈の中でその言葉が出たのかは覚えていないんですが、今でもその通りだと思いますし、とても尊敬しています。他の作品でも共演させてもらい、今作のドラマシリーズが始まって5年の間、オダギリさんの背中を見て様々なことを学んできたと思っています。
オダギリさんが様々な苦労をされて本作の完成まで辿り着かれたのを間近で見ていました。この作品世界の住人として、ここまで長い時間一緒にいられたことはとても幸せなことでした。これだけ独自の感性で、自由で型破りで、他のどれとも比較できない映画を作ってくれたこと、そしてその映画がまもなく無事に公開されることに、喜びと安堵の気持ちでいっぱいです。

俳優。1990年7月9日生まれ。福岡県出身。トム・クルーズ主演の『ラスト サムライ』でスクリーンデビューを飾る。その後数多くの作品に出演し、これまで数々の映画賞を受賞している。昨年は『ぼくのお日さま』、『本心』、今年は『フロントライン』など数々の話題作が公開。2026年放送予定の大河ドラマ『豊臣兄弟!』では豊臣秀吉役を演じる。
─具体的にオダギリさんのどのような姿勢に、心を動かされましたか?
池松:5年前のパンデミックの時に、これまでの価値観が根底から全て覆されるようなことを世界中が経験して、誰もが見えない未来に混乱している最中で、オダギリさんが出した答えは、このオリバーな犬でした。その自由を勝ちとるような、人生の困難を打破するためのユーモアの力は、僕にとって衝撃的で、かつラジカルな力を感じました。混沌としたカオスな世界を生み出し、笑いという抵抗で、そのカオスを包み込み抱擁するような世界観を作り上げられました。ですから先ずは、この作品そのもののもつ力や根底にある動機のようなものに心を動かされました。
池松:今作は、2021年と2022年に放映されてきたドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』の作品世界をいったん解体し、ドラマシリーズを継承しつつ、新たな世界を生み出していると言えます。物語は脱線し、迂回し、その行きつ戻りつの中で、話の全容や現実を捉え直していけるような不思議な魅力のある作品になっています。そこにはオダギリさんの映画に対する気持ちや、芸術に対する揺るぎない信頼が込められており、深い内省と様々な道のりの足跡を感じます。信念と覚悟をもって望んだ先にある作品のもつ厚みを感じました。とっても楽しく愉快な作品ですが、とても挑戦的で、強い意志をもった意欲作だと思います。
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池松壮亮が語る、映画の芸術性と余白
─池松さん演じる青葉一平にだけ、相棒の警察犬が着ぐるみのおじさんの姿で見えてしまうというユニークな設定に始まり、カオスがさらなるカオスを呼び込む本作。その物語は、今SNSを中心に盛り上がりを見せている「考察文化」に対して、どこか軽やかに背を向けているようにも感じられます。こうした、解釈の余白がたっぷりと残された作品に臨むとき、演じる側としてはどのような意識やアプローチを持たれるのでしょうか?
池松:その作品によっても異なるものだとは思いますが、余白をそのまま余白として大切にすること、そして台本に信頼を置いて楽しむことは俳優にとって、とても重要なことだとは意識しています。映画を観る喜びってあらすじだけでは決してないですよね。人が生きているという、寛大な豊かさみたいなもの、映画にはそれを捉える力があると思っています。

池松:今回の撮影では、俳優という枠におさまらない、表現者という気質に近いオダギリさんのこれまで培われてきた感性を、俳優陣たちが様々な解釈を持ち寄って形にしていく。みんなで可笑しな冒険を楽しむような感覚で演じていたように思います。
─俳優陣たちの解釈が一つではなく、あらゆる解釈が許されながら演じるというのは、映画に豊かさをもたらしてくれそうですね。
池松:そうですね。ドラマではもう少しストーリーラインが重視される局面が多かったですが、映画では見終わった後に、その作品そのものの輪郭や、根底にある動機、小さな願いのようなものが浮かび上がってくるような作りになっていると思います。
─池松さんは、大学時代に映画制作を学ばれ、大の映画好きであることを公言されています。観る側としても、余白がある映画に惹かれますか?
池松:もちろん大好きです。余白にも様々あって。今作のもつ余白と一般的に言われる映画の余白とは少し違っているようにも思います。
例えば、絵画を鑑賞する際に、この画家はどういった時代背景で何を捉えようとしてこの絵を描いたのだろうかと鑑賞者側がそこに想いを馳せるじゃないですか。それと同じように、映画にも広い芸術性があると思っています。額面にあるものの背景とその奥行きを見ることに芸術性は成り立つものだと思います。
─先ほど、ドラマはストーリーラインを重視することが多いとおっしゃっていましたが、今回このシリーズでドラマと映画、両方演じられて、その二つの違いを意識することはありましたか?
池松:映画ならではの遊びが出来た部分はたくさんあると思いますが、そこはあまり意識していません。映画を作り上げるための「設計図」となる脚本をもとに、一平を楽しんで演じられればと思っていました。あの「設計図」なので、どうしたってドラマとは別次元に行きますよね(笑)。

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一人の人間を演じるために、社会のムードは見つめていたい
─オダギリさんが用意された設計図≒脚本は、独特のテンポ感と心地よい笑いが根底にあります。ゆるやかなお笑いは、現場の波長が合っていないと難しいように感じますが、いかがでしたか?
池松:現場の雰囲気をチューニングするために出演者たちで協力し合うというのはもちろんあるんですが、オダギリさんが指揮者として圧倒的なこだわりを持ってシーンの空気を導いてくれるので、それに対して俳優たちは答えていく、ということをドラマの時から続けてきたように思います。

─オダギリさんの指揮に応じていたら、あのようなグルーヴが出来上がったということですね。
池松:そうですね。自由で滑稽、洒落た愛嬌があって、このユニークな物語をみんなで笑って楽しみながら、そのことを喜びながら加担していくような感じです。本作にとって、独特のユーモアは何よりの強みとなっています。混沌とした世界にラジカルな力をもたらし、混沌や停滞を笑いという抵抗で包み込むような意思を感じさせます。オダギリさんの指揮のもと、皆がこのグルーブを作りだすための努力を持ち寄った結果だと思います。
─物語の冒頭、一平は自らを「正義感が強い」と表現しています。正義という言葉は、立場や状況によって揺らぐものでもありますが、池松さんにとって「正義」とはどのようなものだと感じていらっしゃいますか?
池松:難しい質問ですね。色んな正義がありますよね。身近な正義には関心がありますが、そうではない声高の正義みたいなものには、昔から疑いを持ち続けているかもしれません。
日本が第二次世界大戦に踏み出したあの頃からなのか、大多数の中で擦り切れるほど使われてきた正義という言葉は、ほぼほぼ正しく使われていないのではないかと思います。時の政府や、権力者にとって不都合なものを隠すための正義なのかなと。現代においてもそうですが、正義という建前で行われることに、良いイメージがほとんどありません。正義とは結果であって、前提では決してないのではないかと思います。男性優位で進めてきたこの社会で、正義というものを盾に様々なものを犠牲にしてきてしまったのではないでしょうか。

池松:正義って物語において美談として語られやすい側面がありますから、物語に関わる人間として、そこにはきちんと疑いを持って、本質を探し続けていたいなと思います。
─時代や環境によって、「何が正しいのか」という価値観は揺れ動きやすいものだと思います。そんな中でも、池松さんご自身は揺るぎない信念をお持ちのように感じられます。多忙な日々を送られている中でも、社会に向けたまなざしを忘れずにいるために、意識していることはありますか?
池松:語れるほど意識できているわけでも、努力を積めているわけでもないんです。でも映画を生み出し、物語を届けるという仕事に携わる中で、時代や社会のムードを見つめることはとても重要なことだと思っています。現代ではビジネス的観点で社会を見つめることが重要視されますが、根本的には、それでは人々の物語を語ることはできないと思います。何が正しいのかわからない、神なきところで物語を創造し、役という一人の人間を作り上げることは、崇高さと危険性をはらんでいると思います。
今は情報が氾濫していて、情報を追うのにもものすごい時間と労力、ストレスがかかってきますが、本質をとらえるためにも、そうした作業はなるべく生活と切り離さないようにしています。まだまだ勉強が足りないなと痛感するばかりですが。
─俳優仲間や、ご友人などとは社会問題のお話などはされるんですか?
池松:ごく限られた人のみとは話をします。ですがこうした取材の時が一番話していると思います。話題としてふられることが多いので。俳優仲間たちとの間では、社会的な話はなかなか出てきません。関心は比較的低いほうかなというのが実感です。

池松:俳優仲間に限らず、話したい気持ちはあります。今世界ってこうなっているよね、この問題にはこういった面があるよね、と話し合っていくのが本来の社会のあり方だと思うので。でも社会的な対話をする環境や文化が、この国には根本的に根付いていないと思いますし、むしろ封じられ、極力避けられてきた感覚もあります。
─では、もっと今後は話していきたい?
池松:はい。環境や人のせいにしたまま変わらないのはよくないので、周りの人とあらゆることを対話しながら、身近なところから改善し、映画の中でも社会との対話を大切にしていきたいと思っています。

『THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE』

2025年9月26日(金)全国公開
脚本・監督・編集・出演:オダギリジョー
出演:池松壮亮、麻生久美子、本田翼、岡山天音、永瀬正敏、佐藤浩市、深津絵里ほか
配給:エイベックス・フイルムレーベルズ
© 2025「THE オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ MOVIE」製作委員会
公式サイト