INDEX
日本のポップミュージックが内面化してきた洋楽への眼差し
本作のコンセプトが「輸出」を前提として、アジア圏のミュージシャンだからこそ得られた多層的なインスパイアを脱構築したものであることは、近年の藤井風の活動を見ていれば十分に理解できるものだろう。
一方で興味深いのは、全編英語歌詞、ルーツに忠実な編曲に徹したこのアルバムがここまで日本の音楽市場において受け入れられている状況である。発売直後より各種チャートでは上位にランクイン、先行シングル / リードトラックを筆頭に収録曲は軒並みストリーミングの急上昇ランキングに名を連ねており、プラチナディスクを獲得した前作に引けを取らない初動を獲得していることがわかる。
「洋楽離れ」が叫ばれて久しく、かつ日本語詞が席巻するJ-POPにおいてなぜここまで『Prema』は受け入れられたのか? その明確な答えを筆者が持ち合わせているわけではないが、状況を理解する手がかりとして、日本のポップミュージックが内面化してきた洋楽への眼差しに注目する必要がある。
J-POPの名称はFMラジオ局のJ-WAVEが1980年代後半に「洋楽と並列してオンエアしても違和感のない邦楽」として名付けたものであることはよく知られたところだ。「洋楽に比肩する邦楽」であったはずのJ-POPは、1990年代を通じてドラマタイアップ形式のヒット曲の量産、大型CD小売店の全国進出といった要素が複合的に作用し急速に日本のポップミュージックのメインストリームとなり、対照的に洋楽の売り上げは長期的に低迷、現在に至るまで国内市場における存在感は希薄である。
1990年代末には年間100万枚を超えるセールスが常態化する「CDバブル」の状況が形作られ、J-POP内での参照の体系が構築されることとなる一方で、かえってJ-POPが本来参照していたはずの洋楽それ自体のバリューが低下するという倒錯が生じているのである。
同時期にはJ-POPの全面化に対する反動的に、最新の英米圏のロックミュージックを参照したSUPERCARやNUMBER GIRL、ブラックミュージックをバンドサウンドで再解釈したTRICERATOPSやNONA REEVESなどが高く評価された。彼らの試みは現在の藤井風の方法論に接続するものがあるように見えるが、彼らの評価はあくまでオルタナティヴロックの文脈のものであり、決してメインストリームでポピュラリティを獲得したものではなかったことは留意したい。
このように、1990年代以来のJ-POPは、戦後日本が受容してきた洋楽の蓄積に、日本的な要素を組み込み、ルーツを明確に示さないアレンジを施した「日本独自の音楽」として成立してきたといえる(それ故に海外展開が困難だった)。