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藤井風『Prema』論 世界を見据えた本作は、J-POPと洋楽の関係を更新する

2025.9.22

#MUSIC

前作『LOVE ALL SERVE ALL』からおよそ3年半の時を経てリリースされた藤井風の3rdアルバム『Prema』。本作はリリース前より全編英語詞であることが明らかにされ、海外の著名ミュージシャンやプロデューサーが多数参加、同時期には過去最大規模となる北米ツアーも発表するなど、自ずと見えてくるのは貪欲なまでの英語圏市場への挑戦意識に他ならない。

アルバムを再生すると聴こえてくるのは、前作から「愛」という普遍的なテーマを引き継ぎつつ(Premaはサンスクリット語で愛の意)、よりソリッドに自身のルーツを落とし込んだ最新のポップミュージックのサウンドだ。

「愛」を更新し世界を見据えたアルバムを提示した藤井風は、どこへ行こうというのか? 『アンチJ-POPとしての〈邦楽ロック〉』などの論文で「邦楽」と「洋楽」の関係を検討してきたポピュラー音楽研究者・菊池虎太郎が論じる。

これまでの藤井風の立ち位置と、彼が見据えているもの

はじめに、前作『LOVE ALL SERVE ALL』(2022年3月)から今作『Prema』に至るまでの藤井風の活動を簡単におさらいしたい。

リリース面では、継続的に大型タイアップを伴ったシングル曲を発表。深遠なバックグラウンドに基づいた縦横無尽ともいえるサウンドデザインは、彼のキャリア初期の「R&Bミュージシャン」という認識を更新するには十分であっただろう。

たとえばシングル曲“花”(2023年10月)では、メインストリームのJ-POPらしい歌唱を前面に押し出した「歌もの」のミックスでありながら、A.G.クックのプロデュースのもと音数を絞ったミニマルなサウンドに取り組んでおり印象深い。2023年8月リリースのシングル“Workin’ Hard”の制作ではケンドリック・ラマーやドレイクのプロデュース経験のあるDJ ダヒが参加するなど、英語圏のプロデューサーとの共作も増加している(これまでのリミックスアルバムなどに参加した海外勢はアジア圏のアーティストが中心であった)。

また、やや時期は前後するが“死ぬのがいいわ”(2020年5月・1stアルバム収録曲)の2022年頃のグローバルヒットは特筆に値する事項だ。これはTikTokのアルゴリズムが生じさせた現象ではあるのだが、海外進出が非常に難しいとされているJ-POPがタイを発信地として世界規模のヒットに成長した事実は非常に興味深い。

本楽曲の日本的な歌謡曲の要素とトラップビートのハイブリッドが生み出すアンビバレンツなアプローチも含めて、「シティポップ」のグローバル化以降の国内市場を取り巻く転回的な状況——海外で先行したムーヴメントが後天的に日本に波及した状況を国内のリスナーに印象付けるには十分であっただろう。

ライブ活動に目を向けても、2023年の初のアジアツアー以降、アメリカ / ヨーロッパを含む数度に渡る海外ツアーを成功させており、彼がこれまで積極的に作品のモチーフとして採用してきたアジア圏のみならず、ポップミュージックの「本場」である英語圏への積極的な進出を試みていることがわかる。

2025年に入ってからはツアー / リリースの合間を縫って、アメリカ『ロラパローザ』やスイス『モントルージャズフェスティバル』、デンマーク『ロスキレ』など海外フェスへの積極出演を成功させており、リリースとライブの両面で自らの音楽を「輸出」しようとする藤井風を特徴づける活動だ。

藤井風『Prema』(各種配信サイトで聴く

洋楽への敬愛とそのアップデートというコンセプト

『Prema』の参加アーティスト陣やサウンドのスタイルを見れば、こうした近年の活動のいわば集大成的な作品として本作が制作されたのが見えてくる。

1曲目に収録されている“Casket Girl”はロブ・バイゼルのプロデュースのもと英米圏のミュージシャンが多く起用され、ともすれば整然とした佇まいすら感じるポップナンバーだ。ギターにDURANが参加しているのが興味深く、彼のロック然としたアプローチによって万人にとって親しみやすいオープニングナンバーに仕上がっている。

1980年代末のニュージャックスウィングの熱気をそのまま再現したような“I Need U Back”は、ディスコの狂騒を体現する情熱的な歌唱と対照的にざらついた都会的なサウンドが印象的だ。この音像はギター / ベース / シンセでクレジットされているフランスの電子音楽レーベル「エド・バンガー・レコード」(レーベル創設者のペドロ・ウィンターはDaft Punkのマネージャーとしても知られる)所属のブレイクボットの手腕によるものに他ならず、アルバム全体の方向性をより明確なものにさせている。

アルバム全体の方向性——それはおそらく、藤井風個人のバックグラウンドに存在する幾重にも折り重なった洋楽への敬愛を、丁寧に紐解き分解し、可能な限りルーツに忠実な編曲でパッケージングしつつ、最新の環境と人員をもってアップデートするというコンセプトだろう(『MUSICA』2025年10月号収録のロングインタビューにも、「このアルバムがそもそも1980年代、1990年代、あるいは1970年代のクラシックな楽曲達からのインスパイアを隠すことなく表したいと思って作っていった」とある)。

そしてそのコンセプトは、「黄金時代」の洋楽を憧憬とともに受容してきた「周縁」としてのアジア圏のミュージシャンだからこそ可能なものに違いない。

“Prema”は、そのコンセプトを引き継ぎ、比較的シンプルで硬めのヒップホップビートにジャジーなベースとピアノが加わることで生じる独特のグルーヴ感が心地よい表題曲だ。アルバムに付属する湯川れい子によるライナーノーツ(!)では“Prema”における愛とは高次元に存在する自己の魂に対するものであることが明らかにされており、それこそが「愛」であり「神」そのものだと歌い上げる、日本的な感覚とはどこか遊離したスピリチュアリティが本曲にストレートなラブソングとは違った質感をもたらしている。

日本のポップミュージックが内面化してきた洋楽への眼差し

本作のコンセプトが「輸出」を前提として、アジア圏のミュージシャンだからこそ得られた多層的なインスパイアを脱構築したものであることは、近年の藤井風の活動を見ていれば十分に理解できるものだろう。

一方で興味深いのは、全編英語歌詞、ルーツに忠実な編曲に徹したこのアルバムがここまで日本の音楽市場において受け入れられている状況である。発売直後より各種チャートでは上位にランクイン、先行シングル / リードトラックを筆頭に収録曲は軒並みストリーミングの急上昇ランキングに名を連ねており、プラチナディスクを獲得した前作に引けを取らない初動を獲得していることがわかる。

「洋楽離れ」が叫ばれて久しく、かつ日本語詞が席巻するJ-POPにおいてなぜここまで『Prema』は受け入れられたのか? その明確な答えを筆者が持ち合わせているわけではないが、状況を理解する手がかりとして、日本のポップミュージックが内面化してきた洋楽への眼差しに注目する必要がある。

https://www.youtube.com/watch?v=a2iohBRFrlc

J-POPの名称はFMラジオ局のJ-WAVEが1980年代後半に「洋楽と並列してオンエアしても違和感のない邦楽」として名付けたものであることはよく知られたところだ。「洋楽に比肩する邦楽」であったはずのJ-POPは、1990年代を通じてドラマタイアップ形式のヒット曲の量産、大型CD小売店の全国進出といった要素が複合的に作用し急速に日本のポップミュージックのメインストリームとなり、対照的に洋楽の売り上げは長期的に低迷、現在に至るまで国内市場における存在感は希薄である。

1990年代末には年間100万枚を超えるセールスが常態化する「CDバブル」の状況が形作られ、J-POP内での参照の体系が構築されることとなる一方で、かえってJ-POPが本来参照していたはずの洋楽それ自体のバリューが低下するという倒錯が生じているのである。

同時期にはJ-POPの全面化に対する反動的に、最新の英米圏のロックミュージックを参照したSUPERCARやNUMBER GIRL、ブラックミュージックをバンドサウンドで再解釈したTRICERATOPSやNONA REEVESなどが高く評価された。彼らの試みは現在の藤井風の方法論に接続するものがあるように見えるが、彼らの評価はあくまでオルタナティヴロックの文脈のものであり、決してメインストリームでポピュラリティを獲得したものではなかったことは留意したい。

このように、1990年代以来のJ-POPは、戦後日本が受容してきた洋楽の蓄積に、日本的な要素を組み込み、ルーツを明確に示さないアレンジを施した「日本独自の音楽」として成立してきたといえる(それ故に海外展開が困難だった)。

https://www.youtube.com/watch?v=EAtRDZQLsgk

本作は、日本のポップミュージックのあり方を更新するか

これまでの藤井風はそのJ-POPのルールの中で、(R&Bの素養を軸に据え)むしろ日本的な要素を積極的に楽曲に組み込むことを試みてきたが、今作ではそのアプローチから距離を取り、日本人だからこそ可能な本物の「洋楽」を作るという逆説的な試みを実践しているのではないか。

その試みがさほどの違和感なく受容されているのは、インターネットの普及に伴うメディア環境の更新と音楽の聴取形態の変化によってメインストリームとオルタナティヴの線引きが有効性を失いつつあり、シティポップリバイバルの逆輸入を経て蛸壺化したJ-POPの参照構造が半ば強制的に更新された状況が一因であろう。

そう考えるならば、『Prema』における英詞という言語選択とインスパイア元への敬愛を込めたアレンジはもはや制約ではなく、むしろ日本におけるポップミュージックのあり方それ自体を軽やかに更新する足掛かりとして機能しているといえる。

https://www.youtube.com/watch?v=RoY_ZoWe-eI

それを踏まえて注目すべきは、全曲にわたってプロデュースを務めた250(イオゴン)の存在であろう(驚きなのは、本作に250がプロデューサーとして携わった理由が偶発的な要因であったということだ。藤井風はテレビ出演時のインタビューにおいて、ロサンゼルスの山火事の影響でアジア圏での制作が中心になったことをオファーの理由として挙げている)。

特に“Hachikō”は250のサウンドメイキングの色が強く表れており、彼がこれまでの作品で実践してきたサンプリングを多用したコード展開を重視しないベースミュージックの手法と多言語的なアプローチは、これまでの強固に編成されてきたJ-POPのルールを完全に捨象しているといえるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=OodEsjZ88TQ

付け加えるならば、NewJeans楽曲のプロデュースで知られるアーティストの全面的な起用は、「最新のアジア圏のポップミュージック」の象徴としての「K -POP」との連続性を内外のリスナーに感じさせ、アジア圏の音楽の西欧への輸出の新たな潮流、突破口になり得る力を本作は有しているかもしれない。

一方で今注意する必要があるのは、日本の音楽産業において英詞の採用や積極的な海外展開に打って出たミュージシャンは必ずしも珍しくはなく、それらは海外での成功を第一にねらったものではないという点だ。むしろ、これまで「海外で通用する日本人ミュージシャン」というレッテルをことさらに強調された日本人ミュージシャンらの表象は、欧米圏への文化的なコンプレックスを自家中毒的に利用した、日本人に向けたプロモーションの一環であった側面は否定できない。

そのような業界の思惑はともあれ、このアルバムが新たに照らし出し、世界中のリスナーの眼前にも開けつつある藤井風の目指す先をこれからも注視していきたいものである。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/6ELurkxQnAif7u5Vv6Wly9

藤井風『Prema』

発売中
価格:3,520円(税込)
UMCK-1798
HEHN RECORDS / Republic Records / UNIVERSAL SIGMA
1. Forever Young
2. Casket Girl
3. I Need U Back
4. Hachikō
5. Love Like This
6. Prema
7. It Ain’t Over
8. You
9. Okay, Goodbye

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